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解決済みの質問

キリスト教徒の方にお尋ねします

今年の夏休みにキリスト教徒の方達と数日間過ごす機会がありました。
とても優しい人達で楽しく過ごせることができました。彼らはとても信仰が深く、食事の前のお祈りや聖書の時間なども取っていてそういう習慣がない僕にははじめ少し戸惑いましたが良いなとも思いました。
しかし一つ疑問があったのですが聞くことが出来ないままに帰ってきてしまいました。
それはキリスト教の「あなたこそが神」というのはどんな意味なのか、ということです。
それは
・私にとってあなただけが神という意味
なのか
・仏教などその他の宗教はでたらめであなたしか存在しないですよ

という意味なのかどちらなのでしょうか。
僕は特別に信仰はないのですが、多様な宗教があることはいいことだと思うんです。神の存在というのもあると思います。だけどどういう形でいるのかは判断しにくいしどちらかというとアミニズム的考え方のほうがしっくりくるんです。キリスト教の良さがなんとなく分かりましたが他の宗教に排他的であるならばちょっと ?? という感じがするんです。もちろん宗派によっても違うかもしれないですが。

議論する気ではなくただ知りたいだけなのでキリスト教徒の方もしくはキリスト教に詳しい方回答よろしくお願いします。

投稿日時 - 2003-09-08 21:06:06

QNo.649990

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

おおよそ、aminouchiさんが答えられた通りだと思いますが、聖書の、特に旧約聖書に登場する神は、かなり人格的な特徴を持っています。そのひとつの特徴として、「ねたむ神」、つまり、人間が自分以外の存在や偶像を神として崇めることを、非常に嫌う姿が書かれています。モーセの十戒にもそれが反映しています。ですから「あなただけが唯一の神である」ことを信じているという告白は、キリスト教での最も大切な信仰告白のひとつだと考えられています。
しかし、これは私の考えですが、そのような信仰が、他人が他の宗教を信じることを否定するべきではない、と考えています。
マザーテレサが、本人はカトリック信者でありながら、死にかけている人を見つけたときまずその人の宗教を聞いて、その人が亡くなったとき、その宗教で葬式をしてあげていたことは有名ですね。

投稿日時 - 2003-09-10 00:59:56

お礼

人格的な神だったなんて僕は何にも知らなかったなー!と思いました。旧約聖書から受け継がれている性格的な面が大きく影響しているのですね。マザーテレサのエピソードはびっくりしました。人種間の対立が表面的に影を潜めその代わりに文化や宗教の対立が浮き彫りになってきている昨今、宗教に多様性を認める価値観は必要なことだと思います。そしてそのような時代だからこそ無宗教という一見宙に浮いてみえるような人々が、対立間を共存しあえるような環境を整備する手助けになればいいと思います。そのためには理解が必要だし理想の話ですが。

投稿日時 - 2003-09-10 09:27:19

ANo.6

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回答(6)

ANo.5

私はキリスト教徒ではありません。

tomoflyさんが一緒に過ごされた方たちが「あなたこそが神」と言う場合、どのように言っているのでしょうか。多分、この言葉をお祈りの中で言っているのであると思われます。

とするならばこれは、信徒が神様に向かって「(私の信仰している)あなたこそが(唯一の)神(である)」と言っているのであってす。「私にとってあなただけが神という意味」という方が「仏教などその他の宗教はでたらめであなたしか存在しないですよ」よりも真意に近いですが、実はどちらでもありません。

キリスト教の(ユダヤ教とイスラム教でも同じですが)信仰の根本のひとつに「モーセの十戒」というのがあります。これは神がユダヤの民の指導者であるモーセに授けたもので神の10個の命令です。その第一は「あなた(注:ユダヤ人たちのこと)はわたしのほかになにものをも神としてはならない」というもので、ここにほかの神を信仰してはならないことを明確にしています。

さて、「あなたこそが神」という言葉はこの第一戒に対するものであり、彼らにとっては単なる事実を述べているだけのことでもあり、神に対する信仰告白の性質をもっています。さらにまたキリスト教信仰において、人間は神の被造物でありますから、人間の意志は最終的には問題となりません。つまり「私にとって」などと神に対して言うことは非常におこがましいことを言っていることになります。

ついでながら、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は同じ神を信じています。
また、キリスト教内部では、東方教会と西方教会(ローマ・カトリック、旧教ともいう)があり、後者から分離独立したプロテスタント(新教)があるというように大きく分けられますが、さらにまた細かくいくつかに分けられます。が、その中のいずれにしろ、唯一絶対の神を信仰しますから、他教および他派に対して排他的となります。

投稿日時 - 2003-09-09 21:20:11

お礼

とても分かりやすい回答ありがとうございました。

モーセの十戒に記されている命令に対しての言葉なのですね。おっしゃっていることがよく分かりました。
今度過ごした方々の教会でキリスト教入門コースが開かれるので出てみようか考えています。僕ははじめに書いたように無宗教の人間ですが、宗教を肯定しますし客観的に興味があります(大学の専門が社会学で宗教対立なども勉強しています)。仏教の場所にも行ってみたいと思います。そういう中で自分にプラスになるものを身につけられたらいいなと考えています。

そこでもう一つ質問なのですが教会の入門コースに僕のようにかなり客観的な見方をする人間が入っていっても大丈夫でしょうか。入門コースには誘っていただき、信仰がなくても大丈夫と歓迎してくださっているのですが僕の意思がかなり固いので彼らが入信を見越して誘ってくださっているならがっかりさせることになるのではないかと少し不安です。入信ではなく興味と教養のために行こうと思うのですが上に書いたようなことをあらかじめ言っておいたほうが良いでしょうか。

再度お返事を求めることになりすみません。aminouchiさんはキリスト教徒ではないとのことなので回答しかねるかもしれませんが回答いただける範囲でしていただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。

投稿日時 - 2003-09-10 00:32:45

ANo.4

> それはキリスト教の「あなたこそが神」というのはどんな意味なのか、ということです。

あなたが疑問を抱かれたフレーズは、キリスト教徒全般に浸透した常套句ではありません。まして、キリスト教の教理でもありません。

たぶん、あなたがご一緒されたクリスチャンの方々の信仰心から発する個人的な思いが、そのようなコトバになったのだと思います。
ということで、コトバの意味を正確に理解されたいのなら、その方々にお聞きになるのが早道ですが、少なくとも、排他的な意味で口にされたのではない筈です。

キリスト教は、本質的に、ものすごく自由度が高くて、(ある一つのことを除き)何でもアリですから、凡人はみんな困惑してしまうと思います。(他の宗教に対しても、排他的になることなどあり得ません。人間界では何が起こってもオカシクないからです。)

だから、クリスチャンを自負する人たちの大多数は、自分で自分の心や言動にタガを嵌め、いたずらに禁欲的になったり、信仰を論理や学識で計る傾向が出てきます。そうしないと不安なんです。これはキリスト教の問題というより、明らかに個々人の価値観とか能力の問題だと思います。(すみません。蛇足でした。)

投稿日時 - 2003-09-09 13:07:59

お礼

質問のフレーズは日曜日の集会のような会で歌われていましたし確か言っていたとも思います。キリスト教は自由度が高いとは今まで僕が抱いていたイメージとは大きく違いました。
僕が過ごした人達はいつも感謝の心をもっていてそれが行動にも表れているのですごく感心しましたが、もしキリスト教徒になったら色々信仰上の都合でお祭りに行けなかったり運動会に出れなかったりなどの縛りがあると彼らからではないですが、聞いています。

最後の行の部分はやっぱりキリスト教の問題ではなく個人や団体の問題なのですね。丁寧な回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2003-09-10 00:09:57

ANo.3

tomoflyさん、こんにちは

キリスト教徒にとっての神は
全世界の創造主、であって唯一絶対の存在です

自分を含め、全世界、全宇宙の創造者であり支配者であるので、唯一であり絶対的存在という考えです。

排他的と考える方もおられると思いますが、「あなたのお母さんは世界に一人だけで、世の中に同じような素晴らしい女性がいるのに、一人しかその存在を認めないというのは、排他的で独善的だ」という人はいないでしょう。そのように考えていただくと理解しやすくなるかもしれません。

投稿日時 - 2003-09-09 08:44:21

お礼

なるほど。自分や周りのものを創り上げたものとしての神なのですね。そういうところは日本の伝統的な、例えば「山の神」のような価値観とは違いますね。う~ん。奥が深いなあ!ありがとうございます!

投稿日時 - 2003-09-10 00:01:55

ANo.2

あぼ~ん です。


すいません、偉そうです。

キリスト教は、一神教です。
ただ、キリスト教のいうところの神と、
神道とかでの神では、
概念の違いというか、定義というか、
まあ、存在とかも含めて全く違うわけです。


議論を呼びそうなので深追いしませんが、
ようは人間、自分の心と一緒に、神という存在があればいいわけで、
人智を超えた存在であっても、
あるいは親や先祖の存在でも、
それは、どちらでもよいのではないかと思います。

投稿日時 - 2003-09-08 21:27:29

お礼

キリスト教と神道の神は全く違うってすごく興味あります!最後のところは僕もそう思います。宗教って奥深いですね。ありがとうございます!

投稿日時 - 2003-09-08 22:05:14

ANo.1

キリスト教は一神教ですから、
>私にとってあなただけが神という意味
でしょうね。

逆に日本の神道なんかは多神教ですね。神様が沢山居ます。
八百万(やおよろず)の神ってぐらいですから。神様だらけ。

投稿日時 - 2003-09-08 21:18:04

お礼

一神教は私にとってという意味ですか。日本は神様だらけですよね。「千と千尋」みたいに。ありがとうございます。

投稿日時 - 2003-09-08 22:01:54

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