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解決済みの質問

豊臣秀吉の謎

秀吉さんは、極めて、とてつもなく謎がある。
生涯的な結果論で見れば、優秀と判断できるが、
謎がある。

40才以降の秀吉と、それまでの秀吉とで、同一人物なのか疑問がある。
本当に優秀であったなら、もっと若い頃に成功してるように思える。

なぜ突然成功しだしたんでしょうか?

フィクション的な想像回答もokです。

投稿日時 - 2012-03-11 03:31:03

QNo.7355138

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

「権謀術数」に長けていたという事なんでしょうね。親方様である「織田信長」が「明智光秀」の謀反に遭い、本能寺で自害した報を聞いた秀吉はその時、中国地方へ遠征に出ていましたが、「中国大返し」を敢行し、光秀の首をとっています。これで、信長の家臣の中でも頭一つ抜きん出たわけです。その実績を利用し、織田家乗っ取りを計るなど、まぁ正直言って俺は秀吉は信長の死後は「俺が天下取りに走る」考えていたと思います。

事実、ドラマなんかでは秀吉は信長の「お気に入り」みたいに描写されてますが、、織田信長に仕えて天下統一事業に貢献した4人の武将、通称「織田四天王」に秀吉の名はありません。柴田勝家・丹羽長秀・滝川一益・そして明智光秀です。筆頭は勝家です。だから信長は秀吉には政治的才能は無かったと判断せざるを得ないんです。

信長の死後、光秀を討ち、更に四天王筆頭の勝家を討ち、結局は天下取りに成功するわけです。そういった「戦術・駆け引き」に対しては素晴らしいまでの才能を持ち合わせていましたが、信長の死後はどうも平家並みの「驕り」が出てる様な気がします。「驕れる者は久しからず」。結局、息子「秀頼」の事を案じながら死亡し、家康に秀頼を託しますが、関が原の合戦で徳川方の勝利。家康は江戸に幕府を開き、家康は征夷大将軍になり、乱世は終焉したわけです。

秀吉が大坂に幕府を開かなかったのは、自分でも「政治的才能」は無いと悟ってたんじゃないでしょうか。事実、織田信長が自らの後継と密かに決めていたのは、他でもない、「明智光秀」だったんですからねぇ。信長は内心、光秀の謀反は予想してたと思うんです。幾ら寝こみを襲われたとは言え、アッサリやられすぎです。信長は「後継と目した人物」に討たれ本望だったんじゃないでしょうかね。しかし秀吉が余計な事をしてくれた、と信長はあの世で思ってたと考えます。

投稿日時 - 2012-03-11 12:12:00

お礼

山ほどのキセキが秀吉にはあるけど、
中国大返しも謎だらけですね。
予測していても難しい感じがします。
まず、毛利との和解成功の確率
清水の降伏の確率
道中移動の天候の確率
道中移動のおにぎり手配は実力かな?

車もない時代に足軽がねぇ、早すぎないかな。
光秀ほどの優秀者が腰を抜かす状態ですよね。

これ1つだけ見ても、すごすぎ(--;)

投稿日時 - 2012-03-11 20:13:57

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回答(5)

ANo.5

●信じがたい、運が、怪物。
○話が逆。「結果的に生き残った」に過ぎない。生き残れたから「太閤秀吉」になれたのです。

投稿日時 - 2012-03-11 20:42:45

お礼

結果論とはそうゆうもんかな。

投稿日時 - 2012-03-12 18:02:33

ANo.4

若い頃に成功していなかったとは思えないところですが、40歳頃といえば中国方面を任されたころでしょうか。
緒戦は苦戦の連続ですが、次第に毛利氏に対して優勢になっていきます。といっても秀吉の独力ではなく、状況に応じて織田信忠・信雄・丹羽長秀・荒木村重の加勢などなど信長から支援を受けています。しかも優勢を確立した背景には、畿内や他方面での織田方の勝利が背景にあります。
織田家全体が優勢になったから、秀吉の戦略も有利に進むようになったのではないかと。

投稿日時 - 2012-03-11 19:17:39

お礼

秀吉の若い頃は落武者の鎧やらハコボレの刀とか拾ってたようです。
畑仕事も手伝わず、居候のプータロー。
こんな人が突然に天才になるのは変だよねぇ。
字とか書けたのかな?
得意技は、ホラ吹きのみ。

信じがたい(-_-;)

投稿日時 - 2012-03-11 20:34:17

ANo.3

「突然の成功」については既回答のとおり。
そもそも「40才の時に入れ替わった」と考えてしまうのは「秀吉が後に天下を獲って関白になった」という「後世の歴史事実」を知っているからです。
秀吉が40歳の段階で「入れ替えなければいけない理由」がありません。

投稿日時 - 2012-03-11 12:41:56

お礼

乱とゆう映画があります。

あの映画では戦闘シーンは3個ほどです。
3個の戦シーンを見ても迫力満点です。
流れ矢、鉄砲と凄まじい。

秀吉は100以上の戦場
浅井朝倉連合のシンガリすらしのいでる。
信じがたい、運が、怪物。

投稿日時 - 2012-03-11 20:24:06

ANo.1

私は、歴史小説が好きでよく読むのですが、この質問に関しては

フィクションより歴史的事実が大きいと思います。

秀吉は、40歳頃に実子を失い、織田信長の四男である秀勝を養子に
迎え、織田家準一門になっています。

これにより秀吉の弱点である家柄を得たのです。これは大きいと思います。
武士同士の下剋上は認められても農民に武士が命令されるのは抵抗が
大きかったと思います。
織田信長も秀吉の才覚を買っていても累代の家臣を無視して作戦上の
指揮官には出来なかったのを一門に加えることで家臣を黙らせる効果も
あったと思います。
更に、狡猾なのは黒田、山本の名軍師を採用したことで秀吉個人の作戦
ではなく軍師の知恵であると旧家臣たちに思わせる効果も狙った可能性
も考えられます。

結果としては40歳以降の功績は本来持っていた秀吉の実力が本格的に
発揮できる環境になったと言うことではないでしょうか。

その後の戦闘記録に置いても軍師よりも秀吉の権謀術数が勝って居る様に
感じます。

投稿日時 - 2012-03-11 04:56:46

お礼

秀吉の人生は神がかりてき。日輪の輝き
とてつもなく常人とは思えない。
頭が良いとかのレベルをこえてる。
とくに、武運の部分
1回や2回なら、偶然かもしれませんが
そんな秀吉が若い頃は、さっぱりですから。
竹中はんべいなのかな。
墨俣の時は自力だよねぇ。

投稿日時 - 2012-03-11 20:01:51

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