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ギリシャ。ドイツ占領下での損害・被害

ギリシャのチプラス首相は2月8日に行われた国会演説で、「ドイツには、ギリシャ国民や歴史、そして、ナチズムと戦って傷付いた全欧州人への道義的な義務がある」と述べ、ナチス・ドイツの占領による損害への賠償を請求する方針を明らかに・・・

大戦中、ギリシャはドイツからどのような損害を受けたのでしょう?
ドイツとの戦いでの軍人・民間人などの死傷者数、民間人殺害、略奪、接取、空爆など具体的な事例をお教えください。
また、イタリアやイギリスなどもからんでいたとおもうのですが、そのあたりはギリシャ人はどう思っているのでしょう?

投稿日時 - 2015-02-12 23:02:03

QNo.8916424

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回答(2)

ANo.2

まず、第二次大戦中のギリシャ人の死者数は
軍人が18000人。民間人が36000人ということになっております。
しかし、終戦直後に発生した内戦で、戦時中の調査が行われなかったため、
この数字は非常に不確かです。

大戦中のギリシャ国内の主な戦闘は、下記の通り。
1、1940年10月~41年4月までの「ギリシャ・イタリア戦争」
ドイツ・イタリア・アルバニア・ブルガリア軍 VS ギリシャ・イギリス軍
アルバニアからブルガリアと接するギリシャ北部が主戦場。
ギリシャ軍兵士のほか、多数の民間人が巻き添えになります。

2、1941年5月の「クレタ攻防戦」
ドイツ軍 VS イギリス軍・ギリシャ残存軍
ドイツ側の勝利ながらドイツの空挺部隊が大損害を負いました。
クレタ島が戦場となり、島民も巻き添えになります。

3、1941年夏~1944年夏「ギリシャ国内戦」
ドイツ・イタリア・ブルガリア軍 VS ギリシャ共産主義者 VS ギリシャ反共主義者
不毛なことに、この3つのグループが三つ巴でギリシャ全土で戦闘を繰り広げた。
この国内戦で多くの市民が命を落とし、橋や鉄道や都市が破壊された。

ギリシャの地形は、パルチザン活動に最適なため
ドイツ側は都市部以外パルチザンを駆逐できなかった。
そのため、パルチザンへの弾圧は熾烈さを極め、多数の市民も含1万人以上が処刑される。

市民を処刑したのは、ドイツ側だけではない。
2つのパルチザン組織は、相手側に協力したという「なんくせ」で
多数の無実の市民を処刑し、略奪行為を行っている。

対独活動よりも、互いの抗争を激化させたギリシャ共産主義者とギリシャ反共主義者に
チャーチルはスターリンの協力を得て、調停に乗り出したが、失敗に終わる。
ギリシャ対独グループは分裂抗争のため、効果的な対独活動ができなかった。

4、1944年10月「英軍の上陸」
イギリス軍 VS ギリシャ共産主義者
ドイツ軍は、ギリシャ国内から退却し、イギリス軍が上陸した。
それまで、イギリス軍はドイツ軍の補給路を絶つためにエーゲ海を海軍で封鎖したため
ギリシャ国内ではパルチザンの破壊活動もあって、激しい物資不足を招き、飢餓に陥っていた。
反英感情もあって、上陸したイギリス軍はすぐに共産主義パルチザンと戦闘状態になった。
まだドイツとの戦争が終わっていない時である。
イギリス軍は、イタリア戦線から1個師団引き抜いて、ギリシャとの戦闘に投入しなければならないほど
手こずる。

以上の1~4の戦闘で、死者が36000人というのは
あまりにも少なすぎ。飢餓も含めこの3倍は実際の数字であろう。
国内も荒れたが、この後の国内内戦で、その復興はだいぶ後になった。

大戦中、ドイツから与えられた損害や被害も大きいが
ギリシャ人どうしの抗争や市民虐殺。イギリス軍との戦闘。
そして、戦後の国内内戦のほうがギリシャにとって被害が大きかったはず。
でも、自分たちの非は認めず、ドイツをはじめ外国のせいにするのは
別にギリシャだけの特徴ではない。

投稿日時 - 2015-02-18 05:37:08

ANo.1

対仏戦のドイツの大勝利に一番地団駄を踏んだのはイタリアのムソリーニです。この頃はまだムソリーニはヒトラーを「自分の格下」だと思っていました。ドイツがフランスへの勝利を確定させた後に火事場泥棒的に慌ててフランスに攻め込みましたが、ほとんど結果が出せないまま終わります。
独裁者というのは虚栄心旺盛でないと務まりません。ムソリーニは、当時イタリア領だったアルバニアを通じてギリシャに攻め込むことにしました。当時ギリシャは「世界最弱の軍隊」なんて揶揄されていたのです。ギリシャ侵攻を命じるムソリーニに、イタリア軍首脳は「閣下、まだ戦争の準備ができておりません。我々はシャツの数も足りないのです」と反対したのですが、「戦争はシャツの数でするものではない!」という当たり前といえば当たり前の言葉で封じられます。
ムソリーニはこれをわざとヒトラーとの直接会談の場で発表しました。ムソリーニはドイツ語で「閣下よ、我々は進軍している!」とヒトラーに直接語り掛けたそうです。

しかしこのときすでに対ソ戦を決意して密かに準備させていたヒトラーは内心「バッキャロー!」と頭をかきむしりました。それに失敗してドイツが尻拭いをしないといけない予感がしたからです。そしてヒトラーの予想は見事に的中しました。最弱のギリシャ軍の反撃を受けてイタリア軍は総崩れ、国境どころか、アルバニアから追い落とされそうな情勢となりました。さすがにそうなるとルーマニアなどの親独東欧諸国が影響を受けることが懸念され、ルーマニアが枢軸側から脱落すると石油の供給にも支障が出るために、貴重な装甲師団を対ギリシャ戦に投入することにします。ドイツ軍はブルガリアを介して、ギリシャに攻め込みます。
イタリアがギリシャに攻めると、イギリスはギリシャ側に立って参戦します。このへんの詳しい話はWiki読んだほうが早いと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

んで、戦後賠償云々は、なにかというと「謝罪と賠償」を請求するどこかの国と同じで、理屈じゃなくて感情論だと思います。ギリシャはあの財政破たん後に緊縮財政を強いられたのですが、財政を緊縮する一方で税金も上げるという、ま、当たり前といえば当たり前のことをしました。だけど当事者のギリシャ人にすれば「緊縮財政で行政サービスはどんどん切られるのに税金は上がる」のだから納得できるわけがありません。
そしてそのギリシャに緊縮財政を要求しているのは金融面でその尻拭いをするユーロの雄ドイツです。「ドイツ人が俺たちに指図して、それでいてあいつらは豊かな生活をのうのうとしている」というのがギリシャ人からすれば腹立たしいわけですよ。最近のギリシャの国政選挙でも緊縮財政反対を唱える党が大勝利したそうで、ユーロ圏を出るとか出ないなんて話もチラホラ出ていますよね。
とにかくギリシャとすれば「金がない」というのが喫緊の大問題なわけですから、ないならカツアゲでもなんでもして手に入れようというわけです。

投稿日時 - 2015-02-13 11:18:07

補足

回答いただき、ありがたいのですが、
当方が知りたいのは、
大戦中(実質は1940~1944年)のギリシャの被害や損害。
ギリシャにおけるドイツの戦争犯罪。
イタリアやイギリスが関与したギリシャでの被害。
などの具体例です。
いただいた回答は残念ながら、1940~41年のギリシャ戦争におけるドイツ-イタリア間の話、または現在のギリシャ問題の一部であり、wikiやネットで簡単に出てくる内容です。
質問の趣旨とはほとんど関係ありません。
失礼な物言い、お赦しください。

投稿日時 - 2015-02-17 16:30:42

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