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締切り済みの質問

毎年毎年の追悼式典いりますか?

東日本大震災に限らずですが、今年で何年とかの追悼式典を大々的に行う必要性はあるのですかね?
もちろん風化させてはいけない大災害ですが、被災者の救済や街の復興は政府のお仕事としてしっかりやってもらうとして、我々一般庶民が他所の土地の過去の災害に、毎年毎年思いをはせて深く考える必要はないのでは?
被災者の人々の中にも、毎年ほじくり返したように、あれから何年~みたいに言われたくない方々もいると思います。
一人一人が個々で深くでも浅くでも考えれば良い事で、毎年毎年厳粛に式典をして、それをマスメディアが大々的に報道をして、日本国中にお通やムードを作り出す必要はないと私は考えますが、、

投稿日時 - 2019-03-11 17:46:36

QNo.9595898

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回答(14)

ANo.14

「災害追悼の日」を作って、
どこそこの災害と特定せず、まとめて追悼したらいいかもしれませんね。
毎年毎年、災害が起こっているので。

そうしたとしても、各被災地では個別に追悼式典をやると思うけれども。
それを全国のメディアが全く報道しないというのも、変な話ですし。

9月1日は、「防災の日」ですね。
たしか、関東大震災の日だったような。
追悼の日ではなく、防災訓練の日になっていますが。

投稿日時 - 2019-03-14 15:05:16

ANo.13

貴方のおっしゃる通りなのですが、その式典を実行出来る立場の人間の目論見が他にあるからです。 そう「選挙」の一票です。 当時の民主党政権(菅直人元総理大臣)の汚点を風化させないことにあります。
自民党にすれば、誰(野党)も反対しない行事(式典?)に国費を使うことに糸目は付けませんから・・・。苦笑; 

投稿日時 - 2019-03-12 21:10:14

ANo.12

私は家族を含めておかげさまで災害にあっていません。
でもささやかではありますが、毎年8/15と3/11は家族で仏壇にお祈りしています。
それは今この時まで不幸に合わなかったことへの感謝と
犠牲に合われた方への追悼の意味を込めてお参りしています。
追悼式は「お通やムードを作り出す」ためではないのです。
20000人の犠牲になられた方への追悼と再びこのようなことが起こらないたための願いなのです。

投稿日時 - 2019-03-12 18:25:41

ANo.11

地震で犠牲になった方の追悼式はどこでもやっています。
ただ大きな地震でもあり、近い過去に起きた地震だから追悼式典を大々的に行うだけだと思います。
昨日、テレビで震災の記憶を風化させないための活動をしている方の番組を観たのですが、誰一人として「津波警報が出ています。高台に避難してください。」と避難命令が出ていたにも関わらず、避難した人は助かり、避難しなかった、避難が遅れた人が犠牲になったことを番組の中で話さない。
この地震で、多くの人が犠牲になった理由を後世に伝えるべきだと感じました。

投稿日時 - 2019-03-12 14:25:32

ANo.10

30年後も今の世代の気持ちが受け継がれたら良いな!と思います。
追悼式は今の世代の為の行事ではありません。後生の者に今の世代の気持ちを表す為の行事だと思っています。
追悼式の影響は現在~未来へと多種多様に多方面に広がります。
東日本大震災は海外も注目されています。
個人においての年間行事で言えば「先祖の墓参り」です。行かれる人は「毎年」行かれています。
毎年、墓参り行かれる人に「毎年の墓参り」は必要ですか?
と聞くことと、あなたの質問は同じです。
「追悼式」は一個人の行事ではなく、複数の者が亡くなったのでその関係者の為の行事です。
皇族や日本を代表する公人らが全ての犠牲者の墓参りを「毎年」は無理です。
民間でも同じです。責任者が一個人の墓参りを「毎年」は行かれません。
学校も同じ。校長先生が犠牲となった生徒らの墓参りも難しいと思います。
だから、その代行となる行事を「追悼式」と言う形でやっているのです。
毎年、追悼式を実施する理由など挙げれば切りがないほど無限にあります。
その中で今、思い付いたことが1つあります。
マスコミの影響ですが、今年、生まれた者がある年齢になった頃、毎年のある追悼式をTVで見て、「俺は将来、自衛隊に入るぞ」と自分の将来を感じる者もいるかも知れません。
冒頭に述べましたが、追悼式は様々な分野に影響します。
個人的には、未来の為にある行事だと思いますので毎年実施するのが適切だと思います。

各種の追悼式を無くして、マスコミも騒がれなくなったら、被災地に関係の無い人達では二度と語れないと思いますし、生まれて来る者は当然に無知です。災害による原発事故の影響を誰が教えるのでしょうか?
30年後、被災地以外の誰が語るのでしょうか?
「一人一人が個々で深くでも浅くでも考えれば良い事で」
とは、ならないでしょうし、やがて風化に進むと思います。

投稿日時 - 2019-03-12 11:50:18

ANo.9

南海トラフによる大地震、大津波に対する警鐘として、決して忘れてはならない大災害の記憶として伝え続けるべきと思います。その時にまずは犠牲者の追悼から入るべきでしょう。南海トラフが連動して地震を起こすと東日本大震災をはるかに超える被害が出ると言われていますが、意識や対策が十分で無いように思います。聞いたところによると、東日本大震災を経験した地域では南海トラフの大地震に対する備えを子供達に教えているそうですが、該当地域では危険が指摘されている地域で人口が増えたりしているところがあるようで東日本の悲劇が十分教訓に活かされているように見えません。その意味では追悼だけじゃなく近い将来への備えに視点をもっと広げないといけないかもしれないですね。

投稿日時 - 2019-03-12 08:50:05

ANo.8

追悼式典が特に大々的とは思えないのですが、
報道が大々的に取り上げてますね。
そのせいで式典自体が大々的であるような印象を与えてるのではないでしょうか。

「風化させない」…現地では必要な事だろうと思いますね。

「我々が他所の事に思いを馳せる」…それ自体は強制される事ではなく、個人の自由だろうと思いますよ。

「お通夜ムード」と捉えるからいけないんです。
報道がそんな印象を与えてしまってるんでしょうね。

現地の被災者が亡くなった家族を悼んで行う式典なんですから、毎年行うのが当然でしょう。

それ自体を否定したら、それは間違ってると言わざるをえなくなります。

「災難は忘れた頃にやって来る」という諺があります。
…阪神でも熊本でも北海道でも、質問者さんと同じように思ってる人が結構いました。
自分達が同じ目に遭うなんて誰も思いたくない事ですからね。

「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という諺もあります。
…報道が一斉に騒いでる時は「他山の石」「対岸の火事」などと思わずに、「明日は我が身」ということもある。
そう思っておく程度で良いのではないでしょうか。

…とはいえ、確かに同感できる質問です。
報道各社とも殆んど同じような内容なのも辟易します。
もう少し何とかできないものかな…とは思いますね。

投稿日時 - 2019-03-12 02:04:35

ANo.7

マグニチュード9の未曾有の大地震と大津波が発生して、行方不明者や震災関連死も含めて2万2千人以上が犠牲となった、戦後最大の自然災害であることを考慮すれば、追悼式典を震災から8年しかたっていない現在やめてしまうことはできませんし、追悼は直接の関係者だけが行えばよいというものでもないと考えます。もちろん「3月11日だけに集中して伝える」という報道のあり方には改善の余地があるでしょうけれど、「3月11日」という日の重さは考慮する必要があります。

毎年8月15日の正午には、戦争の犠牲となった人々を追悼し世界の平和を希求する1分間の黙とうが呼び掛けられますが、現在直接あの戦争のある程度しっかりした記憶がある人は80歳を超えているでしょう。それでも甲子園の選手や観客などを含めて、多くの「戦争を直接知らない人々」が毎年黙とうするところに意義があると思います。

自然災害と戦災とではもちろん災厄の性質は異なりますが、犠牲となった人々を追悼する気持ちには共通するものがあります。追悼式典などの「よすが」がなくなれば人々の「考える気持ち」も自然に薄れていってしまいます。1923年の関東大震災など、関係者がほとんど故人となった過去の災害でも追悼の催しが現在行われ続けているのは、そうさせないためであろうと考えられます。

投稿日時 - 2019-03-11 23:30:15

ANo.6

私は 27で亡くなった姉 60で亡くなった父 など
遠くにいて電話で知らせを聞いただけで 葬儀にも 墓参りにも行ったことはありません。
必要だと感じたこともありません。
血のつながった身内でもそうなので そういったことは不要に感じますね。

投稿日時 - 2019-03-11 21:59:48

ANo.5

そろそろやめた方がいいですね。過去に日本で起きた最大の災害は昭和20年8月15日です。東京大空襲では一晩で10万人焼き殺されました。何十万戸が焼き尽くされました。東日本大震災の10倍です。名古屋大空襲では一晩で3万人死にました。東日本の倍です。そのほかの大都市もすべてそうでした。広島長崎では一瞬にして20万人死にました。放射能がまき散らされました。兵士を含め300万人が死にました。そんな環境でも救護も公的支援も仮設住宅も避難所もありませんでした。全国民が生きるのに必死でした。それでも戦後追悼式などやったことがありません。みな一生懸命働いて、20年後には世界第二の経済大国になれました。それに較べればどうと言うことはありません。いつまでも引きずっていないで、前を向きましょう。

投稿日時 - 2019-03-11 20:25:23

ANo.4

病死や事故死ならば個々の人々が故人に思いをはせることで十分ですが、大規模災害で一時に一瞬にして多くの人命が失われる事実は、行政としても捨て置けない特別な事情でしょう。

また、さっきまで、そこで遊んでいた子供や、昨日まで元気だった両親、家族が突然いなくなる衝撃は、生涯引き摺り続けなければならないほどのものであり、寝ていても起きていても、常に頭から離れないほどのものかもしれない。

こうした個人にとっても、とても背負いきれないほどの心理的不安、喪失感、未来への絶望といったものを追悼式典というかたちではなくても、同じ境遇の多くの人々が共同で何かしらの催し物を行うことで、そうした精神的苦痛に共感を呼び、平穏な心を取り戻し、また、現実の生活に戻るための一つの契機としての意味があると思いますよ。

被災者、特に家族を失い家を失い、今に至って尚仮設住宅などに暮らす多くの人々にとっては、今も災害時と何ら変わらない心境にあるのではないですか?

大規模災害は個人レベルでは語れないと思いますよ。

投稿日時 - 2019-03-11 18:30:47

ANo.3

逆にそれをやらないで風化させない方法はありますか?
メディアが取り上げないようになったら、それこそ風化に拍車がかかるでしょう。メディアもそういう式典をやらなかったら、取り上げなくなるでしょう。式典をやらずに風化させない方法を明記してからですよ。

投稿日時 - 2019-03-11 18:14:30

ANo.2

●実は”私も、全く同感の至りです。
何故ならば、(1)日本は、自然災害に弱すぎる国。 (2)出来れば、”過去完了にしたい。 (3)ご関係者皆々様の心(こころ)の・胸の痛み・・・お察ししたら。
(4)日本人は、人間は。・・・その、主催者・ご関係者皆々様を含めて、何とも解らないなぁ・・・と、考えて居ります。

投稿日時 - 2019-03-11 18:08:52

ANo.1

子供に引き継がれない危険性が高いです。言うまでもありませんが、大人にとって5年くらいは僅かな期間ですが、子供にとっては大昔の話です。それだけ期間が空いてしまうと「歴史上の出来事」のような感覚になってしまい、身近な出来事として感じられなくなってしまうのではないでしょうか。風化を避けるためにも毎年やることは大切だと思います。

投稿日時 - 2019-03-11 17:58:41

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