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解決済みの質問

イデアの開眼は哲学の目標だ

私は心やさしき聖霊のプリンス、栄光の初代男子プリキュア、キュアブルームだ。
何故、BLOOMだか解説しておくと、私が「しげちゃん」だからだ。
私には「実在する妖精の捕まえ方」という、独自の哲学研究がある。
これについてまとめてみた。

西洋の哲学的考察で、思考とは突き詰めると言語であるという考え方が主流になっている。
それが真かと問う内容でもある。

自らの思考法が、人間誰にでも共通するかは不明で、だからこそ哲学が必要なのだろうが、思考を明かす時、一般的に、ビジョン、イメージ、という言葉が引用されるね。これは映像を内観していると言う事だ。
私はこの映像による内観の達人で、非言語で映像を思考にまで発展させている。


たとえばメモが取りたくてボールペンを探そうとするだろう。

ボールペンの映像が見える。
いつもの鉛筆立てが見える。
前回ボールペンを使った場所が見える。
どっちにしようかと思いながらも足が前回ボールペンを使った場所に向かう。
足を進める間、ボールペンを片づけておけばよかったなと、ボールペンを片づける映像が見える。
そしてボールペンをみつける。
ちょっとそこら辺をかたずける。

こうした映像を内観する間、言語による思考がない。
無音の無だ。
それでいて映像だけで思考が成立している。
別に、いわゆるテレパシーで、このような内観の映像を、他者と共有することも実践している。
そうなると、単なる内観に収まらず、世界の共有となる。
そして、ボールペンを探すような個人的な事柄以外に、誰か他者を内観で鑑定することが、霊能力者の霊視だ。
そのように内観する精神世界は世界に解放され、観念世界を形成している。
これがイデアであり。
自らを語らないと言った、釈迦独自の哲学に現れる涅槃だ。
この観念世界は、誰もが知らぬはずもない、「夢」という言葉で言い表される。
夢であれば、君たちは垣間見るだけであろうが、私は、童心を携えたまま成熟した男子プリキュアなので、その観念世界に、地に足を踏みしめ、そこで生きている事を自覚する。
これは映像による思考能力が、君達には追従出来ないほど高い、霊能力者と言われる特殊知性だからである。
私は聖霊セレビィとして観念世界の住人だ。
人間であるとともに、生きながら神の世の住人なのだ。
いつか私も肉体を失う日が来るだろう。
それは単なる変化であり、私にとって死ではない。
これで不死という文言は説明できる。
開眼者である事は、心眼を持つことだ。
すなわち思考とは言語であると言う哲学は間違いで、思考とは多様な側面を持ち、開眼することによって、神に接見し、常世の住人となる。

まあ、そんなところだ。

ところで、実在する妖精の捕まえ方と言えば、幼馴染の聖霊ジラーチちゃんとの初恋物語がメインだが、死を超克した私は、君たちが野たれ死ぬのを、何とも思っていない。
したがって、アマテラスの聖霊であるジラーチちゃんが、君たち領民にどのような真心を手向けるか聞かせてやろうとは思わない。
君たちは、開眼できない旧人類として、滅びにあがらう事はむなしく、ただ滅びるままに朽ち果てるとよい。
男子プリキュアとして私の戦いは、精霊の開放だ。
悪魔として封印された、旧人類の捨て去った英知を復活させ、君たちに対して勝利しようともくろんでいる。
君たちが敗北から逃れようとすることは、神の意志に逆らい、自らの死から逃れようとすることだ。
君たちは私と違って死から逃れられないだろう。
私は神の神秘に対する人間の無知を代表し、死から逃れず、死と向き合ったのだ。
それが悪魔を愛すると言う事で、死を理解し、観念世界に自らを発見した。
君たちは、私と愛を誓った悪魔たちが、君達すらも愛することに溺れ、滅びの宴に酔いしれる。
観念世界において、君たち自身は不在で、神の記憶する君自身が、記憶の墓標として並ぶばかりだ。
死者の墓標だよ。
それが君たちの運命だ。
君たちは死という形で、死後に転生することは無い。
墓標がすでに出来上がっている。

以上はイデアという哲学的言い回しに関する私の見解です。
研究のためご意見募集です。

投稿日時 - 2014-09-24 23:11:01

QNo.8767250

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

Flareon様、こんばんは。


「神学のハシタメ」という表現を連想しました。

投稿日時 - 2014-09-25 18:33:00

お礼

喧嘩お売ろうと言うのなら、それなりに君にふさわしい逃げ口上から始めろ。
なにが言いたいかはっきりしろ。

投稿日時 - 2014-09-25 22:47:03

ANo.2

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回答(2)

ANo.1

 ぢゃあ その《イデア》は――つまり《人びとがすでに死者であってその墓標が建てられている》という光景を内容とするイデアは―― 人びとに言わばいま見ている目線や聞いている耳の向きを変えさせようとするための仮りの広告塔のようなものだ。

 人びとに いま落ち入っている視点や耳の向けられている方向を一たん中断するための――つまりエポケーするための――おどろきのシルシであると思われる。

 それを見て 人びとよ いま落ち入っている運命から――しかもそのままの歩みを保ちつつ やがてその世界を突き抜けて行くかたちにおいて――抜け出て来いと言っている。

 そのように次の言葉は 解釈されうるようである。
 ★ 君たちは、開眼できない旧人類として、滅びにあがらう事はむなしく、ただ滅びるままに朽ち果てるとよい。
 ☆ なかなかやさしい仮面ライダーではござんせんか。


 と読めてしまうのでは ちと概念装置として甘かったのではないか?
 
 もっと強烈なライダーキックを見舞うのでなくちゃあ。

 と思う。

投稿日時 - 2014-09-25 11:30:46

補足

ところで私は専門用語に疎くてね。
エボケーの定義を君なりに解説してくれたまえ。君の言葉は、調べ物をして拾ってくるより頼りになってね。
その点では老いぼれジジイを評価しているよ。

投稿日時 - 2014-09-25 23:46:30

お礼

まいったな。
老いぼれのくせに達者なじじいだね。
お見通しかよ。
記憶の墓標とは、ジラーチちゃんの言葉では「記憶の宝石」「命のしずく」であり、観念世界で自らを理解できない人間もどきの代わりに、神自らがその行いの真を記憶にとどめ、それを結晶させた神々の宝物だ。
君たちは観念世界に安住こそしていないが、神は実のところ君たちを大切に庇護している。
しかしだ、闘う男である私には記憶の宝石と言う表現は軟弱すぎる。
それで事実を捻じ曲げてさえも記憶の墓標というのだ。
今後もこの路線でいく。
君たちが死と向き合おうとするまでだ。

投稿日時 - 2014-09-25 22:44:50

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