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解決済みの質問

何か仏教ネタを頂戴

最近仮面ライダーごっこばっかりでね。
仏教関係で何か取りこぼしたことは無いか確認したくなってね、常連さんで私の無の悟りを理解できる人ならそのまま、何か論理で置き去りにしている事とか指摘したり、具っ経の考察の別の側面を意見したりしてくれたまえ。
常連さんで無い方は、「無の悟り」に関して今まで私が質問してきた事柄でも、アカウントを見るとかこの質問が公開されているから、まあ、何か意見してくれたまえ。
今回は。
言いっぱなし回答。
言いたい放題回答。
これで良い。
ライダーキックは、少しは手加減してやる。

投稿日時 - 2014-09-17 20:37:56

QNo.8758199

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

まず、Flareonさんのことではありません。

buddhāをパーリ語の男性名詞の複数形・主格ではなくて
女性名詞だといってくる人がいて驚いています。
しかもスラング扱い。
たんに皮肉を言っているのかもしれませんが
ブッダが女性だったとでもいうんですか?

~~~~~~~~~~~~~~

語義の変遷

 仏陀とは、サンスクリット語の「buddha」の音写語である。この「buddha」は「知れる人」という意味であり、古代インドから「経験的に知る」ことをさす√budhという語根の動詞で示される。
 また、「目覚めた人」という意味もあり、このように考えるときには、√budhを「眠りから目覚める」という意味でとる。この意味では、ジャイナ教でも仏陀という言葉を使っている。さらに発展させて「覚った人」というように理解され、「the enlightened one」と英訳され、漢訳でもしばしば「覚者」と訳されている。
仏教以前、さらに仏教の興起した時代における「さとり」については、特定の宗教に限定されるものではなかった。古ウパニシャッドにおいてはbuddhaとは「真理をさとった」というだけの意味である。
 ジャイナ教でも古い聖典では、他の宗教の人であったとしても、聖人・賢者はすべて「ブッダ」と呼んでいた。ジャイナ教の聖典一般では「ブッダ」といえばジャイナ教の祖師(TirthaMkara)を意味するが、仏教に言及している湯合には釈迦に言及していることもある。
 釈迦に叛逆したと伝えられる提婆達多(Devadatta)も仏陀を自認し、かれに従う徒衆も彼を仏陀と呼んでいた。
 スッタニパータのような古い聖典では「仏陀」とはただ聖人・修行者のことであり、どの宗教の人についてでも適用された。若干の漢訳仏典では仏陀を「学者」「明人」と訳しているのは、この意味であろう。
 この「budhha」とは、仏教が起こった時代‥‥諸宗派も同時に興起した時期でもあるが‥‥さまざまな宗教で「覚った人」を「buddha」と呼んだのを、仏教も採用したものだと考えられる。このような経緯で、初期には仏陀とは「さとれるもの」「目ざめた人」「完全な人格者」「絶対の理をさとって理となった人」「師」「尊敬されるべき人」という意味の普通名詞である。ことに初期の経典では、仏陀が人間であることが特に強調されている。

http://www.wikidharma.org/jp/index.php/%E3%81%B6%E3%81%A3%E3%81%A0

~~~~~~~~~~~~~~~

>ジャイナ教でも古い聖典では、他の宗教の人であったとしても、聖人・賢者はすべて「ブッダ」と呼んでいた。

~~~~~~~~~~~~~~

それに今回のポイントは仏教の過去仏ではない、
ブッダが複数いて、仏教のゴータマ・ブッダはこれといって
特徴のあることは言ってなかったということでしょう。

投稿日時 - 2014-09-22 15:28:44

補足

私の「仏という言葉の現代語訳は人間」これと、あんたがほじくり返した論説で共通するのだが、古来仏陀とは人の中でも自分自身を自覚した人間そのものと言ってもだ、語源から解釈してもそんな感じだと言ってもだ、仏を神と並べて拝んできた伝統をうまく言い含める説明をしないと、仏教以前や以外の仏陀は人間を指しても、仏教では仏とは神であるとか何とか言いだしかねないね。
ここも何とかしないといけないだろーなー。
ところで今回は締めるよ。
あんたは面白かった。

投稿日時 - 2014-09-24 22:11:52

お礼

いやー、照れるね。

初期には仏陀とは「さとれるもの」「目ざめた人」「完全な人格者」「絶対の理をさとって理となった人」「師」「尊敬されるべき人」という意味の普通名詞である。

私はこれに該当する。
私が解き明かしたいのはそもそも、
「仏陀と言う言葉の現代語訳は人間という言葉」
そのためにな、仏陀を解説し、日本において無の悟りの内訳を誰にでも判るように解説しようと考えている。
そんなネタ探しだ。
今回の回答では、あんた自身の考察がうかがい知れないが、いい研究をして、仏教に冷静なようだね。
なかなかだよ。

投稿日時 - 2014-09-22 22:00:55

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回答(22)

ANo.22

>日本において無の悟りの内訳を誰にでも判るように解説しようと考えている。

と言うことは、自分で理解していないと言うことですよね。
理解してたら、すでに書けると言うことですよね。

自分が理解するものをここに書いて教えて貰ったら
Flareonさんの役割って何でしょうか?

質問が目的に沿っているように見えないのですが。

投稿日時 - 2014-09-24 01:20:18

お礼

何の話しだね。

投稿日時 - 2014-09-24 22:05:55

ANo.21

悟り、悟り、悟り、いりません。
大体悟りがなんだか解らないのに、悟った,悟ったと言われても、「へえ~そうなの良かったね」か「おめでたいね」の返答しかできません。
悟りなんてそんな程度ですよね?
私が思うのは、お偉いお釈迦様も、婦女暴行殺人者も行先は同じところということです、善人も悪人も結果は同じなんですよ。
社会において処罰されるか、されないかだけです、私たちは社会という枠の中だけで神とか、悟りとか、魂とか考えているだけだと思うのですが?
通りすがりのド素人の考えですが、どうでしょうか?

投稿日時 - 2014-09-22 21:15:02

お礼

野生動物の様に利己的に生きるのではなく、人間は社会的に生きるのだ。
その意図した共生を理解すると神が現れる。

投稿日時 - 2014-09-22 22:02:55

ANo.19

誤字がありました。

× 越

○ 超

86 「疑いを超え、苦悩を離れ、安らぎ(ニルヴァーナ)を楽しみ、貪る執念をもたず、神々と世間とを導く人、──そのような人を<道による勝者>であると目ざめた人々は説く。

~~~~~~~~~~~~~

投稿日時 - 2014-09-20 13:35:37

お礼

ご苦労さん。
丁寧だね。

投稿日時 - 2014-09-20 23:01:49

ANo.18

こんにちは。ライダーさん。メタモルフォーゼしたかもしれません。そしたらプリキュアさん。
いつも有り難うと伝えたくなって来ちゃいました。
お話するものは持ってきていません、お役にたてないのにきちゃってごめんなさい。
プリキュアごっことか、してくださってありがとう。わたしとじゃあないけどね。
きっと楽しいです。

投稿日時 - 2014-09-20 11:32:04

お礼

レッツチチをもげダンスだ。
http://okwave.jp/qa/q7541665.html

君は運命を信じるかい?
私は君を一目見たとたん運命を感じたよ。
僕たちはもっと仲良くなれるはずだ。
ダンスからとりあえず始めよう。
チッチ チッチ おっぱーい ボイン ぼいーん。

投稿日時 - 2014-09-20 22:56:08

ANo.17

Kaṃ maggajinaṃ vadanti buddhā,
(iti cundo kammāraputto):Maggakkhāyī kathaṃ atulyo hoti;
Magge jīvati me brūhi puṭṭho,
Atha me āvikarohi maggadūsiṃ”.

sutta nipāta 1.5
Cundasutta
http://suttacentral.net/pi/snp1.5


85 鍛冶工チュンダはいった、「目ざめた人々は誰を<道による勝者>と呼ばれるのですか? また<道を習い覚える人>はどうして無比なのですか? またおたずねしますが、<道によって生きる>ということを説いてください。また<道を汚す者>をわたくしに説き明かしてください。」

~~~~~~~~~~~~~~~

ここで、目ざめた人々(buddhā)が複数形であることに注意せよ。
次の詩でもbuddhāと複数になっている。つまり、ここの教えをシャーキャ・ムニ(釈尊)が説いているのではない。
「わたしが説くのだ!」とは言わない。そういう傲り高ぶった気持ちをかれはもっていなかった。
ブッダたち(ジャイナ教やそのほかの当時の諸々の聖者たちを含めて)が説くのである。
当時の聖者たちの説いていること、真理を、釈尊はただ伝えただけにすぎないのである。かれには<仏教>という意識がなかったのである。

ワイド版岩波文庫 ブッダのことば スッタニパータ

270ページ

~~~~~~~~~~~~~~~

Yo tiṇṇa­kathaṅ­katho visallo,
Nibbānābhirato anānugiddho;
Lokassa sadevakassa netā,
Tādiṃ maggajinaṃ vadanti buddhā.


sutta nipāta 1.5
Cundasutta
http://suttacentral.net/pi/snp1.5

86 「疑いを越え、苦悩を離れ、安らぎ(ニルヴァーナ)を楽しみ、貪る執念をもたず、神々と世間とを導く人、──そのような人を<道による勝者>であると目ざめた人々は説く。


~~~~~~~~~~~~~~~




中村元の註によると、

「ブッダたち(ジャイナ教やそのほかの当時の諸々の聖者たちを含めて)が説くのである。
当時の聖者たちの説いていること、真理を、釈尊はただ伝えただけにすぎないのである。かれには<仏教>という意識がなかったのである。」

ようです。

投稿日時 - 2014-09-20 10:09:48

お礼

なるほどね。
インドの風土で、聖人たちはそのようにふるまったのかい。
しかし仏陀は人間の中でも区別されていたね。
私はその点が気に入らなくて、「仏という言葉を現代語訳すると人間という言葉になる」仏教を意識して考える事を始めた10代後半くらいから、一貫してそのように考えている。
そして人間になる事、すなわち自分自身になる事を目指した。
実感やら自覚やら悟りやら、その手の事柄を持てたのは30になったばかりで、セレビィの奇跡であり、観念世界に現れる悪魔との和解だ。
それは人間としての自らの自覚でなく、神の自覚だった。
私にとって神にすがることは、人生に廃人であり、人間社会の和を損なう、裏切り行為だ。宗教をそんな風にとらえている。
したがって神様を気に留めたりしなかったのだが、気が付けば神様に会っていた。
仏教の研究でかけているのは、このような仏陀になる段階の証言で、神の存在が考察されていない点だ。だからこそ如来の案内とか菩薩の案内とかその手の話になる。
ここで人間同士の中でも特別なのが仏陀という考え方に落ち着くだろう。
しかし実際は、人間であるためには神様に出会う事が必要で、それ以外の人間もどきは、やれ生きる屍だ、やれ奴隷だと言っても差し支えないところではないか。
信仰を自覚し、自己を悟ることが開眼者だ。
道になぞらえるのは気に食わない。
我が道のみが唯一の道である。
他者が選ぶ我が道なぞない。

ここまではいいのだが、
私が説明を始めつつある、「実在する妖精の捕まえ方」この心眼を開く事の具体的説明を君はどう考えるかい。このような側面から説明した方が具体的ではないか。それは人間に心が備わっていることの確認だ。

投稿日時 - 2014-09-20 22:52:02

ANo.16

ほいじゃ、
カーリー女神はどうだ!!


http://www.k5.dion.ne.jp/~dakini/tenjiku/zukan/kali.html

SMプレイだぞ♂♀

投稿日時 - 2014-09-20 01:50:12

お礼

ほとんど悪魔みたいな女神さんだね。
私好みのママさんだ。
かくもあらぶれるのは人間が無知ゆえに悪を産みだすからだ。
人間のせいだ。
君たちは滅びる。

投稿日時 - 2014-09-20 22:30:40

ANo.15

では、
オールヌードの弁天さまはどうだ。

http://www.k4.dion.ne.jp/~nobk/minoh/benzaiten.htm

投稿日時 - 2014-09-19 23:42:20

お礼

女神は男性の尽きることのない欲望を慈しもうとするとか何とかだろう。
欲望とは、レッツチチをもげダンスの事だ。

投稿日時 - 2014-09-20 00:33:21

ANo.14

善悪の彼岸である「解脱」と
「道徳」の問題でしょうかね。

仏教では、解脱と七仏通誡偈のように善悪が混在しています。
どうしているのかということです。

~~~~~~~~~~~~

諸悪莫作(しょあくまくさ) ― もろもろの悪を作すこと莫く
衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう) ― もろもろの善を行い
自浄其意(じじょうごい) ― 自ら其の意(こころ)を浄くす
是諸仏教(ぜしょぶつきょう) ― 是がもろもろの仏の教えなり


~~~~~~~~~~~~~

以前ジャイナ教の話をしたのは
断食して餓死するサッレーカナーというのが
出家者にとっては最善もしくは、最高の死に方ではないだろうか
と考えたりもしたからです。

だからこそ、聖書の善悪の知識の木の実を食べるという話が気になっているわけですが。
でも、善く生きる。と言ったソクラテスは自殺したり。

投稿日時 - 2014-09-19 02:55:22

お礼

悪を予感する君たち旧人類にとって、悪は実在するのだろう。
私はそうではないと考えていて、宗教で悪を取り扱った全てが失敗だと考えている。
しいて悪と言えば、悪を予感している君自身だ。
旧人類は自らが悪であることから逃れられない。
これ以上誤魔化させずに、悪そのものとして滅びを宣告するのだ。

投稿日時 - 2014-09-19 22:56:50

ANo.13

>「実在する妖精の捕まえ方。
この観念世界なりイデア界なりは、私の言わんとすることは君たちもV字開脚できるだろう。」

・・・残念ながら、「人権侵害」は不可能、ということで。

投稿日時 - 2014-09-19 00:19:30

お礼

しつこいな。
人権侵害とはどのような危惧だ。
私には全く身に覚えがない。
言いがかりはやめろ。

投稿日時 - 2014-09-19 22:51:47

ANo.12

>「私は詐欺師でなく本物だよ。
商売にしても恥ずかしくないだけのありがたみは君も実感しているのではないかね。
本を一冊書くから金出して買えと言ってるだけだよ。
そのためのネタだ。
身を入れて協力しろ。」

・・・仏教、だからね。

投稿日時 - 2014-09-18 23:55:24

補足

私は「浣腸奉行」というポケモンを飼いならしていてね。
ハピネスチャージの事だ。
ブチかましてほしいか。
君は便秘気味か?
すっきりしたくないか?

投稿日時 - 2014-09-19 00:14:02

お礼

私が主張するアマテラス神学の前段階として、仏教の現代的定義と思索の土台となる仏教テーマの本だ。
私独自の哲学は君たちに対するお披露目も始めていてね。
実在する妖精の捕まえ方。
この観念世界なりイデア界なりは、私の言わんとすることは君たちもV字開脚できるだろう。

投稿日時 - 2014-09-19 00:03:55

ANo.11

>「商売のネタにする。」

・・・動機が、不純なのれす。

投稿日時 - 2014-09-18 23:35:56

お礼

私は詐欺師でなく本物だよ。
商売にしても恥ずかしくないだけのありがたみは君も実感しているのではないかね。
本を一冊書くから金出して買えと言ってるだけだよ。
そのためのネタだ。
身を入れて協力しろ。

投稿日時 - 2014-09-18 23:46:15

ANo.10

Flareon様、こんばんは。


>「仏教関係で何か取りこぼしたことは無いか確認したくなってね」

・・・きっと、「取りこぼし」ばかりでしょ

投稿日時 - 2014-09-18 18:25:00

お礼

その通りだよ。
何か学問として成立する形で例をあげてくれ。
商売のネタにする。

投稿日時 - 2014-09-18 22:57:45

ANo.9

以前から面白いお方だなあと関心(感心)をもっておりました。
文章はおふざけだけど、根はまじめな方なのでしょう(勝手な推測)。

前から悟りとは?と質問をするたびに、悟りの方法など様々なご回答をいただきましたが、中でも
「自分が悟ったならそれでいい」という回答には私も同感するのでした。

>論理で置き去りにしている事

頭で哲学や宗教を分かることが、悟りにいたることに比例するとは思えません。
つまりブルース・リーの言うように「考えるな、感じろ」です。

ところで、私は悟ったみたいなことを書くと批判がくることに悲しくなります。
それは悟りが特別なものに思われているからでしょう。
でも、その悟りが正解かどうか決められるのは神ではなく自分なのだと思うのです。
そのために「直感」を授けてくれたと思うからです。
それは「主観」とも違うのです。
悟ったことが客観的に分からない以上、悟りが本物かどうかは自他ともに分かりませんが、
その悟りは信じるに値するものだという強い確信があるのでしょう。
かといって「思い込み」とも違うのではないでしょうか。

人は頭も心も完全にその資源を使っているとはいえません。
だから頭で考えられること(理論、科学)以外のこと(直感、自然)を会得した人には、頭でもって否定する。
でもそれは人(自分)を知らない(信じられない)からです。
見えないものについて限定してしまうのは、心の目を閉じているからでしょう。
悟りは闇のなかで受け止めるものです。

「私は悟ったよ」と言う人に(ご質問者様にも)何についてどう感じたのかを聞くのは興味深いです。

投稿日時 - 2014-09-18 11:18:21

補足


悟ったのを信じると言うのは有りえない。
悟りを自覚することはあり得る。

これを有無の明白な分別としての無の観想で文法化すると。
悟りを信じることは無い。
悟りの自覚は有る。
こうだ。
自らが為した事には自覚のみだ。
無であると語ったお釈迦様は、神について語らなかったため、それが如来とか菩薩とかで代用されているが、そのように後世で語られた、信仰を保証するお迎えは神だよ。
そして信じるのだ。
観念世界を自在に遊泳し、時空に束縛を感じないセレビィたる私の「ときわたりESP」は、それ自体が人知を超越している。
それは、私が人間でないからではなくて、神様がいるからできたことだ。
だからこそ知性とは神がもたらしたと私は主張している。
ここには神様と、私は信じて、神様も信じると言う幼馴染の関係がある。
私は信じて、神様はそれを受け入れる。
これだと、俺様はアマテラスさんを妊娠「認信」させた。
こういうホラ話になる。
君達には妊娠騒動の方が信憑性があるだろう。
そんな信じ方と新人類の私は違うのだよ。
私は人間も信じるよ
神様と幼馴染関係になれるように対等に信じるのだ。
ところが「仏という言葉の現代語訳は人間である」こう考える私の言う人間と、君たちの未熟な人間の自覚は違うようだね。
君たちは人間であると言い聞かせられて、そう教えられてきた。
しかし人間の悟りがないのだ。
その証拠を目安として悪の克服においているのが私だ。
例のジジイ先生も含めて全員失格。

投稿日時 - 2014-09-18 23:35:49

お礼

まるっきり応援のご返事だね。
そこら辺に転がっているオカマに比べれば見苦しくないのでありがとうと言っておくよ。
君がライダーキックに耐えられないと段々オカマじみてくる。
今回はそこまではしないよ。

その悟りは信じるに値するものだという強い確信があるのでしょう。

この考え方はでたらめだよ。
これはいいかえると、「わたしはさとったとかんがえるその内容を自分自身が信じるに値すると判断する。」

こう取れる。
信じることには神様のお迎えがあり自分の判断じゃないのさ。
悟りという言葉の用法にもまちがいがある。
悟ったのを信じると言うのは有りえない。
悟りを自覚することはあり得る。

投稿日時 - 2014-09-18 22:56:21

ANo.8

 いまだに丸め込むネタ探しをしていたとは・・・
 落胆しました。

 もっとも、こうして飽くことなく“無の悟り”なる事を「常連や新参」に分かってもらいたいとの意志の強さは伝わってきますが。

 へその位置は正常ですか?

投稿日時 - 2014-09-17 23:06:25

お礼

新規ネタ探しだよ。

投稿日時 - 2014-09-18 09:45:21

わたしが超~コマカイのをご存知でしょっ。
揚げ足取り、重箱の隅つつきが超得意なわたしに
「しかし真に心の安らかなるものは、このような破廉恥行為でも心を汚すことなく楽しむ。」
というような、不用意なことを書いてはいけませんよ♪

よもや、
Flareonさんが「このようなハレンチ行為」などと考えていないとは思うんですがね~。
この文章は、旧人類にして生ける屍でも分かるように書いたのだとは思うんですが。


わたしは超~細かいんだから、
こういう不用意なことを口にしてはいけませんよ。

知っているでしょっ、
Flareonさん?

投稿日時 - 2014-09-17 22:57:06

お礼

ありがたそうに書くところがいいのだ。

投稿日時 - 2014-09-18 09:44:32

ANo.6

 いつまでたっても「無の悟り」で足踏み状態ですね。

 富士山登山に譬えを求めれば、たぶんFlareonさん云う処の「無の悟り」は六合目辺りだと思います。
 八合目にもたどり着いていません。

 「無」に惹かれるのは、「厭世」が根本にあるからだと見ています。

 

投稿日時 - 2014-09-17 22:37:53

お礼

弥勒菩薩商法の話をしているのだよ。
営利目的で君たちを丸めこむネタ探しだ。

投稿日時 - 2014-09-17 22:43:58

ANo.5

お礼ありがとうございます。


>それがこの世界を滅ぼすことになってもだ。

実践に至る理解はない _φ( ̄ー ̄ )
了承しました。

投稿日時 - 2014-09-17 22:25:04

お礼

なに納得してんだか。
命乞いしてみろ。
どちらかというと、君たちに絶望を与える精神の死が目標だ。

投稿日時 - 2014-09-17 22:28:49

ANo.4

君自身

投稿日時 - 2014-09-17 22:01:05

お礼

正解だよ。
私は仏陀だ。
そんなにほめられると照れるなー。

投稿日時 - 2014-09-17 22:13:18

ANo.3

取りこぼしていること。
「八正道の実践」

投稿日時 - 2014-09-17 21:48:52

お礼

俺は俺自身の正義にのみ生きる。
それがこの世界を滅ぼすことになってもだ。

投稿日時 - 2014-09-17 22:12:37

ANo.2

別世界の住人です。
的外れでも構わず質問する奴なので、敢えてお訊きします。
ゴータマ・仏陀が説きパーリ語で記述されたと云われる「原始仏教」に最も近い「仏典」はどれ?

投稿日時 - 2014-09-17 21:31:42

お礼

瞑想でもしてお釈迦様に直接聞けば解決する。

投稿日時 - 2014-09-17 22:11:42

そりゃ~、真言宗の聖典(性典?)である『理趣経』の17清浄句ざんしょ。

Wikipediaさんから漢訳と和訳を頂戴します。

~~~~~~
1 妙適淸淨句是菩薩位 - 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
2 慾箭淸淨句是菩薩位 - 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
3 觸淸淨句是菩薩位 - 男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である
4 愛縛淸淨句是菩薩位 - 異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である
5 一切自在主淸淨句是菩薩位 - 男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である
6 見淸淨句是菩薩位 - 欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である
7 適悅淸淨句是菩薩位 - 男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である
8 愛淸淨句是菩薩位 - 男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である
9 慢淸淨句是菩薩位 - 自慢する心も、清浄なる菩薩の境地である
10 莊嚴淸淨句是菩薩位 - ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である
11 意滋澤淸淨句是菩薩位 - 思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である
12 光明淸淨句是菩薩位 - 満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である
13 身樂淸淨句是菩薩位 - 身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である
14 色淸淨句是菩薩位 - 目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である
15 聲淸淨句是菩薩位 - 耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地である
16 香淸淨句是菩薩位 - この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である
17 味淸淨句是菩薩位 - 口にする味も、清浄なる菩薩の境地である

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%86%E8%B6%A3%E7%B5%8C
~~~~~~


仮面ライダー、男・プリキュアがこれをどう料理するか、
お手並み拝見です。

投稿日時 - 2014-09-17 21:16:11

お礼

あー、まるっきり簡単だね。
欲望にまみれる生きる屍は、苦に溺れ菩薩の心を破廉恥な行為に見いだす。
しかし真に心の安らかなるものは、このような破廉恥行為でも心を汚すことなく楽しむ。
ありがたいだろう。
これが私の心境だ。

投稿日時 - 2014-09-17 22:10:08

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