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解決済みの質問

「霊言集」とか出版されていますが・・・

この場合、
<霊魂が霊媒を借りて直接語ったものを記述したもの>なのか、
<霊魂から霊感を受けた筆者が記述したもの>なのか、
どちらなのでしょうか?

投稿日時 - 2009-08-22 14:25:11

QNo.5227660

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

昔から自動書記と言って、神霊等の力によって勝手に手が進むと言うことを言います。
霊を否定している人でも、文筆家や作曲家、作詞家などで、手が勝手に進んでいくという経験をした人は多いようです。

私も昔は何度か経験しました。手が止まらず、気がつくと数時間が過ぎており、書いた内容は覚えていても、なぜ書けたのか判らないのです。

でも、それを霊の所為にするかどうかは本人の勝手でしょう。
また、書かせたとされる本人(仏陀でもキリストでも宇宙人でも)を知りもしない人が、研究者と言うだけでその真偽を問うのも間違っていると思います。

多く出版しているというか当初はこれがウリだった「大○」のものは友人が彼の信奉者であった事から何度か読みました(読ませられましたし、レポートまで書かされました)が、内容的には大して目新しい事も書かれていませんでした。
多くは彼が述べるまでもなく、私や、もう一人の私の友人(自称哲学者・思想家&物理学者[本業])が述べている程度の内容だったので、「誰でも書ける」というのが私の感想です。

投稿日時 - 2009-08-25 15:18:25

お礼

具体的な回答を頂き有り難うございます・・・m(_ _)m

霊魂が霊媒の口を借りて直接語ったものを記述した場合。
霊魂が霊媒の指を借りて直接記述した場合。

上記二つの場合は、基本的に霊媒(当人)は、ただ体を貸しただけなので、
霊魂が書いた当人だと思われます。

霊魂が、誰かわからない場合は、作者不詳。
霊魂が、誰かわかっている場合は、その霊魂が著作者になると思います。
イエスの場合は著作権が切れていますので、問題ないのかな?
私の感覚では、イエス著。監修大川隆法。だと思うのですが。

手元に、「谷口雅春 霊言集」大川隆法著。があります。
母が知人から借りてきたものを、私も読んでいます・・・(^^ゞ

谷口雅春氏は、「生命の実相」40巻の著者です。
私は全部読んでいます。
「谷口雅春 霊言集」の内容は、「生命の実相」40巻の要約集
といった感じです。

谷口雅春氏は、1985年死去ですので、まだ著作権が切れていません。
法律上、故人の同意は得られないので、遺族の了解を得なくてもいいのかなって気がします。

霊魂から霊感を受けた筆者が記述したものだとしたら、
盗作の疑いが残ります。

「霊魂から霊感を受けた」のだから、内容が似ているのは当たり前と言われそうですが・・・。
この方法が認められるのであれば、自称チャネリストを名乗った者は、
いくつでも、同様の本が出版できそうです。もっとも信者がいないと売れないでしょうが・・・(^^ゞ

「谷口雅春 霊言集」を読んだ感想は、谷口雅春を騙った低級霊が霊言を言っている感じです。
「生命の実相」の中には講演したものも含まれているが、語り口が全然違います。
それに、文章も谷口雅春氏に比べて稚拙ですね。

高級霊は霊媒にかからないって聞きますので、他の霊言集も・・・(^^ゞ

投稿日時 - 2009-08-25 17:06:15

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回答(2)

ANo.1

具体的な書名がないので判断できませんが、「幸福の科学」とかいう手のものですか?
大体、両方あり得るように思います。
霊媒の体質の人が「神懸り」になって口走る類のものは、本人は意識がなくて、筆記者がその言葉を記録している、ということになるでしょう。
あるいは、自動書記の形をとって、霊が筆記者の身体(腕など)を借りて(動かして)筆記されるというのもあるでしょう。
ただ、後者の場合には、筆記者には、自分の意識というものはちゃんとあって、それとは別に手が勝手に動いて筆記していることになります。
それらとは別の形も考えられます。すなわち、筆記者が、霊的な体験をして、その記憶を筆記するというもの。
スウェデンベルグ(本当の発音は違うのですが、一般にこう読んでいます)の霊界通信の類は、自らの体はこの世界にあって、魂が霊界に行き、その魂がこの世の自分の体に戻ってから、霊界で見聞した記憶に基づいて記述しています。
また、霊魂とか霊媒とかが介在しない場合もあります。マホメットの場合ですが、この世界の自分の前に大天使ガブリエルが降臨し、その語ったことを自分の口で語るというコーランの形式があります。
どういう形で記述したのかは、その文献を見れば分るのではないでしょうか (ただし、モーセの十戒は石に彫られたものを発見したわけですし、モルモン教の場合も、経典が「発見」されたということにされています。また、新約聖書は一見客観的なように見えて、実は筆者が「霊感」を受けて記述したものだと主張する人もいます)。
でも、霊媒が直接語るというのが、雰囲気的にも、一番生々しい感じではあるでしょうね(スイスの精神分析学者C・G・Jung博士は、若い頃に霊媒を研究対象とされました。インチキも見破ったりしているのですが、それとは別に、人間の心の底には、個人を超えた巨大な集合的無意識層が存在し、時間や空間にとらわれないで情報が噴出する可能性も否定はしていません)。

投稿日時 - 2009-08-22 15:37:48

補足

丁寧な回答有り難うございます・・・m(_ _)m

「幸福の科学」の大川隆法氏の「イエスの霊言集」等です。
この場合は、どちらだと思われますか?。

投稿日時 - 2009-08-22 16:42:36

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