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解決済みの質問

江戸時代は農業社会?

「江戸時代後期の諸問題と近代化」についてのレポートを書くために調べています。
このテーマでは漠然としているので、切り口を自分なりにつけようと思いました。
まず江戸時代というものを、年貢を税金にしていたことから米を基盤とした農業社会であるとまず定義づけ、近代化というのはその農業社会から新しい社会(たとえば工業社会?)へ変えていく作業だったのかな、と考えました。
江戸後期の諸藩には産業改革の萌芽もあったようですが、基本的には米メインの社会で、経済学的に無理がある社会だったと考えています。
それが抑えきれなくなってきた所に黒船が来て一気に革命が起こったのかなと

それで、上記のようなことを述べている、それを裏付けるような、なおかつ初心者の自分にもわかりやすい本を探しています。
ちゃんとした文献を探すという作業をしたことがなく、図書館へ行っても高度な論集しかみつからなくて困っています。
なんかわかりにくい文章ですね・・・すみません(><)
ポイントをまとめると、
・江戸時代が農業社会であった。
・その農業社会では無理があった。
・明治政府はそれを解消した社会を作った。
この3つを裏付けるような資料が欲しい、ということです。
もちろん、自分はこう考えているという意見を書き込んでいただけたらとても助かります。

投稿日時 - 2007-07-13 16:24:14

QNo.3164250

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

「江戸時代が農業社会であった」
これは間違いないでしょう。残念ながら「統計」なるものが存在しない社会でしたのでこれを立証するのは難しいですが、立証するまでもない「自明の事実」のように思えます。

「その農業社会では無理があった」
これはどうでしょうね。無理があったかどうかは分かりません。

ただ、農業社会と言っても、江戸時代の中ごろには、農業の生産性が頭打ちになっていたはずです(この辺は論考が見つかるでしょう)。明治になり、欧米の農業技術が次第に導入され、農業生産性自体が上がりました。さらに、欧米の土木技術を導入することで、新しい用水路(例:安積疎水)を建設したり、治水を向上させて耕地を広げる、湿田を乾田に変えて生産性と労苦を減らすなどが実現できました。
余談ですが、新潟あたりの湿田が乾田に変わったのは、第二次大戦後のことです。それまでの越後の農民の多くは、いわば「泥水のプール」に胸まで浸かっての辛い農作業を強いられていました。

この辺の傍証として、
「日本史再発見 理系の視点から」
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=18836469
で、現在の福島県の相馬藩の、江戸時代から明治時代の人口推移データを元に、「明治時代になって相馬藩領の農業生産力が大きく増加した」ことが論考されています。面白く、読みやすい本なので推薦します。質問者様のレポートのヒントも多く見つかるでしょう。

「明治政府はそれを解消した社会を作った」
明治時代の終わりの段階では、まだまだ日本は農業国だったと思います。その頃の輸出品の統計で立証できるでしょう。しかし、明治時代に工業化の種がまかれた結果、第一次大戦の特需による工業化の加速を経て、大正から昭和に変わった頃には、日本は「まあまあ工業国」程度に進化していたと思われます。

こういったことは、江戸時代とは違い、質問者様の仮説を各種の統計で立証することができます。頑張ってください。

投稿日時 - 2007-07-13 17:10:33

お礼

さっそくの回答ありがとうございます!
農業の生産性が頭打ちになっていたこと、明治での農業技術の飛躍
それに明治時代はまだ農業国だったけど工業化のタネはまかれていた、という考え方は、とても有意義な取っ掛かりになりそうな気がします。
紹介していただいた文献も面白そうで、早速図書館へ調べに行こうとおもいます。

また余談ですがはじめてのOKWAVEへの投稿で、こんなに丁寧な回答をいただけて感動しています(笑)
ありがとうございました!

投稿日時 - 2007-07-13 17:42:28

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回答(7)

ANo.7

>回答者様は江戸後期にはどのような問題点があったとお考えですか?

自分の考えはありますが、それをレポートの参考になされるのは、質問者様にとってマイナスであろうと愚考致します。
自分なりに納得いくまで、がんばってください。

投稿日時 - 2007-07-14 19:05:34

お礼

ごもっともです(´д`;)
がんばります!

投稿日時 - 2007-07-17 15:32:55

ANo.6

まず、なぜnyamuoさんはそのような結論に至ったのでしょうか。何かの資料を読んでそのような結論に達したなら、その資料が根拠となります。特に何かの資料を読んだのでなければ、厳しい言い方になりますが、何の根拠もない「単なる思い込み」にしか過ぎません。

>ちゃんとした文献を探すという作業をしたことがなく

気持ちは分かりますが、やったことがないから許されるものではありません。今までやったことがないなら、これから試行錯誤しながらするだけの話です。大きな書店や図書館で足を使って地道に資料を探すしかありません。

「自分がこう思ったからそれを裏付ける資料が欲しい」というのは科学的態度ではありません。医者が「この患者は心臓が悪いと思うからそれを裏付ける検査データをくれ」と指示していたらおかしいですよね。「こういう検査データが出たからこの患者は心臓が悪い」というのが正しいですよね。
ですから、まず資料を頑張って探すことです。そうすれば、その資料を読むうちに「根拠ある結論」が出てきます。

ちなみに、幕末で結構ありがちなんですが「黒船来航で一気に時代が進んだ」と考えがちですが、黒船来航が1853年、明治元年が1868年、15年もあるわけです。江戸開城が1868年ですから、とても「一気に時代が進んだ」わけじゃないんですよね。薩摩藩や佐賀藩、また江戸幕府が反射炉を作ったり蒸気機関を作ろうとしましたが、それは兵器生産のためで、決して「日本に産業革命を起こそう」というものではありませんでした。
どうしても分かりやすくなおかつ手っ取り早い資料をお探しなら、「風雲児たち」というマンガをおすすめします。ただし、新旧合わせると30巻にも渡る大作なのでマンガとはいえかなり読み応えがあります。

投稿日時 - 2007-07-14 12:40:58

お礼

そうですね・・確かに甘い考えだと思いました。
質問にかいてある自分の意見は、司馬遼太郎の歴史小説をいくつか読んでなんとなく思いついただけの、ほんとに「単なる思い込み」です。
色んな資料に目を通さないとちゃんとした論旨なんて生まれませんよね。
紹介していただいたマンガに目を通してみたいと思います。

eroero1919様、名前はアレだけどご意見ありがとうございました!

投稿日時 - 2007-07-14 12:54:08

ANo.5

農業社会ではありますが、農耕種族では無くなっていたのは確かでしょうね。
日本の第三次産業は安土桃山時代から爆発的に増え、
江戸時代の第三次産業と文化度は世界のトップクラスとまで言われていますよ。

付加価値を付ける土壌は江戸時代に培われています。

明治が革命とか言ってますが、
幕臣の築いた遺産をそのまま流用しただけですよ。
明治の改革は田沼意次の構想にもありましたし。

実質的には明治は革命とは言えなくなってきていると思います。
工業化はいくつかの藩が成功していますし。
それを単純に拡大させただけです。
単に支配者が変わっただけのことで、経済的にも商業的にも自由競争化をさせただけですね。
これあるを待っていた民間人の力で明治時代が支えられてただけです。
今では明治政府はそれほど偉業をしていません。
ほとんど江戸時代のを新時代の応用をしただけです。

文化的に考えれば、江戸時代の文化を明治は弾圧しているのでこちらは停滞したという方が正しいのではないでしょうか。

どいういうレポートにするか分かりませんが、こういう事もあるというのも覚えていていただけると嬉しいですね。

投稿日時 - 2007-07-14 02:39:27

お礼

なるほど、明治においての経済発展は、江戸時代の応用。
この考え方は自分の中になくて、とても新鮮でした!
書こうと思っていた題材の前提が崩れていくようで戸惑っています。
迎合して題材を変えていくかヒントとしてねじふせて融合させていくか、とても迷います。
嬉しいような頭が痛いような・・・(笑)

こうなったらもうもっと頭を痛めていきたいと思います。
もっともっとご意見を受け付けたいと思いますので、よかったらご協力下さい!

投稿日時 - 2007-07-14 12:41:57

ANo.4

 既に正答が出ていて、ケチ付けるような気がしますが…
明治時代後期どころか太平洋戦争前後まで農業器具は江戸時代からあまり進歩が無かった、という話があります(石川英輔さんの著述)
石川先生の著述にもありますが、例えば『蝋燭(ロウソク)』を生産する場合、最初は櫨を栽培する農業、次にそれから蝋を作り出す工業、そして製品を売り渡す商業にまで関わっています。これは、稲を育て、脱穀し、俵詰めするように同一生産者の仕事です。一口に農業といっても、その裾野が広い…。
 
 米を題材にするのであれば、『諸式高の米穀安』となった事実を切り口にされた方が宜しいかと…
 老爺心です。研究の妨げとなったらお許しを…

投稿日時 - 2007-07-13 21:57:39

お礼

>一口に農業といっても、その裾野が広い…。
確かに(´~`;)
米を年貢としていたことから、単純に農業社会だと題名づけてしまいましたが、安直だった気がします。
農業社会→工業社会とざっくりいけるほど単純でもないかもしれないですね

諸式高の米穀安を切り口に、ということは、国を支える税金として米が力不足になった、というような導き方でしょうか?
老婆心なんてとんでもない!貴重なご意見でございます。

投稿日時 - 2007-07-14 12:31:44

ANo.3

抜けがありました。

×他はクワやなど、

○他はクワや茶など、

江戸時代に商品経済が成熟していなかったのなら、明治初期の高度成長は不可能ではないかと。
少なくとも薩長のバカどもに経済なんぞわかってませんでしたからw

投稿日時 - 2007-07-13 18:37:56

お礼

なるほど、江戸時代は米や他農産業を商品とした経済社会でもあった、ということですね。これもとても興味深いです。
江戸時代は米本位制ではあったけど、ある程度融通がきいていたのですね。
となると、江戸後期の制度は悪いものではなかったのかな・・・?
問題があったから明治維新が起こったのではなかったのかも?
うーん、コレで行くのもおもしろそうだけど、レポートの問題提起にケチつけてしまうことになるなぁ・・困った(;´д`)
回答者様は江戸後期にはどのような問題点があったとお考えですか?

投稿日時 - 2007-07-14 12:22:27

ANo.2

網野善彦氏によれば、コメを作っていたのは人口の4割程度で、他はクワやなど、完全な商品作物(魚介類なども含んでよいでしょう)を生産していたようです。
また、コメ自体も食物より商品として取り扱われ(投機の対象でもありました)、幕府は米価の安定を経済政策の柱にせねばなりませんでした。
農業社会としての位置付けは、江戸初期においてのみ有効ではないでしょうか?
江戸後期においては、農業も商業に組み込まれた商業社会ではないかと考えます。

投稿日時 - 2007-07-13 18:32:27

お礼

9年遅れてしまいましたが、ありがとうございます。

投稿日時 - 2016-10-19 09:24:14

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