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 聖書にいうことばとは

 聖書にいうことばとは

 http://bible.monochro.com/index/28439/#ln28441
 にヨハネによる福音書があります。
 ここで
  1)初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
  2)この言は初めに神と共にあった。
  3)すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
  4)この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。

 【質問1】上記に書かれている“言”とは、私は従来“ことば”と読むと思っていましたがそれは間違いでしょうか?“ことば”ではなければ何なんでしょうか?


 創世記11章
 http://bible.monochro.com/index/2/#ln301 では
 その1)、6)、7)では“言葉”という語が使われています。ヨハネの福音書に“葉”がついているのです。

 【質問2】“言”と“言葉”の違いはなになのでしょうか?

投稿日時 - 2010-09-09 10:49:07

QNo.6169458

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

聖書は過去のいろんな文献の寄せ集めプラスアルファな訳ですが、書いてある事をそのまま受け取ってはいけません。
元々のヘブライ語を英語等に訳す際に、似たような意味の言葉を探したりしていますから。
例えば神は6日で世界を創造し7日目に休んだとされますが、ベーダの古い文献等には人間の一年が阿修羅の一日、阿修羅の一年がデーヴァの一日、デーヴァの一年がこの宇宙の神ブラフマーの一日、ブラフマーの一生(この宇宙の始まりから終わりまで)がヴィシュヌの入足から出足、では全ての宇宙の根源であるクリシュナの一日は?
というように、実は一筋縄では行かないのです。
ちなみに質問については、言葉の響きのもつ力のことでしょう。
その言葉は、ある宗教団体のせいで使いにくくなりましたが聖音オームの事でしょう。
キリスト教になるとそれはアーメンになり、仏教になると南無になり、エジプトではアメンとなります。
まあ、何処にもそんな事は書いていませんが。

投稿日時 - 2010-09-09 12:59:37

補足

 igunitionさん、ありがとう御座いました。


 はい、そしてチベットではフームというvibrationになり、ヒンドゥ(Self-Realization Fellowship)の思想ではオームやAUM(創造、維持、そして破壊という創造の原理)となるようです。

 ありがとう御座いました。

投稿日時 - 2010-09-11 18:08:51

お礼

 空山庵さん、早速にありがとうございます。兵庫はどういうわけか私も実はご縁のあるところでして。
 ちょいとお仲人した方が加古川市ご出身であり、今のSelf-Realization Fellowshipの精進に入るきっかけも西宮の方でもあります。
 私自身は70数年前の浅草生まれ育ちで、外には出ていませんが。
 
 前半の聖書の生成過程のお話は理解できました。
 でも“言葉”と“言”の区別と意味がどうも分りません。
 仰せの“言葉の響き”、これは多分“アーメン”のことなのでしょうが、ヨハネによる福音書のいう“言”のようですね。
 
 実はこの“言”と創世記11章にいう“言葉”とは異なるものなのかどうかについての質問なのです。
 
 多分、 languageとvibrationとの違いなのでしょうが、その確認をしたかったのです。
 ご都合がついたら、またお教えいただけますように。
 ありがとう御座いました。
 

投稿日時 - 2010-09-09 17:30:30

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回答(7)

ANo.7

何度もすいません。

蘇る神殿って小説があるんですね。

ある哲学者が書いたミステリー小説で、この哲学者の父親は高名なラビで大学教授だそうで、恐らく小さい頃からユダヤ教に触れて育ったフランス人だと思う。

フランス人ですが、自分の中にイスラエルの血が流れていると感じてはいたんじゃないかと。
この哲学者 超美人なのですが、その外見とはうらはらに、ダ・ビンチ・コードに出てくるグロテスクな描写を本の中でしているんです。

うわーーって引くような描写。

で、この人の2作目が蘇る神殿で、ヘブライ文字について主人公に騙らせているんです。
22文字がどういう概念を本来持っているかって。

ネタバレすると、この主人公がメシアで、黄金の門より入り、神の前にたち神を実体化させるために、ヘブライ文字を読み上げていくんです。

メシアが黄金の門より入り神の前に立つとき みたいなことがユダヤ人の伝承として語り継がれている。

それはまだ来ていないとしているが、筆者は小説でそれを描いてみせたわけです。

ユダヤ教に沿ってというより、ヘブライ文字とな何か、文字を実体化するということはどういうことなのかを描いている。


1作目はヒットしたんですけど、2作目は実際のユダヤの歴史が織り交ぜられており、歴史に興味が無い人にとっては、つまらないものとしか思わなかったみたい。
だからレビューを見ると1作目のようなスリリングさが無いってなっている。

3作目は日本が舞台らしいんですが、残念ながらフランス語かスペイン語でしか出版されていない。
文字を実体化させる集団が放浪の末日本にたどり着いたという内容だと思う。
(フランス語を英語に翻訳して、あらすじを知りました)

で、日本の天皇は言霊を操る人ってなってますよね。
言霊 別の呼び名ではマントラ。

だから天皇は公式の場では必ず文字を読み上げているわけですね。

天皇が文字を読み間違うと、とんでもないことになる。
実体化させる力がある人が読み誤り別なものを実体化させちゃうと。。。。。


ここらあたりがヒントになるかも。

投稿日時 - 2010-09-11 09:43:03

お礼

 面白いですね。
 マントラ、天皇なる祭祀者のことば。そして真言。
 今、この言霊をどこまで真実在させうるか。
 
 これは多分、現代知性に通じる言語の系統に属する、認識と紡ぎの論理や概念ではないようですね。

 精妙を極める、force。
 蔽っていた神の霊の系統ですね。

 これの形象化と操り、操作は大変な秘密教の世界ですね。

 ありがとう御座いました。

投稿日時 - 2010-09-11 18:05:08

ANo.6

【質問1】について。

聖書の創世記の出だし。

『地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。』

霊はヘブライ語でルーアハ。エローア(ハ)と同じかな?
これ読むと、卵子の回りを精子が漂っているのを想像しちゃう。

エヌマエリシュの最初も同じような感じですね。

新約聖書はギリシャ語。
ギリシャ語だとロゴスってなっています。

ロゴスは多義的なのですが当時のロゴスという言葉は概念、意味、論理、説明、理由、理論、思想。
他には<言語、論理、真理の意味。転じて、「論理的に語られたもの」「語りうるもの」という意味で用いられることもある>とwikiにありますように、見えないけど、存在しているもの とかそういう意味で、古代ではそれを神からの言葉 すなわち預言としたんじゃないかと。

だからモラルを神から与えられたものだとして、モーセの十戒などを預言としたんじゃないかと。
(モーセの十戒はエジプトの死者の書からきています)


>ヨハネの福音書に“葉”がついているのです。

んー 要するに木があってこれが柱で、そこから枝が伸びて葉っぱが繁ってますよね。
預言は神から伸びて葉っぱとして人間が知覚できるものに変化して  みたいな?

だから普通の言葉じゃなくて、十戒のような言葉のことじゃないかと。

ティアマアトが石版をアプスーはキングーを選んだとき与えましたよね。
石版とは預言(未来を予知する予言じゃない)のことじゃないか と。


ヘブライ文字って子音しかないので、文字を実体化させるために母音をつける。
母音をつけて発音することで、他者に音で伝えることができる。
口から葉っぱがヒラヒラ出ているような感じ?
ただし、預言を読むときだけで、日常会話で発声するのとは違う。
日常会話と宗教文字は違ったらしいです。

会話の言葉は前からあったのですが、文字が発展して、現象を文字化していって、聖職者だけが使っていたのですが、一般人にも識字率があがっていき、文字が<意味を持つ記号>から、<他者に伝達するための道具>に変っていったらしいです。

ヘブライ文字を読むとき、その記号の持つ意味を知っている人と、知っていない人では同じヘブライ文字を読んでも違う内容になってしまう。

意味を知っていたら、子音に母音をつけて文字を実体化するとき、母音をつけ間違わない。
母音をつけ間違うと、文字は実体化しない。

とされたんです。

そういう読み誤りが起こることを危惧したわけですが、ちゃんと口伝で正当な人から訓練を受けているひとなら読み間違わない ってことで、羊皮紙に書いていたらしいです。

大祭司の言った言葉を写字生は書き写すわけですが、舎字生も相当宗教に詳しくないと、書き留められないってわけですね。

さらに相当詳しくないと、スクロールを読む読み手は、写字生が書いたコピーを読んでも理解できないってことですね。



質問2は、、、
日本語で考えるんじゃなくて、ルーアハとは何かを考えればいいんじゃないかと。
事だろうと言葉だろうとロゴスだろうといいんです。
古代の人は何をルーアハとしていたかが重要じゃないかと。

投稿日時 - 2010-09-11 09:28:46

お礼

 木胡桃さん、度々ありがとう御座います。

 聖書という思想を離れても、所謂るロゴスや言語などはどちらかというと【なにごとのおわしますかはしらねども】というものとは違って、知的次元ですね。
 これをヒンドゥの思想の一つである、私達のSelf-Realization Fellowshipの教えでは、区分、個別化の知性(聖ヴィアサが象徴する。 バガヴァッド・ギータの著者として伝承している。)であると教えています。

 ですから創世記11のバベルの塔の言葉はこれになるのだろう。
 人間の知性という怠惰でおっくうがりの機能を積み重ねて神に届こうとすることの愚かさかと。
 天界ではそういうことに、呼応してくれるのですが、機能的には天使という能力がそれなんでしょうね。
 その一つがまぁヴィアサとか、何とか。
 ギリシャ語だとロゴスってなっています。

 正に【ロゴスは多義的なのですが当時のロゴスという言葉は概念、意味、論理、説明、理由、理論、思想。
他には<言語、論理、真理の意味。転じて、「論理的に語られたもの」「語りうるもの」という意味で用いられることもある>】だと存じます。

 ヨハネの言の方は、これとは違うようだという思いで、確認と裏づけのために質問させてもらいました。

 ありがとう御座いました。

投稿日時 - 2010-09-11 17:57:38

ANo.5

マタイ、マルコ、ルカはもう通過したのですか?さすがですね。

投稿日時 - 2010-09-10 20:53:20

お礼

 天軸さん。
 決して聖書のどこも通過なんかできないですよ。
 どうぞいじめないでください。やはりマタイ、マルコ、ルカも関連しているのですね。
 これからもどの聖典であれ、決して通過しきるなんてことは思いもよりません。

 ありがとう御座いました。

投稿日時 - 2010-09-11 17:40:29

ANo.4

>【質問2】“言”と“言葉”の違いはなになのでしょうか?

プロテスタントのクリスチャンです。モルモン教、エホバの証人、統一教会とは関係がございません。と自分の立場をお伝えしまして、見解を述べさせていただきます。ただし神学者ではございません、また聖書を原語で読んだわけでもなく、また日本語の聖書を全編読んだわけでもございません。

聖書は実に100言語以上の言葉に翻訳され、日本語に翻訳されたときにも言葉とか言とかに訳されたと思います。また、英語の現代訳聖書などではほとんどthe Wordと大文字で書き始められています。いずれにしましても聖書の原典から異なる100以上の訳が存在するということは、表面的な“言葉”という言葉が真理や事実を導くための一要素にすぎないか、真理や事実の一部を述べているに過ぎないと思われます。聖書がどのような言語にも訳されているということは一つ一つの訳には多少の偏差をみとめているからに他ならないと思います。

神は私ども人間が自由に翻訳して、多少の間違いを経ても最終的にはイエスキリストに到着するために聖書を人の手を通して与えられたと考えます。

つまり「言」や「言葉」を「なにか語られて意味をなすにいたった」ものと考えることができます。従いましてご質問に対しては読まれる方が今までの言語経験から導き出される意味として読み続けてよいのではないかと存じます。そうでなければ翻訳などという作業は誰にも許されることではなくなってしまうと思います。

聖書の言葉がいい加減であると困りますが、聖書の最終目的は神は愛であり、その愛はすべての人が受けることができるように語られており、それを受けて平安と希望に満ちた生活を送ってほしいということを教えるための書かれています。そのような人生が手に入らないのであればそれは聖書の読み方が間違っているか、曲解しているからにほかなりません。

従いまして、ご質問への答えは意味は同じですが、表現形式が異なるともうしあげることができます。

文字面よりも内面に潜む真実に目を向けれれますようお祈り申し上げます。

投稿日時 - 2010-09-10 16:46:22

お礼

 cincinnatiさん、ありがとう御座います。


 信仰という基本において、聖書に対面すればいいのであって、一々の瑣末なことにあまり捉われることは重要ではない。
 ということは私もそのとおりに存じます。

 まことに翻訳とは著作するのに類似するかのよう責任と難しさがあるものですね。

 ありがとう御座いました。

投稿日時 - 2010-09-11 17:37:39

ANo.3

詳しくないので憶測です。

“言”は観念(理解方法、意識の内容)のことでしょうね。

視覚を使った伝達方法は文字ばかりではなく、
ちょっとした表情しぐさからも、
手話やパフォーマンスにもあり
言語体系が確立する以前から使われていたのだろうと
容易に想像できます。

観念を音声化していって「言葉」が確立したものなのではないでしょうか。


“光”は実在観念の「自己満足」かも。

投稿日時 - 2010-09-09 15:03:36

お礼

 miko-desiさん、ありがとう御座いました。

 一方は言語としての音声以前の観念であり、もう一方はその音声化した言語、 languageということなんですね。

 そういう理解も他のご回答と矛盾しませんね。

 ありがとう御座います。

投稿日時 - 2010-09-09 17:40:17

こんにちは、

今日はこれで二度お目にかかります。

こちらの質問もかなり難しいです。

日本語の聖書を一度も読んだことがないのと、日本語は論理的な説明をするのに適していないのでうまく説明できるか自信がないのですが。。。

A) このヨハネ書(以下John)は他の福音書と違って、ギリシァ人への布教を意識して書かれたものだと言われています。

ですから彼がここで”言葉(Word)”を引き合いに出したのは偶然ではありません。自他共に許す哲学好き、論理好きのギリシァ人の心を捉える表現です。(同じく非ユダヤ人である私達には非常に意味のある福音書です。)

B) また、創世記で神は”光あれ”という言葉で光を、”昼と夜を”という言葉で日夜を創りました。

ヘブライ語で”言葉”は創世の手段、預言者を通じて人々に下される神からのメッセージ、神のおきて、そして神の神聖ささえ現します。

C) そして最も重要なのは、この”言葉”はキリストを暗喩しているということです。
私の聖書には、

1:2 彼(キリスト)は神とともに始まりの時から存在した。
1:3 神は全てのものを彼(キリスト)と共に創り出した。
1:14そして言葉(キリスト)は人間となり、私達と共に生活した。

という英文に訳されています。

ですから質問1は、”言葉”でよいのですが、その言葉にはとてつもなく深い意味がこめられてます。

質問2ですが、これは単純に”言語”=languageのことです。それまではひとつの言語を話していた人々が散りじりばらばらの言語を話すようになった。

めでたし、めでたし。

ご質問の回答で、退化していた私の日本語が少し上手になったような気がします。

投稿日時 - 2010-09-09 13:20:51

お礼

 WagHoustonさんありがとう御座います。
 まだもう一つの方は開封しておりませんが、重ね重ねありがとうございます。

 要するに、ヨハネの方は神の方を指し示し、バベルの方は人の観念や思考、話の言語を示すということですね。

 だから両者は違うものだという、お教えですね。
 ありがとう御座いました。

投稿日時 - 2010-09-09 17:36:28

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