出征前の「前夜祭」なんて出来たのでしょうか?
実際に、戦時中の生活を経験したり、話を聞かれた方にお答え頂ければ幸いです。
今朝(2014.1.29)のNHK連続ドラマ「ごちそうさん」で、出征する源太のために、
親しい者達が集まり、「前夜祭」をやって、ごちそうを並べ、冗談を言い合ったり、
歌を歌って聞かせたりしていました。
ドラマとはいえ、こうした「ごちそう」・「冗談」・「歌舞音曲」は、「一億火の玉」で突き進んでいた戦時中、最も慎まれていた筈であり、時代考証的にはありえないことではないか、と認識しています。
勿論、人間、いくら非常時でも、緊張の持続には限度があり、ある程度羽目を外すことがないと、「やってられない」ということにもなり、却っていざと言うときの士気も上がらないんだと思いますが、戦時中は、そうした人間の自然でまっとうな感情にふたをして、掛け声だけで士気を煽ろうとしたんだと思います。
未確認ですが、欧米などでは、そうした人間の感情に配慮して、戦時だろうとなんだろうと、いや、そういう時期だからこそ、人間の自然な感情の発露を容認して、ごちそうや愉快なことや報酬を十分弾んだ上で、戦場に出したから、よく戦えたんじゃないかと思うのです。
実際、出征前の前夜祭のような催しが可能だったのか?
欧米の場合はどうだったのか?
皆が、自然な人間の感情の発露にふたをして、過ごした戦時の状況はどうだったのか?
お話を聞かせて頂ければ有難いです。
投稿日時 - 2014-01-29 19:53:28
>実際、出征前の前夜祭のような催しが可能だったのか?
戦前、甲種飛行予科練習生(予科練)を志願、奈良県丹波市(今の天理市)の海軍奈良航空隊で訓練を受けていましたが、入隊する前夜、散髪屋に行き、頭を丸坊主にして、散髪した短い髪の毛を半紙に包み仏壇に供え、墨をすり、下手くそな筆の字
で「先立つ不孝をお許し下さい‥‥‥‥言々」と父母宛の遺書を書き、封をして仏壇に供え、翌朝「では行きます」と父母兄弟に別れを告げました。(あの時代生きて帰れる見込みは全くありませんでした)
丁度「高校3年生(旧制中学3年生)」(満15歳)のとても暑い日でした。
NHKのドラマは見ていませんが、出征の前夜は「遺書を書くのが精一杯」で「前夜祭」なんて、遺書を書いた経験の無い輩の云う事だと、私は思います。(私はプロフィールの様に80代半ばのジイサンです。)
投稿日時 - 2014-01-29 23:20:56
実体験を語って頂き、有難うございます。
回答者様は、当時15歳という多感でもの思う年頃、しかも未だ酒を飲める訳でもなし、ひょっとしたらもうこれで最後かもしれないと思うと、皆でどんちゃん騒ぎという気にはなれなかったでしょうし、そんな心のゆとりはなかったのでしょうね。まあ、人それぞれ色んな出征のストーリーがあり、中には羽目をはずした方もあったのかもしれませんが、「贅沢は敵だ」という自制心が働き、心から酔える心理状態ではなかったのかも、と思います。やはり、皆が心から酔えるようになったのは、平和な時代になってからなのでは?
投稿日時 - 2014-02-01 23:12:51
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