こんにちはゲストさん。会員登録(無料)して質問・回答してみよう!

解決済みの質問

閻羅王信仰について

閻羅王信仰についてどのように広まったのか、発信地はどこなのか、伝播者は誰なのか教えて下さい。
何か地蔵信仰と結びついててややこしいです。

投稿日時 - 2003-07-23 23:26:23

QNo.609440

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

>閻羅王と地蔵を全く一緒の存在にしてしまっていいのでしょうか
>同一人物としてしまっていいのか疑問です

飛躍した理解をされますね。少し挑戦的にも読めるのですが。

両者が同じものだ、というのは信仰としての現象面を指摘したわけです。何も物理的存在として同じだなどと書いたわけではありません。またそれ以外の例を否定したわけでも全くありません。実際ご指摘のような例は確か今昔物語にも出てきますし、別に珍しいことではありません。

先に回答した時点では、私には質問者氏がこの質問に際して資料として何を調べ、何を踏まえたうえでのものか全くわからない状態でした。その中で「閻羅王が地蔵菩薩と結びついてややこしい」、というコメントだけが私にとっての判断材料でしたので、質問者氏を初学の徒と判断して、両者が結びつく必然性をひとまず指摘したに過ぎません。

もう少し言えば私の本意は、先の回答にも書いているように、地蔵はある歴史的必然性のもとに閻羅王の本地仏として信仰されたということにあります。ある同じ宗教的存在が、一面では恐怖を与え、別の面では恩寵や福徳を与えるという重層性を持って信仰されたことが、どちらの面からアプローチするにせよ大事な点である、ということを指摘したかったのです。

例えば他の質問にある長谷寺への信仰は、観音信仰という表の顔の裏に、原始的な山岳信仰とも言える感覚と遺体葬送の場であった歴史のもたらす畏怖感、水源への信仰…といった諸々の条件が重層的に重なっています。これを単に一面でとらえると、信仰の核ともいえる本質が見落とされてしまうでしょう。同じことを両者の関係においてまず指摘しておいたのです。

いずれにせよ、補足においても「何の為の質問でどの程度のことが必要なのか」という基本的な情報は私にはわからないままです。少し私の思っているものとは違っていた、ということだけは明らかなようですが。
先の地蔵に関する質問への回答についてもそうでしたが、やはり無償で時間と知識を提供しているわけですから、お礼の言葉よりもむしろもう少し(いろいろな意味で)回答のし甲斐というものがあれば、という思いが強くします。

投稿日時 - 2003-08-02 20:47:34

お礼

たびたびありがとうございます。
質問の言葉が足りなかったようですね、お手数をおかけしました。
挑戦的と思われたのならすみません!
私が質問したのは基本的な、ディープでない程度のラインです。
おっしゃるとおり初心者ですね。
地蔵と閻羅については二人が別々に登場するものの文献もあれば、同一の存在として登場する文献もあり、時代によって信仰状態形態はさまざまであるという事でしょうか。
小野氏らによる蘇生者のための装置として地蔵が使われたという考え方も出来ると聞きました。
いろんな要因が重なっているんですね。

投稿日時 - 2003-08-02 23:51:27

このQ&Aは役に立ちましたか?

0人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

回答(2)

ANo.1

何かのレポートでしょうか。簡単に書かせてもらいます。
閻羅王は地獄の王として、「長阿含経」などの原始経典にも出てきますから、既にインドで生まれた信仰で長い歴史があります。確か「正法念処経」にも登場したと記憶しています。

この閻羅王が中国に渡ると特異な展開を遂げます。このインド源流の信仰が、もともと死者が地下に赴くとされる信仰があり、泰山の地下に地下の冥官が存在する、という土俗的な「泰山府君」の信仰と混交するわけです。
結果、因果応報の原則の支配する凄惨な地獄のイメージが(「冥報記」や中国撰述の偽経である「十王経」など)作り出され、閻羅王はその支配的存在として地位が高まってゆくのです。

ところで、閻羅王信仰が地蔵信仰と結びつくのは当然です。両者は同じものだからです。
いわゆる「地蔵十輪経」では、地蔵菩薩が閻羅王ほかの姿に身を変えて説法するとされていますし、恐らくこれを下敷きにして、平安初期に成立した「日本霊異記」では閻羅王自身が人間に対して「われは汝の国には地蔵菩薩と称する」と語っています。さらに日本偽作の「地蔵十王経」では、閻羅王の本地が地蔵菩薩とされているのです。
少しきつい書き方かもしれませんが、細かなことはともかく、わが国で「地蔵菩薩=閻羅王」の信仰が強かったことは、この問題を学習するならいわば初歩の初歩です。

ともかく、経緯は詳述しませんが、日本では泰山府君は貴族中心に現世利益を祈るものとして信仰されていきます。現世の寿命を司るとされる冥官の力がその信仰対象です。ここでは冥道供や閻魔天供など、陰陽道や密教の影響を強く受けた行法が修されました。この際の媒体は当然、密教僧や法師陰陽師ということになるでしょう。

また庶民レベルでは、閻羅の別面である地蔵菩薩への信仰を主たる面としながら畏怖すべき存在として信仰されていきます。この際の媒体は民間の遊行僧が中心で、地獄譚や地獄草子、地獄を描いた立山曼荼羅のような図像などが活用されたでしょう。

特に名のよく知られた空也は、ある人物の死に際して閻魔王に命を返すよう手紙を送ったとか、いろいろ地獄に関わる伝説が残されています。言わば彼自身、験力によって閻羅王と通じた存在、閻羅王の力をこの世に体現した存在として信仰されたといっても過言ではないでしょう。

投稿日時 - 2003-07-24 19:38:33

補足

閻羅王と地蔵を全く一緒の存在にしてしまっていいのでしょうか?
閻羅王が死人を裁いている時に地蔵がやってきて蘇生させた…という話があったように思うので同一人物としてしまっていいのか疑問です。

投稿日時 - 2003-07-31 23:17:24

お礼

詳しくどうもありがとうございました!

投稿日時 - 2003-07-27 00:55:43

あなたにオススメの質問