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紀元前、大陸から台湾へ渡った人。

弥生時代、大陸から日本へ、数万あるいは数十万を超す人が渡ってきたと推測されています。
戦乱を避けてとか、気候寒冷化による南下とかが、理由に挙げられているようです。
そうであれば、距離的に近い台湾にも多くの人が渡ったと思います。
質問です。
1台湾にも大陸から多くの人が渡ったのですか。
渡っていないとすれば、それはなぜですか。
2台湾へ渡った人々は、日本へ来た渡来人と異なり、水田稲作を始めなかったようですが、それはなぜですか。

よろしくお願いします。

投稿日時 - 2019-04-05 19:57:03

QNo.9603909

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

氷河期は台湾と中国本土は地続きになっており、その頃に台湾に人類が行きついていたようです。その後氷河期が終わって台湾と中国本土が離れましたが、当然土着の人類はいたでしょう。
しかしそれはおそらくは現在の台湾人とはDNA的にほとんど繋がりを持たない人たちだったと思います。日本人も、縄文人と現代日本人の多くはDNAに繋がりは10%以下しかありませんからね。

記録に残るうちで、本土人が目立って台湾に渡るようになったのはなんと明時代になってからのようです。ずいぶん最近ですね。しかも望んで渡ったというより、中国沿岸部の住民たちが悩まされていた倭寇の拠点が台湾に多くあったので、倭寇の取り締まりのためだったそうですよ。

かように中国本土の人々は、台湾への移動にはかなり消極的だったことがうかがえますが、私はその理由のひとつを、大日本帝国が台湾に軍事作戦を展開した乙未戦争に見ることができると思います。
このとき、大日本帝国軍は3万7千の兵力を動員し、164名の戦死者を出しているんですね。ところが、戦病死が4642名も出ているのです。なんと総兵力の12.5%にも達します。台湾に行った将兵の10人に1人以上は主に病気で死んでいるのです。これは大損害です。当時の台湾はマラリアを中心にいわゆる風土病というやつが沢山あって、それに罹って死ぬ兵士が続出したのです。しかも当時はマラリアの原因は蚊であるということが分かっていませんでした。だからかなりの兵士はマラリアで死んだようです。

台湾は北半分が亜熱帯気候、南半分がモンスーン気候に分類される熱帯の地域で、つまり病原菌がうようよしていたのです。古来の台湾住民はフィリピンなどの南方系の民族と関係が近かったようです(フィリピンの住民が台湾に移住したのか、台湾の住民がフィリピンに移住したのかのルートは分かっていないようです)が、それは彼らにはある程度以上熱帯気候に対する(病気も含めての)耐性があったのでしょうが、大陸系民族は風土に適応するのが難しかったのかもしれませんね。血液型のDNAを調べるとマラリアへの耐性が分かるので、大陸系民族と古来からの台湾住民のDNAを調べると興味深い結果が出るかもしれません。なお、台湾のマラリアは日本統治時代に苦労の末に根絶されています。

投稿日時 - 2019-04-06 15:50:08

お礼

ご回答ありがとうございます。
なるほど!
風土病に注目せねばなりませんね。
四大文明は伝染病の少ない乾燥地帯で生まれた、と聞いたことがあります。
日本列島は恵まれた環境だったのですね。

投稿日時 - 2019-04-06 20:15:09

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回答(3)

ANo.3

台湾は確かに温暖ですが
乾季には日照り 雨季には洪水と水の利が最悪で米なんて作れる状況ではありませんでした
台湾がアジア有数の穀倉地帯になったのは日本が台湾を統治していたつい最近の事
八田与一が烏山頭ダムを作ってからです

投稿日時 - 2019-04-06 20:00:45

お礼

ご回答ありがとうございます。
なるほど!
水田稲作に適した気候ではなかった、ということですね。

投稿日時 - 2019-04-06 21:02:30

ANo.1

いたとしても、先住民と混ざってしまい、何の痕跡も残していないのでしょう。基本温暖な地域の人たちはあくせく働かなくても食料が手に入りやすいので、手間のかかる水田稲作をやらなかったのかもしれないですね。

投稿日時 - 2019-04-05 21:55:02

お礼

ご回答ありがとうございます。
なるほど!
食料が容易に手に入れば手間のかかる水田稲作をしなくてもよいですね。

投稿日時 - 2019-04-06 20:11:14

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