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解決済みの質問

Wikipediaの歴史の正確さと悪魔の証明について

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0%E5%AE%A3%E8%A8%80SPECIAL_%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%AB%96
第3巻に対する非難で
証拠資料の不在はロジック上、集団自決否定の根拠にはならない
とかかれていますが、これは悪魔の証明の要求ですか?

投稿日時 - 2007-10-15 12:19:16

QNo.3430864

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

悪魔の証明の問題でも、ロジックの問題でもなく、歴史学の基礎中の基礎の問題です。

確かに、歴史学では文字史料を証拠として歴史を明らかにしようとするのが基本です。
しかし、文字史料というのは「時間」というモノから逃れることが出来たモノだけが残ります。
また、その文章が書かれた背景やその文章を書いた人の立場なども考慮に入れて、綿密に精査し(これを史料批判という)、批判に耐えられたモノだけを初めて「真実を記した史料だ」と言えるようになるのです。
ただ、この立場は「史料主義」と呼ばれ、近現代歴史学の祖ランケから続く歴史学の一立場です。

その後、色々な批判がなされ、現在の歴史学では文字史料だけでなく、民俗学・考古学・経済学・人類学etc,,,などの助けを借りて、総合して歴史を明らかにしようというのが本流となりつつあります。

この流れから言っても、「集団自決の証拠資料が無い=沖縄集団自決が無かった」というのは論理の飛躍でしかありません。
逆を言えば、「その時代に生きてた人の証言という、無形の資料(史料)を完全に無視している」と言えます。
その、「証言」に証拠能力が「あるか・無いか」も歴史学上精査されるべき「資料」であるのに、「集団自決の証拠資料が無い=沖縄集団自決が無かった」と主張する人は、始めから無視して掛かってるように思います。

歴史学の流れについては、手前味噌ながら過去の回答を参考リンクに張っておきます。
http://okwave.jp/qa3142213.html
http://okwave.jp/qa3170977.html

投稿日時 - 2007-10-17 08:05:25

ANo.8

このQ&Aは役に立ちましたか?

16人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

回答(17)

ANo.17

自称専門家さんは、なんとも創造力が豊かな方ですね。
「ほんとに Wiki を読んだのでしょうか」という指摘は、きわめて重要な指摘だと思います。が、あなたこそ「ほんとに Wiki を読んだのでしょうか」。

該当の記述がある項「歴史的な記述に関する批判」の冒頭に、「本書の内容や記載法に対しては、以下のような批判がある」と明記してあるのを見逃しているのではありませんか。
つまり、これは誰かがした批判の内容をまとめただけの記述であって、この項目の編集者の主張や要求などでは全然ないのです。そもそもWikipediaとはそういうものであり、何かを主張したり要求したりするサイトではありません。
質問タイトルに「Wikipediaの歴史の正確さと」とありますが、Wikipediaのこの記述自体が悪魔の証明の要求か、と問われれば、違いますと答えることに異論はないでしょう。

では、そもそもこの批判をした人の真意が悪魔の証明の要求なのか否か。
それは、もとの本(おそらく、ページの下のほうに掲げられた「小林『戦争論』をめぐる書籍」の中のどれか)を読まなければ答えようがありません。
この記述だけからは、せいぜい「論理的にはまったく正しい」くらいしか言えないのです。

私は原典と思われる本を読んでいませんし、自称専門家さんも、書きぶりから察するにまず読んでいないでしょうが、もしかしたら言うとおりに逆切れしているだけの悪魔の証明の要求なのかもしれません。
あるいは、No.16で推測されているような趣旨なのかもしれません。この場合だったら悪魔の証明の要求でも何でもないことはおわかりいただけると思います。
繰り返しますが、少なくとも原典を読まないかぎり真意はわからないのです。それらしいことをいくら推測してみても意味がないし、質問者にとっては無用の長物にしかなりません。

にもかからわず豊かな創造力(この場合は「論理の飛躍」といいます)を駆使して前後の文脈を勝手に推測・妄想・捏造し、「こんな逆切れを示す構造をしているから、件の Wiki の記述は「悪魔の証明の要求だ」と言えるわけです」などと断定する自称専門家さんの態度は、いかがなものでしょうか。

投稿日時 - 2007-10-18 11:22:40

お礼

恐縮ですがここでまとめてお礼申し上げます。
ご回答ありがとうございます。
私の勘違いだったようで、悪魔の証明はまったく関係ないですね。
参考書のような詳しい解説付属でのお答えをありがとうございました。

投稿日時 - 2007-10-18 13:14:14

ANo.16

ANo.8です。
間違いを見つけたので訂正と、あと若干の補強を。

>この立場は「史料主義」と呼ばれ→誤
 この立場は「実証主義」と呼ばれ→正

あと、Wikiの記述は
「集団自決の証拠資料が無いと即断しているが、そのような非合法な書類は残りにくいと考えられるし、口頭で済ませてしまえば文書として残らない。」
とあり、この文脈で「証拠資料(史料)」というのが「文章資料(史料)」の事であると判断出来ます。
つまり行間を読むと、
「文章で書かれた証拠資料が無いからと言って、(軍部の関与による)集団自決否定の根拠には出来ない。何故なら、文章によらない資料(生存者の証言、米軍側の記録、映像フィルムetc,,,)等から、(軍部の関与が)あったかもしれないという疑惑は残っているから」
と読めます。

ゴーマニズム宣言は読んでいないので、内容はわかりませんが、もし小林よしのり氏が、「文書資料の不在」のみで「否定」しているのであれば、短絡的過ぎるという指摘なのでは?
先の回答にも書いたように、現在の歴史学では文章史料のみを根拠に真実を明らかにしようとするのは難しく、多かれ少なかれ有形・無形を問わずあらゆる「証拠」となりそうなものをかき集め、分析し、事実に近づこうとしています。
なので、歴史学の基礎中の基礎の問題なのです。
(最も、この問題は歴史学者が最も嫌う、国家主義・民族主義がの問題の方が強いですが)

投稿日時 - 2007-10-18 04:33:35

ANo.15

多数の状況証拠が存在しています。
物証がなくても、充分に証言だけで証拠能力はあります。
人を殺したという事実が存在するにもかかわらず、殺意を否認する弁護団と同様の作為を感じますよ。

投稿日時 - 2007-10-18 02:43:00

ANo.14

 ああ、やはり、勘違いしているのかロジックというものを知らないのか。フレーズだけ切り出して喜んでいる痛い人が多発しています。ほんとに Wiki を読んだのでしょうか。

 一応明示しておきますが、「証拠資料の不在はロジック上、集団自決否定の根拠にはならない」の部分が否定されないことは、それが悪魔の証明であること自体の否定にも肯定にもなりません。

 で、あなたの論点は、「これは悪魔の証明の要求かどうか」なのですよね。こんな明白な論点を読み取れない人が多発するのが、やはり「こういう問題になると熱くなりすぎて論理的に考えられない人がいるようです」なのでしょうねえ。
 問題の論理構造というものを理解できないから、すり替えなんていう「自分だったらやるだろう」というような代物を、他者に仮託してしまうのでしょう。浅ましい話です。
 あなたも、その類の言説を見たら、眉に唾つけましょう。
 何と言っても、ここに実例が出てきたわけですしね。

 で、そういう類の人は、わざわざこんな当たり前のことを言わざるを得ない状況というものが想定できないようです。件の Wiki を読めば簡単に分かる話なのですけれど。この辺からも、ちゃんと読んでいるとは思えないわけです。

 「○○があった!」と主張する。
 「証拠は?」
 「証拠は無い」
 「じゃ、その主張はダメですね」
 「証拠資料の不在はロジック上、○○否定の根拠にはならない」

 とまあ、簡単に言えばこういう構造です。
 この最後のフレーズは子供の駄々レベルでしかありません。「じゃ、その主張はダメですね」に対し、逆切れして、「否定できないんだからオマエの言うことだってダメだ!」と言っているわけです。
 セクションタイトルが「批判」なのですから、最終的には「じゃ、その主張はダメですね」を否定しなければなりません。それ故に、最後の駄々をこのように読み取ることが基本的な読解力というものです。が、まあ、ある種の人は、その程度にも至らないのですよね。
 で、こんな逆切れを示す構造をしているから、件の Wiki の記述は「悪魔の証明の要求だ」と言えるわけです。

 件の Wiki の文脈からこういう流れが把握できないか、把握してしまうと都合悪いくらいいきり立っていると、意味も無く図を持ち出したりしたくなるのでしょう。ご苦労なことです。

 なお、「証拠は?」と聞くことは揚げ足を取るとは言いません。それを問われることがイヤなら、主張などしてはいけません。それが、公の場で発言する際にアタリマエに問われることですからね。
 まあ、ロジックというものを知らない人は、揚げ足を取られているように感じるでしょうね。訓練が無いということは、そういう痛い状態に人を導くものです。

 まあ、平時も戦時も区別が付かない、しかも明日にも殲滅されそうな究極の戦時の状況を想定することもできない、非常識な人は世の中に多々いますから、そういう人がいてもおかしくは無いでしょうが。

投稿日時 - 2007-10-18 01:50:53

ANo.13

 回答とは言えないかもしれないのですが。

 どのような立場かによって見解は分かれるのではと思います。
 例えば(あくまで仮定です)、この命令を行った実行犯と目される人がいて容疑者とされている状況、その容疑者を追及するといった場合は悪魔の証明の要求といえるかも知れません。
 一方、これも仮定ですが、歴史の中の1ページとして言及する場合で旧軍の包括的な行動様式について分析する場合等は、悪魔の証明の要求とはいえないかもしれません。もちろん、歴史の評価においては、評価を行う時代の社会的背景が影響を及ぼすため単純な結論を導き出すのは困難だとは思いますが。

 ですので、よって立つ立場や時代背景によって悪魔の証明の要求になることもあればそうでないこともあると思います。

 個人的にはWikipediaの議論となる項目の「ノート」で書かれる、単なる不在証明の要求を「悪魔の証明」と非難する濫用に辟易していますが。(もちろん、論理的に「悪魔の証明」を指摘している項目もあります。)

投稿日時 - 2007-10-17 21:27:10

ANo.12

>証拠資料の不在はロジック上、集団自決否定の根拠にはならない

では、なにがどうなれば(あれば)軍命令があったとか、なかったとかの証拠あるいは根拠になるのか?
そういうことを明記していないため、公平差に欠ける文章です。

私はそういった専門的見解も、ご自分の主張も書かれていないような、人の揚げ足を取っているだけの批判の文章に対してのコメントはありませんが、先日のデモにより国の機関が調査しているようです。

短絡的な意見や、手前勝手な想像や同情などで教科書の内容が変わるわけではなく、また、そのような意見を聞いたところで何の参考にもならないため、私は今後の国の調査の結果を期待しています。

投稿日時 - 2007-10-17 12:00:26

ANo.11

自称専門家さま

>誰も、「証拠資料の不在はロジック上、集団自決否定の根拠にはならない」の部分を否定などしていないのですが、

あら、そうですか?

>既に書いていますが、証拠が無ければ、それは「軍の命令とは言えない」、というだけの話なのです。

書いてるじゃないですか^^;
「証拠資料の不在」を「証拠が無ければ」とニュアンスをややぼかして言い換えたあたり、ひょっとして姑息なすり替えをねらったつもりかもしれませんが、無駄な努力ですね。
ものわかりがよろしくないようですから、面倒がらずに図でも描いてみるとわかりやすいですよ。

ついでに付け加えますが、私はWikipediaの記述が悪魔の証明の要求ですか? という質問に対して、記述は論理的に正しいことを示し、悪魔の証明の要求ではない、という回答をしただけです。

挙証責任だの悪魔の証明だのと勇み足が過ぎるようですが、もう一度冷静に該当の記述を読み返してください。
「証拠資料の不在はロジック上、集団自決否定の根拠にはならない」
この表現は論理的事実を述べただけであって、だから(軍命による)集団自決は肯定される、そうでないというなら懐疑的な立場の人が証拠を出さねばならない、などということは一言も言っていないでしょう。もちろん、私の先の回答でもそんなことは書いていないし、思ってもいません。
熱くなりすぎた頭で読むからそこまで無用の深読みをしていきり立ってしまうのです。

投稿日時 - 2007-10-17 10:59:42

ANo.10

質問者様へ

いろいろ話がこみいってまいりましたが、
誰も、「証拠資料の不在はロジック上、集団自決否定の根拠にはならない」の部分を否定などしていない、との共通認識が得られたようです。
すなわち、質問者様の質問に対する結論が出ました。意見交換は、やはり有益ですね。

なお、自分の立場をさらに明確にすると、
「組織としての軍の命令なくして、手榴弾の一般住民への供与は、ありえない」という常識的判断に基づき、
「自決用の手榴弾が一般住民へ供与された」という状況証拠を根拠に、
「集団自決にかかわる軍命令は存在しただろう」と判断しています。

投稿日時 - 2007-10-17 09:01:14

ANo.9

 こういう問題になると熱くなりすぎて論理的に考えられない人がいるようです。

 そもそもの出発点から間違っているし、論点も間違っているし。
 誰も、「証拠資料の不在はロジック上、集団自決否定の根拠にはならない」の部分を否定などしていないのですが、この辺で考えられていないことがよく分かります。図を持ち出して一生懸命ですが、ご苦労様なことですが。

 小学生レベルの挙証責任の話を繰り返すのも恥ずかしい話なのですが、「軍が命令した」ということを主張している人が、「軍が命令した」証拠を出すのは当たり前。
 その主張に懐疑的な立場からすれば、「証拠がないなら、あなたの主張はダメですね」で終わりです。既に書いていますが、証拠が無ければ、それは「軍の命令とは言えない」、というだけの話なのです。

 というだけの話にも拘らず、主張している人が、懐疑的立場の人に対し、それ以上を求めることが「悪魔の証明」の要求なのです。ここに「関係」が生じてくるわけですが、この点が理解できないようです。関係ありません、なんて言っちゃってますから。

投稿日時 - 2007-10-17 08:38:26

ANo.7

こういう問題になると熱くなりすぎて論理的に考えられなくなる人もいますが、冷静に、文字通り「ロジック上」考えれば、「証拠資料の不在はロジック上、集団自決否定の根拠にはならない」はごく当たり前のことにすぎません。

高校数学で習った「集合」を思い出してください。
紙に四角い枠を書きます。これが、ある集団自決の全集合です。
ある集団自決が軍命によって起こったかそうでないかは互いに重ならないので、真ん中に1本の縦線を引いて、全集合を左右に分けます。左側が「軍命による集団自決」、右側が「軍命によらない集団自決」としておきましょう。
さて、「証拠資料が存在する」という集合をこの図に書き入れると、どこになりますか?
左側の領域の内部に丸を描いた、その内部になりますね。
したがって、「証拠資料の不在が集団自決否定の根拠にならない」とは、この図でいう左側の領域のうち、丸の外部の領域が存在することをさして言っているわけです。
「証拠資料の不在は軍命による集団自決否定の必要条件だが、十分条件ではない」と言い換えても同じです。

これはロジックの問題であって、「悪魔の証明」とは関係ありません。

こんなことはわざわざ図を描かなくても頭の中でちょっと考えれば中学生にだってわかりそうなものですがね。
歴史も論理学も不得手らしい「専門家」もいらっしゃるようですが、いったい何の専門家なんだか…

投稿日時 - 2007-10-17 02:15:45

ANo.6

 ああ、また悪魔の証明を求めている人がいますね。

 そもそも「軍の関与」なんてアバウトなロジック以前の物言いですが。

 ロジックの前提としては、軍の命令で行われた証拠が無ければ、それは「軍の命令とは言えない」ですね。たいがい、個人の裁量になるというのがそこでの常識的判断になるのですが、それが分からないのか、分かると都合が悪いのか。

 そもそも「軍令に反していた」ことの証明のためには、「軍令はこれである」という前提が必要で、それをフルセット調べるなんて誰にもできません。一般の「悪魔の証明」に比べれば、命令書の数は有限ですから不可能では在りませんが、分量の多さで実質無理。そんなできないことを求めるから、「悪魔の」証明なのです。
 だから、「この命令書に基づいて」と言える証拠を、「命令だから」と主張する人が出さないとならないのです。

投稿日時 - 2007-10-16 23:01:31

ANo.5

ロジックの問題として考えるなら

沖縄戦集団自決における軍の組織的関与を否定したいのであれば、
一般住民へ自決用手榴弾を供与した行為が、軍司令官の意思に反して行なわれた、という証明が必要になるでしょうね。証明できる根拠が存在しないのであれば、軍という組織の意思として行なわれたと判断するのが、自然だろうと自分は考えています。
なぜなら普通の軍隊において、個々の軍人が勝手に大量の武器を、戦力にならない老人や病人などへ配ることはありえませんし、皇軍は武器を、天皇陛下からの賜り物として特に大切にしていましたから。
なお一般住民をどうするか、などという「戦争と関係ない問題」について、軍司令官が大本営に指示を仰ぐことも、大本営が口を出すことも、考えられないのではないでしょうか。

投稿日時 - 2007-10-16 10:00:04

ANo.4

 「軍隊は一つの意思」でないと、なんか日本語レベルでおかしい発言がありますが、これを主張してしまうと、まさに「軍の命令」による自殺はありえないことになりますね。
 軍の命令と関係ない行為を個々の軍人が何をしようが、それは個々の軍人の問題。
 ロジックが狂っていることを、自覚できないようです。
 この状態で「根拠」だの「証明」という言葉を弄んでも、あまり意味は無いでしょうね。

 荒唐無稽。

 まあ、東条を小磯に訂正はしておきますが。

投稿日時 - 2007-10-16 08:36:11

ANo.3

軍の命令と一口にいっても、軍の命令系統のトップから末端まで
常に流れていると考えるのはド素人にもほどがあるよね。
小林よしのりなんて読む奴はただのアホだから
特に書くつもりもなかったけど、あまりのへんてこ回答にあんぐりです。

だいたい沖縄戦のときに東条英機は首相じゃないし参謀総長でもないわけで、
東条英機からって言うところからツッコミがはいるんだけど、
大本営から個々の細かい命令が出ているなんて
考えるだけでも非常識だし、そもそも士官ってのは
Commission officerなわけで、士官が各自に権限を行使しないと
軍隊ってのは一寸もうごかないわけよ。

刻一刻と変化する戦場で、
ああしろ、こうしろって、文書で命令文がくるってか?
大本営から伝言がくるの待ってボーとしてるってか?
敵に位置が知られるのに無線で交信できるってか?蜂の巣だよ。

現場は現場で判断を迫られるんだよ。
沖縄だけじゃね、中国でも、ビルマでも、ニューギニアでも
特別な軍令がなくても、いろんなことやってる。
軍はそうやって動くんだから当たり前だけど。

軍や国家を一つの意思と考えるのは、荒唐無稽。
机上の空論だ。
軍の行為というのは、結局のところ個人の決断の結果なんだよ。
軍という組織が人間の集まりである以上、
個と集団を完全にわけることなど不可能だ。
その命令が、末端からだろうが、頂点からだろうが、
責任ということでは軍は免れられないし、
生存者の島民の証言から軍の関与自体は疑いようがない。
最も確かな証言を無視するところなんかが
曲学阿世の徒たる小林のくだらねー与太話の特徴だが、
要するに集団自決は、
計画的殺戮か、戦術的殺戮か、ぐらいの差しかない。
南京事件の被害者数の数をめぐって
大虐殺かいや小虐殺だとかいうアホみたいな話と似てるのが
象徴的だが、
修正主義者の話ってのはきいててあきれる。

”悪魔の証明”っていうが、
聖書などには悪魔の存在がかかれてる。聖書は当然文書だから、
文書証拠がなければ集団自決に軍は関与してないと信じることは、
文書に悪魔の記録があれば悪魔は絶対に存在すると信じることと
同じだ。
悪魔というとまだ抽象的だから、たとえば特定の妖怪でもいい。
江戸自体の博物誌には、実在の自然界の生物と同列にならべられて
妖怪の絵が解説付きで載っている。
文書資料を信じるというのであれば、妖怪の実在を信じることになる。
これは全く馬鹿げている。
こういうと、いやそれは証拠と認められない文書だというかもしれない。
だが、だとすると、命令文や命令文がないことが、証拠だと
認められるか不確かであるということ逆に証明しているわけだ。
命令文があってもそれが実行されたかわからないし、
命令文がなくても、それが破棄されただけか、最初からないかのか。
確かめる手段は、証言によるしかないが、今となっては絶望的だ。

とすると、「証拠資料の不在はロジック上、集団自決否定の根拠にはならない」という
至って正しいということだ。
ただ付け加えるならば、”証拠資料の不在は、集団自決肯定の根拠にもならない”ということだが、
そもそも集団自決の根拠は島民の証言であるわけだから、
これは無関係だ。

投稿日時 - 2007-10-16 04:41:47

ANo.2

> 証拠資料の不在はロジック上、集団自決否定の根拠にはならない
> とかかれていますが、これは悪魔の証明の要求ですか?

 まあ、その類でしょうね。

 Wiki の記述を引けば、「そのような非合法な書類は残りにくいと考えられるし、口頭で済ませてしまえば文書として残らない。」ということですが、であればそもそもそれは「軍」の方針ではなく「個人」の主張であったとしか解釈のしようがありません。
 軍の方針を口頭で済ませるということは、東条英機から沖縄にいる個別軍人まで、「非合法」な命令が伝言ゲームで伝わったとするのでなければ、「軍令による集団自殺」ということにはなりませんからね。

 さて、例えば間に海を挟んでいる部分はどうしたのでしょう?
 大和でさえ阻止されたのですが。
 伝令が泳いだ? まさかね。
 無線で送ったなら、その記録が残ります。この時点で「口頭」のみは崩れますね。仮に無線通信記録を抹消したと主張するなら、どの番号の記録が抹消されたのかを提示する必要があります。それができないなら… 冤罪をでっちあげていると言っても、過言ではありません。

 要するに、「口頭」説は、荒唐無稽だということです。

投稿日時 - 2007-10-16 00:24:19

ANo.1

Wikipediaより、該当箇所を以下に示します

沖縄での集団自決の証拠資料が無いと即断しているが、そのような非合法な書類は残りにくいと考えられるし、口頭で済ませてしまえば文書として残らない。(ただし、BC級戦犯の摘発経緯から解るように、非合法な命令を口頭で済まさず資料として残って居る場合も多々存在している)。つまり、証拠資料の不在はロジック上、集団自決否定の根拠にはならない。

書類があったとしても、沖縄戦の敗北時に焼却されて当然なのだから、戦後に書類が残っていないからといって、命令自体がなかったと決め付けるのはおかしい、という主張のようです。
小林よしのりの議論は根拠が薄弱だから、もっと確かな根拠を示すべき、ということでしょう。上の論理でいけば、「絶対に現地住民を巻き込んではならない」とする牛島司令官の命令書などがあったなら、根拠として認められるでしょうね。

投稿日時 - 2007-10-15 13:38:51

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