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何時の誰が連合国と枢軸国を決めたのか?

よく第二次世界大戦の事を

「米・英・仏・ソ・中の連合国と日・独・伊の枢軸国の戦い。」

って言い方をされたりしますけど、歴史を調べるとフランスは開戦直後にドイツに降伏してヴィシー政権が誕生して以降は枢軸国になっていたり、反対にイタリアは戦時中にムッソリーニ政権が倒れて以降、途中から連合国になりドイツに宣戦布告していました。

またソ連も開戦当初はドイツと条約を結んで「連合国」のポーランドに侵攻しています。

個人的には第二次世界大戦後に「正式」に参戦した時の各国の立場を表現してるだけで歴史の上ではあまり正しくない様にも思えるのですが、上記の様な、この「米・英・仏・ソ・中の連合国と日・独・伊の枢軸国の戦い。」って表現は一体誰が何時になって決めた表現なのでしょうか?

投稿日時 - 2018-07-03 18:50:17

QNo.9514860

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%A2%E8%BB%B8%E5%9B%BD

Wikipediaにもありますけれど、元々はハンガリーの首相が「ベルリンとローマは枢軸の両端を成している」と演説したのがきっかけだったようです。
それで、ドイツとイタリアが接近するときにヒトラーとムソリーニによって「ベルリン・ローマ枢軸」という言葉が盛んに宣伝されたんですね。それで、ドイツ・イタリア両国を「枢軸国」という呼び方が広まってきたのです。
そしてそこに日本が参加してご存知、日独伊三国同盟となったので、それを日本でも「枢軸同盟」というような呼び方をして、日独伊三国が枢軸側と認識されていったのです。

で、第二次世界大戦の歴史を語るときに「連合国」というと概ね、特にミリタリー的にはアメリカ、イギリス両国を指します。これにドゴールの自由フランス軍も入れる場合もありますね。ソ連は連合国という括りとはまたちょっと置かれます。連合「側」ではあるけれど、連合「国」ではない、というとなんとなく伝わりましょうかね。中華民国となるともう中華民国そのものがほとんど国家の体をなしていませんでしたから、「蒋介石軍」というような言い方をしても「中華民国」という括りにはし難い部分がありますね。当時の中華民国というのはスケールの大きいヤクザの組長の集まりみたいなものでした。

誰かが決めたというより、なんとなくそう認識されてきたって感じですよ。歴史って、誰かがきっちり決めている訳ではないのですよ。

投稿日時 - 2018-07-03 20:13:58

補足

ウィキペディアの説明文では第二次世界大戦における枢軸国とは連合国と対立した国々言う意味になっていますが、これは戦後に国連(実質アメリカ)が決めたのではないでしょうか?

投稿日時 - 2018-07-03 20:38:38

お礼

回答ありがとうございました!!

投稿日時 - 2018-07-03 20:37:02

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