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解決済みの質問

あの世とはこの世のことである

 
色即是空、空即是色。
この世のあらゆるものは空であり、無である。
またあの世はこの世のことである。
何故ならあの世はこの世が作り出したものだからである。
あの世のあらゆるものもまた空であり、無である。
故に極楽浄土は空であり、地獄は無である。
このように考えるとお経も、成仏も、戒名も、極楽浄土も、・・・およそ坊主の考える一切が空であり無となるのである。
 

投稿日時 - 2015-10-04 10:42:18

QNo.9058416

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

「で、ご質問は?」などとヤボなことは言いません。問われたところで答えられそうもありませんし。自分の好みで何を言っても、何らかの意味を感じ取ってくれるだろう。という勝手な予感があるから、この方がいいのです!

そこで私はこの際、神道や仏教と関係のない地域のお偉いさん方の言ったことと我々の感覚との間に共有観念があるかないかという観点から、彼らの金言・格言の類を拾い集めてみることにする。

☆人間の最も怖れるもの、それは自分自身の想像したことである。(J.コンラッド)
☆悲しみのための唯一の治療、それは何かをすることだ。(G.H.ルイス)

☆過去はもうない。未来はまだない。だが、現在は確実に君のものだ。(アラビアの諺)
☆今この時この場が重要なのだ。去りゆかんとするこの瞬間に我々が占めているこの狭い場所にこそ、我らの永遠と無限が存するのだ。(M.ウナムーノ)

☆目覚めている時にこそ夢を見よ。(スペインの1友人)
☆我々には、夢見る時間、思い出す時間、永遠に到達するための時間、すなわち、生きる時間が必要だ。(G.テイバー)

☆人生は短く、生の処方箋はむずかしい。分かりかけた時はすでに夕暮れ。(E.サバト)
☆「もし今20歳なら何をしますか?」「今それをしています!」(ノーベル生理学賞・R.L.モンタルチーニ、90歳のころのインタビューで)

以上、ご回答まで。(あとはお任せ! 自由にご想像ください。)

投稿日時 - 2015-10-05 10:28:27

お礼

その通り。
それでこそ哲学ってもんだ。
 
 

投稿日時 - 2015-10-05 11:29:55

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回答(7)

>およそ坊主の考える一切が空であり無となるのである。

是。

だから、仏教は趣味にしておくのが宜し。
仏教をプロフェッション=職業にしてはイケナイ。
仏教で利益を上げて、肉食妻帯のコストを賄おうなんて考えるのが間違い。

投稿日時 - 2015-10-04 15:28:17

写本の話をしたのは
インド哲学科の教員から揶揄されたからですよ。

私はお金がないから、調べようが無いといっているのに。


そういえば思い出した。


Greek and Aramaic inscriptions by king Ashoka
http://www.ancient.eu/image/259/

そのサイトに

アショーカ王碑文に書かれた、ギリシャ語とアラム語の文章があって、
東西の交流を考える上でもアショーカ王碑文が重要だろうと思ったけれど、


こんな屑どもがいる場所で話題にしたくなかったけれど、
もう私もそんなに調べている場合ではないから紹介しておきます。

投稿日時 - 2015-10-04 14:44:57

お礼

そのインド哲学科ってあれだろ、オーム真理教の一派のことだろ。
だったら早々退去しなはれ。
 

投稿日時 - 2015-10-04 19:19:26

原本や写本を公開してないのに、校訂と解釈を繰り返しては批判している僧侶や学者が
まるで廃棄を繰り返す加工業者みたいで不思議だったのですが、

つまり、誰でも無料で原本や写本を読めるようにすればいいのにと思うからですが、

海は皆のもののはずだけれど、漁業ができるのは漁業権がある人だけ。
勝手に漁業をすれば犯罪になる。


なんかそういえばそうだったな、と
別に私は、漁業権にたいする批判はないです。
権利関係とかあるからね。


学者と漁業を類推したのは聖書あたりの影響だろう。

投稿日時 - 2015-10-04 11:57:47

お礼

原本や写本は失われたのでしょうか。
原本や写本は失われたのではなく、元々無かったのです。
あるいはこのよーに考えることも出来ます。
いやいや原本や写本は失われたのではなく、我々の目の前に四六時中提示され続けております。
何故なら彼が見た世界を我々も同じく見ているからです。
何故なら森羅万象は今なお万人に対し等しく提示され続けているからです。
我々が求めているのは森羅万象に対する正しい解釈であり、それは真理の探求という果てしのないプロセスによってのみ得られるのです。
 
 

投稿日時 - 2015-10-04 13:48:34

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一つには、最後に述べたような華厳教学における縁起を、無意識に初期仏教などの縁起
に投影させているためである。そのため、最初から縁起を相互依存と考え、その枠組みで
様々な資料を解釈してしまうことになる。先にふれた「これある時、かれあり」云々の句
も、「これ」と「かれ」の関係に注目すれば単純な因果関係であることは自明であるにもか
かわらず、論者によっては相互依存を示すものと解釈されることになる。
二つ目には、戦前の仏教学界に大きな影響を与えた宇井伯寿教授の縁起解釈である14。宇
井説では、縁起は通時的な発生論的関係ではなく、共時的な論理的関係であると解釈する。
さらに、識と名色との相互依存を重視して、これを十二因縁全体に及ぼし、縁起を相依相
関の意であると主張するのである。しかし、三枝充悳教授の言うとおり、これは「行きす
ぎ」である。共時的な論理的関係であると解しても、「AによってB」という論理的な順序
は存在し、ただちに相互依存ということにはならない。

「縁起」の倫理学は可能か:仏教的生命倫理学の原理をめぐって
前川 健一
http://bioethics-s-n.up.seesaa.net/image/24-30E5898DE5B79D.pdf
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一方、華厳教学における縁起と限定した場合、歴史的に見て、それが全体主義や国家主
義と極めて親和性が高かったことを指摘しなければならない18。華厳教学における縁起は、
真如という包括的な真理に依拠して成り立つ。「一即多、多即一」という有名なキャッチフ
レーズに代表されるように、相互依存する諸現象は一なる全体へと包括される傾向がある。
これが、戦前期においては、天皇への滅私奉公を仏教的に基礎づけるレトリックとして愛
用されたのである。


「縁起」の倫理学は可能か:仏教的生命倫理学の原理をめぐって
前川 健一
http://bioethics-s-n.up.seesaa.net/image/24-30E5898DE5B79D.pdf

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道元禅師が、
また心境ともに静中の証入悟出あれども、自受用の境界なるをもて、一塵をうごかさ
ず一相をやぶらず
広大の仏事、甚深微妙の仏化をなす。この化道のおよぶところ
の草木土地、ともに大光明をはなち、深妙法をとくこと、きはまるときなし。
(正法眼蔵、弁道話)
とのべているが、華厳の法界の実相を端的にあらわしているといってよい。


【華厳経】 - 東京大学仏教青年会

仏典解説講座
【華厳経】
――無限の世界観――

鎌田 茂雄

http://todaibussei.or.jp/ebacknumber/02_01_067.pdf


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投稿日時 - 2015-10-04 11:33:51

お礼

 
ありがとうございました。
 

投稿日時 - 2015-10-05 17:20:56

無なら 無でイイじゃん・・

あなたには無でも 他の人には 全てが有だと考える人も居る・・

本当の事は 死んだら解かる様になってます・・( 死なない人は 居ないのだから・・)

投稿日時 - 2015-10-04 11:01:57

ANo.1

 宇宙には一匹だけ猫がおり他には何もありません。この世はこの猫の夢であり私もあなたもみなさんもこの猫の夢の登場人物です。彼はこの夢を15分前から見始めましたが夢の登場人物である我々が自分には1時間以上前の過去も世界の歴史もあると信じているのはすべて夢の中の設定です。

投稿日時 - 2015-10-04 10:52:19

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