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解決済みの質問

これは仏教の思想的限界か

 
人が死んだ後にお経を読むだけの葬式仏教であれば坊主ならだれでも出来るが、
人の生死の選択について、現代社会における生命倫理の問題について、仏教が何一つ現実的答えを示せないのはもはや仏教の思想的限界なのか。
 

 

投稿日時 - 2014-12-10 22:25:08

QNo.8854109

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

もともと日本仏教は葬式仏教だったので、今に始まったものではありません。
たまたま鎌倉時代に日本独自の仏教が開花しただけで、現在は再び葬式仏教に戻っています。
そして現在の仏教に「人の生死の選択について、現代社会における生命倫理の問題について」仏教に期待するのはお門違いなので、たいていの人は仏教にそんな期待を抱いていないと思います。
日本仏教というけれど、僧侶は肉食妻帯するし、法外な戒名料を取り、高級車を乗り回し、クラブ通いをして酒も飲むし、愛人も囲うし、焼き肉も平気で食べるし、ゴルフもやるし、そんなのは私たちの仏教という通念の上に居座って、金儲けをするだけの葬祭業の一環にしかすぎません。
大事なのは僧侶を「人の生死の選択とか、現代社会における生命倫理について」仏教が答えを示せるなんて幻想は捨てることです。
「仏教思想の限界」なんて、とっくの昔に分かっていたことなんですから。

投稿日時 - 2014-12-11 01:35:02

お礼

 
そうですね。
ありがとうございました。
 

投稿日時 - 2014-12-13 00:11:26

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回答(6)

ANo.6

生命倫理(バイオエシックス)は、医学や生命科学の進歩に伴って発生した、以前には存在しなかった下記のような倫理用語(新概念)を扱うので、仏教では扱っていないと思います。

優生学、患者の自己決定権、インフォームド=コンセント(十分な説明を受けた上の同意)、パターナリズム(父権主義)、生活(生命)の質(QOL quality of life)、生命の尊厳(SOL sanctity of life)尊厳死、安楽死、ホスピス=ケア、ホスピス、二つの死の基準、臓器移植法、心臓死、脳死(≠植物状態)、素人には見えない「死」、リヴィング=ウィル(生前の意思表明)、自然な死(ナチュラル・コース)、カレン裁判、死ぬ権利、レシピエント(臓器被提供者)、ドナー(臓器提供者)、ドナーカード、ドナーシール、オプトイン方式、オプトアウト方式、「妊娠中絶・受胎調節など性と生殖に関する女性の自己決定権(リプロダクティブ・ライフ/ヘルス)」

生命の尊厳(古代的意義)については扱っているかもですが、《捨身飼虎》は理想論です。

現実に決断に迫られたとき、この理想論を根拠に、自らの命を捨てる決断をする人が大多数なら現実的な回答だが。そうではない。
《捨身飼虎》は、臓器移植とは構造が違うことに気づかねばならない。つまり、臓器移植では命は捨てず、命を生かすという違いがある。

投稿日時 - 2014-12-12 01:07:56

お礼

 
>生命倫理(バイオエシックス)は、医学や生命科学の進歩に伴って発生した、以前には存在しなかった下記のような倫理用語(新概念)を扱うので、仏教では扱っていないと思います。


真に正しい教えであればどれほど時代が変わり、文明が移り変わったとしても成り立ちうる普遍性を持っていると考えます。
時代が変わり文明が推移する毎に破綻していく教えは真の教えとは言えないでしょう。
 

投稿日時 - 2014-12-12 08:25:56

ANo.5

坊主いびりのようなこの手の質問に最近は飽きてきました。人の道ファンもそのように思っていると思います。33を34にしてリニューアルされ、期待していたのにがっかりです。新鮮な質問内容を期待しています。

投稿日時 - 2014-12-11 19:49:26

お礼

 
今の坊主はいびられたらただ潰れてしまうもんなの。
昔の坊主はまだ根性があったと思うが・・・
物事は全て弁証法的に進化発展するものであると前向きに考えることは出来ないのかな。
今の仏教とて同じことで、テーゼ → アンチテーゼ → ジンテーゼを繰り返し、弁証法的に進化発展していってもよいのではないかと考えるが、やっぱりダメなの・・・
 

投稿日時 - 2014-12-11 20:10:40

こんばんは。


☆人の生死の選択について、現代社会における生命倫理の問題について、仏教が何一つ現実的答えを示せないのはもはや仏教の思想的限界なのか。
◇とは考えない。

たとえば、ここを読んでみそ!!
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-ronyu/cat55/post-254.html

と同時に、
飢えた母虎が今にも子供の虎を食べようとするのを見て、悟りを開く前世の釈迦が自身の体をその母虎に投げ与えたという《捨身飼虎》という仏伝を根拠に、
脳死状態の臓器移植を肯定することだって可能となる。
自他を分け隔てしない慈悲心という奴ですね。

ですから、
現代社会における生命倫理の問題に答えることができるんですよ。

そして、
人工授精、出生前遺伝子診断、遺伝子の組換えなどについてもです。


馬鹿なクソ坊主を相手にしてはいけない。
彼らは、葬式を生業とするハゲタカのごとき存在なのですから。
そして、この死者の肉をあさる始末屋・ハゲタカだけを庶民は求めている・・・。
 ───屍肉あさりのハゲタカがいないと、サバンナは死体が溢れて、片付かない!!───
需要と供給の関係ですな~。
仏教を堕落させたのは、坊主だけではなく、一般庶民でもあるんですな~。
どっちもどっちなんでございます。

投稿日時 - 2014-12-11 18:38:51

お礼

 
こんばんは。

人の生死の選択について、現代社会における生命倫理の問題について、仏教が何一つ現実的答えを示せないのはもはや仏教の思想的限界なのか。
これについては以前から考えていました。
色即是空空即是色なんてことより、目の前の現実問題に答えが出せないで一体何の意味があろうかと。
仏教は既に思想的限界に達したのであろう。
このような現実の問題について坊主は誰も取り合わなくなった、皆考えることを放棄してしまった。
世の坊主どもにとってはそのよーなことはもはやどうでもよいのかもしれんね。
哀れ仏教、哀れ坊主。
 

投稿日時 - 2014-12-11 19:18:00

ANo.3

釈迦入滅のおり超越論的に語った「自灯明・法灯明」ここが思想的限界。

つまり宇宙の法則に従って自分で決めろという話で、現実的具体的なものは示されていない。

投稿日時 - 2014-12-11 14:50:40

>現代社会における生命倫理の問題について、仏教が何一つ現実的答えを示せない、、、

おいおい、待って下され。

肉食妻帯坊主に問うてみれば、どうやって妻を娶って、セックスして、挙句の果てには子供をもうけて、自分のDNAを後世に残すのかっていう「生命倫理」を語って下さるじゃろうよ。

ひょっとしたら、すき焼きの牛肉を喰い、酒を飲みながら、現代の生命倫理を語ってくださる出家坊主だっていないとは限りませんぜ。

お釈迦様が現代日本の仏教を見たら、「これぞ末法!」とおっしゃって、ご自身の懸念されたとおりの未来が実現されていることを観察なさるでしょう。

合掌!

投稿日時 - 2014-12-11 09:06:26

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