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解決済みの質問

般若心経

3年ほど前から、アセンションを意識するようになり、行動の一部として夜寝る前に般若心経、真言(金剛吉祥)、祝詞を唱えるようにしてきました。しかし、今日なぜかふと急に、これらの行為は自分にとって良いことなのだろうかと思うようになり、様々なサイト様を訪問した結果、般若心経は普段唱えるものではない、悪い霊を呼び寄せることがある、真言は師について唱えないと危ない、また、理解してないと効果は発揮されない、夜唱えてはいけないなどの意見が見られ、素人のじぶんとしては、経や真言を唱えることは無意味、もしくは危険なことだったのかなと考えるようになりました。詳しい方がいらっしゃれば、一般の僕が経や真言の本当の意味を捉えず唱えてきただけの行為は良かったことなのでしょうか?是非意見が聞きたいです。また、今の気持ちとしては真言などに頼らず、感謝の言葉や、自分で作った日本語のマントラ(といっても長生きしますようにとかいった願掛けです笑)だけにしていこうと思うのですがこのことについてどう思われるか第三者の意見も知りたいです。よろしくお願いします。長文駄文失礼いたしました。。。

投稿日時 - 2008-09-01 18:22:09

QNo.4295828

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

現在のあなたの‘唱え’のレベルは、‘開けゴマ’のレベルではないでしょうか。心経や真言あるいは祝詞を唱えて、心に念じられる事柄がありますでしょうか。何も心に念じられなければ、唱えるという行為は無駄になってしまいます。‘言葉’だけのむなしい時間を費やすことになってしまうでしょう。
母の手から離された幼子は、母のみ胸を求めて泣き叫びます。物心がついて、話せるようになれば、パパ、ママ、お父さん、お母さん、と言って、父、母、を求めます。
おじさん、おばさんと呼んで父、母を思うことは出来ませんね。ですからあなたのいまの気持ち、感謝の言葉や、自分で作った日本語のマントラ、をおすすめします。あなたにとって今はそれが一番心に念じやすい言葉だからです。
経や、真言を否定はしません。ただ、物になるのは(それを心に念じられるようになるには)時間がかかるように思います。努力してみてください。
どうぞ自分の好ましいほうの心、‘良心(優しさとか、人を思いやる気持ちとか、向上心とか)を育てるようにしてください。心は使うほどに育ちます。好ましい心も好ましくない心も。

投稿日時 - 2008-09-01 23:58:38

補足

すみません、読み返したらお礼のところでyy8yy8azさんのところに"さん"をつけていないとこがありました。コピペしたので"さん"をつけるのを忘れてしまいました。もうしわけありません( ´・ω・`) 

投稿日時 - 2008-09-02 02:59:03

お礼

回答ありがとうございます。読んでいて心が暖かくなった気がします。今省みると、幸せになりたいがために、ただ真言や経にすがっていただけなのかもしれません。真言や経を唱えることで自分が少し特別な存在になった気がして続けたというのもあります笑。しかし、経、真言、感謝の言葉などを3年やってきましたが、やはり心がこもって唱えれたのは感謝の言葉や、明るい未来を願う言葉でした。今日訪問したあるサイトのある方の意見で{最近よく、簡単に真言や呪文、呪法といったものを目にするが、その土地、その時代に息づいた言霊を、我々のような他国の者がその言霊に意味した本当の意味を理解せず唱えることに意味があるのか、また真言や呪文を簡単に手に入れて、何も知らない人々が勝手に唱えていいものであるのか}といったようなことを書かれていて(文章は自分なりに変えさせていただきました)、ひどく心に響きました。すみません、yy8yy8azの回答に似ている節があった気がして、つい熱くなって長文かつ脱線してしまいました笑。やはり自分が理解している言葉が一番性にあってる気がします。今のままでは意味のわからないフランス語や中国語で唱えるのといっしょですしね。これからはyy8yy8azさんのおっしゃられたように良心を育くむことを重点にしていきたいとおもいます☆ 

投稿日時 - 2008-09-02 02:57:01

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回答(5)

ANo.5

解らない言葉を唱えることは、マントラと同じことでしょうねw
意味が無いなら心を落ち着ける一つの道具にもなるでしょう。

逆に意味が解っているとその内容によっては危険が生まれるでしょう。

読む内容は吟味して、その概念考え方が自分の中に増進しても何も問題が起こりようが無いと思ったものに限定したほうが安全ですね。

特に宗教宗派のこだわりが無いなら、パーリ語の仏典にのこされた、仏陀の教えの中から論理的道徳的理性的実証的な危険の無いものを唱えてみたら如何でしょう。

「慈悲経」や「鋸の喩え」など。
慈悲の冥想の文言はオススメですよ。エゴが破れていくことを実感できると思いますw

ひたすら「移ろい行く」と言うのもいいかもしれませんw

投稿日時 - 2008-09-02 10:33:29

お礼

やはりこういった目にみえないものを判断するというのは難しいですね。人によって内容を理解しなければならない、反面、してはいけない、様々な考えがあるように思えます。鋸の喩えはググってみたのですが、情報を得られませんでした。。もう少し探してみます。慈悲経についてですが、経とまではいきませんが、日々自分なりの慈悲の瞑想はしています笑。確かにこの時ばかりはエゴが破れますね。一番自分を振り返る時間でもあったりします。貴重なご意見、ご回答ありがとうございました。

この場を借りて、ご回答して下さった皆様にお礼を。どれも大変参考になりました。結論として、やはり真言、経といったものに頼らないことにします。頼ることは便利なのだと思います、しかし毎日頼っていては駄目なんだと思いました。経や真言は素敵な言霊として、胸に秘めておくことにします。自分を信じることを優先とし、自分を含め皆が幸せになるように、日々の行動、言動から問い詰めていきたいと思います。そのやり方が一番幸せになる気がいたしました。慈悲と感謝の気持ちだけは忘れません。皆様ありがとうございました。

投稿日時 - 2008-09-02 13:11:01

ANo.4

 何らかのお意図やお知識あっての、そしてお出会いがあっての、般若心経その他のお称えなのでしょうね。
 こういうものって、いわゆる自然科学の原因結果や哲学の論理演算とも異なる世界であり、普通の日常生活の運びとも異なりますよね。
 そういうこともご認識されることが必要ですよね。

 自分で一宗一派を創設するのでないでしょうし、それにしてもなのですが、大本(元)を尋ね、それを意識していかれることが必要ですよね。

 だから、なんらかの師をお勧めのご回答も多いのでしょう。
 そうすると信仰に繋がる側面が出てきますね。そういう世界なのでしょうがないですね。軽い気持ちが真剣に為ったりもしますし。

 そうでなければ、何かの活動団体やサークル、或いは勉強の会とかになるのでしょうね。
 活動団体も意図的であればあるほど、のめりこんでいくと、それでいい人はいいけれども、問題がないわけではありませんね。
 無色のサークルか会のほうがいいのですが、人ぞれぞれですね。
 般若心経などをあげておられますが、論理と哲学ではありますが、その限りでもいいのですが、お称えとなると信仰になります。
 本当にやるなら、やはり師との繫がりは必要でしょうね。
 でもどの宗派も般若心経はお称えしてますよ。別に竜樹がいいとは私は思っても居ないし、悪いとも思っては居ませんが。
 ヒンドゥの思考としては普通の観方ですが。

投稿日時 - 2008-09-02 09:54:04

お礼

確かにそうですね…師をつけることは信仰につながることになりますよね。僕自身信仰といったものには興味はないのです笑。すごく参考になりました。ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2008-09-02 12:54:48

ANo.3

 言葉は言霊だと思います
 
>じぶんとしては、経や真言を唱えることは無意味、・・・・

 無意味ではないと思います。書かれているお経や真言等自体に
功徳があるのではなく唱えられたお経や真言等が功徳と考えます

 天罰は悪行に来るのでなく弱気になった所に来るのです
toritennさんが行動の一部として夜寝る前に般若心経、真言(金剛吉祥)、祝詞を唱えることで心の支えになっているのでしたら続けたほうが良いと思います

> 今の気持ちとしては真言などに頼らず、感謝の言葉や、自分で作った日本語のマントラ(といっても長生きしますようにとかいった願掛けです笑)だけにしていこうと思うのです

 同じ意味でそれによって心の支えとなるのでしたら良いと思います

『幸福』の内の1つは自分を信用することだと思います
それらをすることによって心の支えの1つとなり自分は『幸福』になれると信じられるならそうした方が良いと思います

投稿日時 - 2008-09-02 05:49:48

お礼

確かに真言や経が心の支えになっていたのかもしれません。しかし、今の気持ちとしては真言には頼らず自分を信じる、という気持ちが大きいです。功徳についても、読経ではなく、行動で行えるようにと考えております。ご回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2008-09-02 12:45:34

ANo.1

>般若心経は普段唱えるものではない、

普段お唱えしても構いません

>悪い霊を呼び寄せることがある、

そんなことはありません
たとえ呼び寄せたとしても
般若心経のご利益で
悪い霊も仏道に向かうでしょう


>真言は師について唱えないと危ない、

そのとおりです
勝手にいろいろお唱えしてはいけません
真言の阿遮梨(住職)さまの
指導を受けて、お授けを受けてからお唱えして下さい
さもなくば、ご利益がないばかりでなく
無間地獄に落ちるとされています

>また、理解してないと効果は発揮されない、

そんなことはありません
でも近ごろは解説書も出ていますので
出来る限り勉強しましょう

>夜唱えてはいけないなどの意見が見られ、

そんなことはありませんが、
となり近所にあやしい声が聞こえていかないように
気をつけましょう
鳴り物などは常識の範囲で使いましょう

>素人のじぶんとしては、
経や真言を唱えることは無意味、
もしくは危険なことだったのかな
と考えるようになりました。

無意味なことではありません
危険?指導者、先生を見つけて
きちんとしていれば危険なことはなにもありません
自分勝手なことをして
自分流ではかなり危険です

>今の気持ちとしては真言などに頼らず、
感謝の言葉や、
自分で作った日本語のマントラ
(といっても長生きしますように
とかいった願掛けです笑)
だけにしていこうと思うのですが

出来れば真言の師に従って
きちんとしたお作法を勉強されることをおすすめします
感謝の言葉や
自分なりの言葉でも良いのですが
真言にご縁があるようですので
その方がご利益も多く
早く境地に至ることが出来ます

投稿日時 - 2008-09-01 18:56:34

お礼

やはり真言を唱えるには師をつけたほうがいいのですね。情報を拾ってはすぐ鵜呑みにしてしまうので、真言の利点ばかり目にいって、注意点をないがしろにしてしまいました。阿遮梨様のご縁があるまで真言はやめておきます。般若心経については、危険はないようなのでもう少し検討してみます。大変タメになりました。回答してくださってありがとうございます(^ω^)

投稿日時 - 2008-09-01 20:05:51

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