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中国と日本の関係(中国史概説)

授業の内容がどうにも理解できず以下の内容が分かる方ご教授頂けないでしょうか。

1、西洋によるアジア侵略の衝撃を受け、中国と日本はそれぞれ違う道を歩んだのか。朝鮮を植民地にしようとした日本は、伝統の礼秩序を維持しようとした中国の間に何が起こり、それによって、東アジア諸国の関係はどのように変化したのか。

2、対華21か条の要求から、満州事変、日中戦争への突入に至る日本の侵略拡大において、日本のアジア主義はどのように変質したのか。日中関係にどのような影響を与えたのか。

分かりやすくまとめたつもりですが、分からない部分があればご質問よろしくお願い致します。

投稿日時 - 2012-01-22 15:44:48

QNo.7259870

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質問者が選んだベストアンサー

中国と日本だけを見て、日中関係を認識するのは不可能です。そういう時代は、邪馬台国の卑弥呼の時代で終わっています。

特に近代においては、南下政策をとるロシア帝国を無視して日中関係を理解しようというアプローチはナンセンスの極みというほかない。
現在、ロシア領の沿海州と呼ばれている地域は歴史的には外満州と呼ばれ、騎馬遊牧民族や北方少数民族が住む土地でした。清の時代には清の領土だったのです。一貫して漢民族の領土だったわけではないが、清の時代には中国の領土になっていたという話です。その外満州が1858年にアイグン条約によって清とロシアの共同管理地に定められます。それまでロシア帝国はバルカン半島方面の南下政策を推進してきましたが、1853年から1856年にかけてのクリミア戦争で英仏を味方につけたオスマン帝国に破れ、南下政策の矛先をバルカン半島方面から極東方面に切り替えたといったことなのです。ロシアはバルカン半島方面で南下しすぎて英仏が持つ利権と激突する羽目に陥った。それが英仏がオスマン帝国側で露土戦争に介入した理由です。英仏を敵に回しては勝てないと察したロシアはそれから極東方面に眼を向けた。その手始めがアイグン条約なのです。さらに2年後には北京条約を強要して、外満州をロシア領にしてしまいます。共同管理地というのは一時の方便で、侵略を既成事実化する為の方便だったのです。ロシアはまったく同じ手口で樺太も侵略しました。1855年の日露和親条約で樺太はこれまで通り、両国民の混住の地と定められて明確な国境線は引かれませんでした。しかし江戸時代を通して樺太アイヌが居住する南樺太は、松前藩が統治していたのです。樺太は北部・中部がウイルタ・ニブフなどの北方少数民族が居住し、南部が樺太アイヌが居住していました。そのように樺太は外満州と似た地域事情で狩猟・遊牧を伝統的生業とする原住民はついに近代国家を形成しなかった土地柄でありました。しかし弱小大名に過ぎない松前氏に無頼のロシア人の樺太侵略を食い止める力はありません。それは幕末の徳川幕府にとっても同じことでした。徳川幕府は日露和親条約でお茶を濁すしかなかったわけです。明治維新で明治政府が樺太に眼を向けたときは既に手遅れで、日本は1875年の樺太千島交換条約でロシアの樺太侵略を容認せざるを得ませんでした。ロシアの強大さと歴史的経緯を知らない当時の日本国民は樺太千島交換条約を屈辱的な売国政策だと非難しましたが、北海道さえ寒くて開拓していなかった当時の日本に樺太を防衛することは所詮不可能だったのです。元々、寒冷な国土で育ったロシア人にとっては樺太でさえ温暖な気候に感じられるのに対して、寒がりの大和民族に樺太で暮らすことなど不可能です。北海道でさえ冬の寒さに耐え切れず、開拓団から夜逃げする農民が後を立たなかった。江戸時代は大和民族が樺太で越年する時は松前奉行に越年届けを出すしきたりがあったぐらいです。そういうことを知らない無知蒙昧な日本国民は、むざむざと領土をロシアに売り渡す売国奴だ、国賊だと当時の政治家を罵倒したのです。

日中関係を理解するには、ロシアの南下政策だけでなく、話の通じない愚かな日本世論も理解する必要があります。

日本と清は李氏朝鮮で甲午農民戦争を機に対立を深め、日清戦争に至ります。[伝統の礼秩序を維持しようとした中国]と教えている教師もいるのかも知れませんが、伝統の礼秩序などとっくの昔に破綻しています。アヘン戦争、アロー戦争、清仏戦争と清は連戦連敗で、英仏との外交のトラブルにロシアに便乗されてアイグン条約、北京条約で外満州を失っていた。維持するも何も伝統の礼秩序が欧米列強に通用しないことははっきりしていたのです。それを性懲りも無く清は李氏朝鮮の宗主国という面子に拘った。しかし日本にも面子はあった。そういう対立が日清戦争なのです。

ところが皮肉なことにそれがロシアに乗じられることになってしまった。三国干渉で独仏を誘ってロシアは遼東半島を清に返還させた。ロシアはその見返りに内満州での鉄道敷設権、遼東半島の旅順・大連の租借権を清から獲得したのです。南下政策をとるロシア帝国を無視して日中関係を理解しようというアプローチは当時の日本も侵した過ちだったのです。

ロシアは、1894年の露仏同盟でフランスを味方につけて、フランスの資本と技術支援でシベリア鉄道敷設を推進しました。沿海州のウラジオストクがシベリア鉄道でモスクワと直結するだけでも日本の安全保証が脅かされるというのに、旅順・大連まで結ばれたら、日本の独立は風前の灯と呼ぶほかはない。

無知蒙昧な日本国民は勝った勝ったとはしゃいでいたけど、実際には日清戦争は血を流してロシアの南下政策を助けた愚かな外交政策の失敗でありました。その失敗を取り返すことが日露戦争の意義だったのです。

日露戦争はそれだけでなく樺太千島交換条約で手放した南樺太も奪回するという成果を挙げました。ロシアの極東方面への南下政策をくじいたのは大変な外交政策の成果であったにもかかわらず、無責任なマスコミは賠償金が取れなかったことを指摘して、屈辱外交だ、小村寿太郎は売国奴だと罵倒し、無知蒙昧な日本国民は暴徒と化して日比谷焼き討ち事件を起こしました。露土戦争で散々露西亜に煮え湯を飲まされ続けていたオスマン帝国は日本の快挙に手放しの賛辞を送った。またそれが欧米列強から日本が認められることになり、不平等条約の改正の成功にもつながったのです。

ところが日露戦争で極東方面の南下政策を放棄したロシアは再び、バルカン半島方面の南下政策を推進し、それがバルカン戦争、第一次世界大戦の原因となり、日英同盟でイギリスに世話になった日本は国際社会の荒波にもまれることになる。

ちなみに日露戦争では清は我関せずと何もしませんでしたが、日本人は血を流して内満州に駐留するロシア軍を追い払ったことが、日本国民に内満州を清が放棄するなら、代わりに日本人が進出しても良いのではないかという感情を起こすことにつながったのです。

こういった歴史的経緯があるにもかかわらず、日本の侵略とはなんたる言い草なのでしょうか。日露戦争で血を流して内満州をロシアの侵略から守ったのは中国人だったのでしょうか。それとも日本人だったのでしょうか。

江戸時代260年も鎖国をしていた日本の外交政策は稚拙なもので、百戦錬磨、海千山千の狡猾なロシア外交に比べて幼稚極まりない単純な政策で、必ずしも成功ばかりだったわけではありません。日清戦争という表向きは勝利を収めたにもかかわらず結果的に大失敗だったこともあります。しかし国際社会の荒波の中で、ロシアの南下政策に対抗しようとして精一杯頑張った歴史は率直に評価しなければならないだろうとも考えています。

私は質問者さんが受けた授業は受講していないので、実際のところ何を吹き込まれたかは承知していません。しかしながら、日本の偏った歴史学はデタラメなのだと断じてはばからないのが私の立場です。

投稿日時 - 2012-01-23 20:40:24

お礼

遅くなりました!
詳しく記述して下さってありがとうございました!

投稿日時 - 2012-07-20 20:56:08

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回答(4)

片方だけから考察すると、そのような授業内容にになるのでしょう。
#1回答者:misawajp さんの回答の通りですね、授業内容が理解
出来ない、疑問に思うのは、多角的な物の見方をされている質問者様
であれば自然な姿かと・・・

団塊の生まれである私は、戦争の体験は有りません、母と祖父は、
関東軍が逃げた満州から、8ヶ月かかって徒歩で命空柄、帰国して
来ました。
その二人を含めた、引揚者の話と、自分なりに学習した事を併せて
考察すると、#2回答者:hekiyu さんの回答に概ね賛同します。
負の遺産が今も問題になりますが、人間の歴史はこれの繰り返しで
無くなりませんです。
明治生まれの祖父の人生の大半は戦争でした、その祖父が「戦争は
いかん、日本の庶民も戦争の犠牲者なのだから」と言い残して、
亡くなりました。

投稿日時 - 2012-01-23 12:25:36

お礼

遅くなり申し訳ありません><
確かにちょっと疑問が多く残る講義だったので質問させて頂いた次第です。

ご回答ありがとうございました^^

投稿日時 - 2012-07-20 20:55:15

ANo.2

1,中国は曽国藩・李鴻章・左宗棠・劉銘伝・張之洞らが
  洋務運動を押し進めようとしましたが、
  内部の権力闘争などで足を引っ張られ、上手く行きませんでした。
  それに対して、日本は成功しました。
  違い、といえば、そんな処でしょう。

  日本は朝鮮を植民地にしませんでしたよ。
  朝鮮から頼まれて併合しただけです。
 
  尚、日清戦争は朝鮮半島を巡る戦いでしたが
  日本は朝鮮を独立させようとしました。
  その意図は、独立させないとロシアに占領される
  しまう怖れがあったからです。

  あそこは日本とは目と鼻の先の隣国です。
  半島にロシアの軍事基地が出来たら、日本の安全保障
  はどうなるか、子供にも判ることです。
  半島を中国の属国にさせたままでおいては、朝鮮は
  ロシアに占領されてしまいます。
  それを阻止するために、日清戦争を起こしたのです。
  中国は、独立させたのでは、属国が失われ為、渋々
  戦争に応じました。

  日露戦争も、その延長と言えるでしょう。
  日韓併合はその仕上げです。
  だから日本は赤字を出してまで、教育港湾などの
  インフラを懸命に整えて、韓国を強化しようとしました。

  このお陰で、今の韓国があります。
  これは、戦後、日本を防共の防波堤にすべく、米国が経済援助
  したのと同じ図式です。

2,変質などしていません。
  露寇事件、アヘン戦争、日清日露戦争、大東亜戦争
  と、日本は一環して、西洋列強の
  侵略に備え、戦ってきたのです。
  日本があの大東亜戦争を起こさなかったら、満州や
  半島はロシア領になっていて可能性が高いと思います。

投稿日時 - 2012-01-23 08:34:23

お礼

遅くなりました!詳しいご回答ありがとうございました^^

投稿日時 - 2012-07-20 20:53:52

ANo.1

質問者が偏見を持ってまとめたのか、教師が偏見を持って授業を進めたのか

偏見過多、自虐史観に毒さたあまりにも表面的過ぎる受取り方です

投稿日時 - 2012-01-22 19:32:42

お礼

ご回答ありがとうございます。多少違うところはあれどそのままの言い方です。

投稿日時 - 2012-01-22 23:37:30

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