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日露戦争でのポーランド兵の扱いについて

日本は今から大体
一世紀前に
日露戦争をしていますが、
ロシア側の兵士捕虜の
中にも、ロシアの属国
のポーランド兵が
たくさんいたという
歴史があるようですけど、
日本はポーランド兵を
どのような待遇を
与えたのでしょうか?

投稿日時 - 2009-07-18 19:57:21

QNo.5136013

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

 日露戦争が勃発した時点でポーランドは依然としてロシア、オーストリア、プロシアの3国によって分割されてそれぞれの植民地とされていました。
一番大きな部分を占めていたロシア占領区では、ロシア自体が貧しい国のためにポーランド人たちからの搾取がひどく、ポーランドは正に生かさぬ様、殺さぬようといった状態で国土も人々の暮らしも疲弊しきっていました。
そのひどい状態に加えて更に日本との戦争が始まったため、男子は無理やりに徴兵されて彼らの、にくい敵であるロシアと必死で戦う東洋の小国日本と戦わさせられるためにシベリア鉄道で満州の地へと送られたのです。
後にポーランド独立戦争を指揮して国民的な英雄となるポーランドのピウスキ将軍は、戦争勃発とともに秘密裏に、来日、無理やり満州につれてこられたポーランド出身のロシア兵を逃がすための助力を日本政府に依頼します。
前線でロシア側から武器を捨てた兵士が「MATSUYAMA」と叫びながら日本側陣地へ駆け寄った場合は、それはポーランド脱走兵だから無事に保護されることが、その際に約束されました。
ロシア側ではポーランド人たちの秘密組織がそのことを仲間内に伝え、前線では実際に「MATSUYAMA」と叫びながら日本側陣地へ駆け込む“ロシア”兵士が続出しました。彼らはかねての取り決めどおりにロシア兵士とは区別され、彼ら専用に四国の松山に設置されたポーランド出身ロシア兵専用の収容所へと収容されました。
もともとこの時期の日本軍は国際法上きわめて優等生的な規律で捕虜を処遇していましたが、特に松山に収容されたポーランド出身者たちに対する扱いは、“敵”側の捕虜に対する扱いとしては親切を極めたものとなりました。
そのポーランド人捕虜の収容所があった愛媛県松山市では、市民あげて捕虜たちを歓迎し、親身に接した。
 外出は自由。もちろん買い物も自由で、お金があれば家や家具を買う事もでき、日本政府から生活費も支給された。道後温泉に入浴することもでき、松山市内の大きな商店街・大街道は捕虜でにぎわい、ロシア語の看板まであった。
 松山市だけではなく、伊予鉄道と伊予市も親睦を深めるため、海水浴に招待した。これだけの自由があれば、もちろんのこと、松山市の日本人女性と恋に落ちた捕虜もいた。

戦争が終わりポーランドへ送り返されたこのときのポーランド人捕虜たちの体験談は、それ以降ずっと続くポーランド人たちの親日感情を作り上げる最初のきっかけとなります。
日本海海戦で東郷元帥率いる連合艦隊が、ロシアのバルチック艦隊を完勝とも言える一方的な勝利で粉砕したニュースが松山に伝えられたとき、ポーランド捕虜たちは収容所の中庭に集合して、日本の勝利を祝して万歳三唱をしました。
バルチック艦隊の撃滅は、とりもなおさずロシアの敗北そして彼らが長い間待ち続けた祖国回復のチャンスが漸く訪れたことを意味したのです。彼らは連合艦隊の勝利を必死で神に祈り、そしてその祈りが叶えられた瞬間に感激のあまりに万歳をしたのでした。
彼らの願いどおり、ロシアの敗北はロシア革命の勃発につながり、大地一次世界大戦を経て、自国内での赤軍と白軍との内戦でポーランドどころではなくなったロシアの隙を利用し、ポーランドは270年来の悲願であった独立を果たし、ロシア軍として日露戦争に従軍したポーランド将兵は、独立ポーランド軍の中核となりました。。
日露戦争から13年が経過した1918年11月、第一次世界大戦の停戦協定によりポーランドに独立が認められ、ピウスッキが初代大統領に就任。ピウスッキは、「日本こそ独立ポーランドの盟友である」と、日露戦争で活躍した51人の大日本帝国陸海軍指揮官に「武勲勲章(Virtuti Militavi)」を贈った。

ポーランド人たちに今でも根強く伝わる親日感情は、正にこの日露戦争に始まると言えるでしょう。

投稿日時 - 2009-07-18 20:24:33

お礼

参考になりました。有難う。

投稿日時 - 2009-07-19 04:05:41

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回答(2)

ANo.2

「前線でロシア側から武器を捨てた兵士が「MATSUYAMA」と叫びながら日本側陣地へ駆け寄った場合は、それはポーランド脱走兵だから無事に保護されることが、その際に約束されました。
ロシア側ではポーランド人たちの秘密組織がそのことを仲間内に伝え、前線では実際に「MATSUYAMA」と叫びながら日本側陣地へ駆け込む“ロシア”兵士が続出しました。彼らはかねての取り決めどおりにロシア兵士とは区別され、彼ら専用に四国の松山に設置されたポーランド出身ロシア兵専用の収容所へと収容されました」

これは本当ですか?何の本に書いてあるのでしょうか?

上記のような行為は「奔敵」と呼ばれ、どの国の軍刑法でも「戦闘中の逃亡で死刑」となる行為です。なぜ死刑になるかというと、このような行為を死刑に処さなければ軍規が崩壊してしまうからです。

上記のようにして、ロシア軍に従軍するポーランド人が日本軍に投稿した場合、そのロシア兵(ポーランド人であってもロシア兵です)は、戦後にロシア軍の軍法会議にかけられて死刑となります。
ロシア兵が日本軍に投降する場合に「マツヤマ」と言いながら投降したという話は「坂の上の雲」辺りに書いてあったように思いますが、「ポーランド人のロシア兵」に限ったことではないと記憶しますが。

投稿日時 - 2009-07-18 22:41:26

お礼

大変、勉強になりました。有難う。

投稿日時 - 2009-07-19 04:04:56

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