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締切り済みの質問

黒澤明と溝口健二

授業で配られたプリントに、「黒澤は溝口をすごく尊敬していて、その後押しがあったから制作会社に対して傲慢になれた」と書いてありました。(自分で英語を訳したので自信がありませんんが)
Kurosawa could indeed be very dictatorial to his company because this was kind of pushing which he so admired in Mizoguchi.

実際黒澤と溝口の関係はどうだったんでしょうか?お互いどういう立場だったんでしょうか?

投稿日時 - 2007-01-09 20:44:30

QNo.2654771

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回答(4)

要するに翻訳がいけません

英文を見るとMizoguchiの前にinがありますよね。ということはmizoguchiはadmireの目的語にはなりえない、ということです。ということは、「黒澤は溝口を尊敬していて」なんて訳は出てきようがありません。

黒澤がadmireしたのは溝口の図々しさ・押しの強さです。

そういう先例・お手本があっての黒澤天皇であった、ということです。

「黒澤が会社に対して非常な高姿勢を貫き通せたのは、溝口流の図々しさというか押しの強さの効能に多くを学んだからにほかならない」

前後がないので、必ずしも適切な訳になっていないかもしれませんが。

投稿日時 - 2007-01-14 00:53:31

お礼

admire in のin には少し?という感じだったんですが、これですべて納得いきました! ありがとうございます!

投稿日時 - 2007-01-17 19:57:01

ANo.3

はっきり言って特に関係ないでしょう。
宮川一夫も溝口とはまだしも黒澤に対してはそれほどまでに深い関係性を構築していたわけでもないようです。黒澤が溝口映画での宮川の仕事を評価していたのは事実ですが、それは現場の事象として特別な事でもないですし、女房役の取り合いなどと言う下世話な事を言い出したら市川監督も巻き添えを食ってしまいます。尊敬の念と言う話ですが、これは黒澤に聞かないと分からない話でしょうが、黒澤の言及としてはミゾさんと呼んで、彼の俳優の指導法について少々言及している程度で、また黒澤の発言は彼のメディアへの傲慢な姿勢からなのか、それほど真摯に作家性を露呈させるような発言を軽率にはしない人ですから、重要な示唆が含まれているとは判断しにくいですね。黒澤にとっては目上の名監督に対する尊敬程度のものでスタジオシステムの中では伝統的な取るに足らないものでしょう。映画会社が違うということもやはり大きいと思います。現在では小津黒澤溝口などと名前を雑誌の見出しの如く切り出してますが、彼らが活躍中にはまだ他にも戦前からの巨匠名匠はいくらでもいたわけですので、あれほど歳の違う相手を躍起になってライバル視していたことはないでしょう。

投稿日時 - 2007-01-10 22:31:04

お礼

そうですね。どこを探しても親交があったようなことは書かれていませんしね。詳しく答えていただきありがとうございます!

投稿日時 - 2007-01-17 20:01:43

ANo.2

 今晩は。
 because以下の解釈に問題があるような気もします。非常におおまかな訳ですが、
「溝口流の見事さに倣ったからこそ、黒澤は制作会社に強気で対することが出来た」
こんなところではないでしょうか。
 これならば黒澤と溝口が仲が良かったとか、黒澤は実は溝口を尊敬していたとか、そういう意味には解釈のしようがなくなります。小津と溝口の関係ならばともかく、既に言われているように黒澤と溝口の間に格別の好意があったというのは聞いたことがありません。

 念のためにこの文の訳を英語カテゴリーで訊ねてみると良いでしょう。原文はドナルド・リチー辺りでしょうか?

投稿日時 - 2007-01-10 20:23:26

お礼

そうです!ドナルド・リチーです!
やっぱりbecause 以下の admire in にポイントがあったかと。
ありがとうございます!

投稿日時 - 2007-01-17 20:04:42

ANo.1

ある意味ライバル的な存在だったようで、伝え聞くところによると仲は悪かったようですよ。
黒澤監督よりも溝口健二監督の方が年齢は12歳上ですし、監督としてのキャリアも溝口のほうが戦前のサイレント期からと早いです。
ですが国際的に名が知られたのは黒澤の方が早かったため、溝口はかなり意識していたようです。
また名カメラマン、宮川一夫氏が黒澤の「羅生門」を手がけ、これがベネチアグランプリを獲得し、その後も黒澤監督が宮川カメラマンとのコンビを熱望したため溝口監督は「ボクの女房役をこれ以上どうするつもりですか?」と映画会社の上層部に掛け合って、黒澤作品につかないように要請しています。まあこれは自分の作品のためにこのカメラマンは手放せないってことで、監督としたら普通の考え方ですが。

音楽担当者に関しても黒澤の「七人の侍」や溝口の「雨月物語」で知られる早坂文雄氏を”取り合って”います。
で、当の早坂氏は53年から55年に掛けて黒澤作品2本、溝口作品5本を担当し、その激務により過労死とも言える亡くなり方をしています。
早坂氏の葬儀では「お前が殺したんだ!」と両監督は罵りあったというまことしやかな噂まであります。

そんなわけで溝口の方が映画人として大先輩ですが、個人的には不仲だったと思われます。
また溝口は大映、黒澤は東宝とベースとなる映画会社が違っていたので(黒澤は大映で「羅生門」を作ったんですけど)、後押しとか、そういったことはあっても会社が違うので影響はなかったんじゃないでしょうか。

あと監督として意志を貫くという姿勢が会社の上層部には”傲慢”にもうつったのだと思います。
両人を知る方たちと話したことがありますが、映画製作の場を離れると、ごく普通の常識人だったようですよ。
”傲慢さ”というのか凝り性とというのか、監督としてのとんでもないエピソードでは「あなたは老け役だから歯を抜きなさい」と女優に命令したとか、黒澤監督よりも溝口監督の方が常識はずれの話が多いです。

投稿日時 - 2007-01-09 21:34:50

お礼

両者の関係がよくわかりました。ありがとうございます。
ただ、そうすると、あの英文はどういう意味になってくるんでしょう・・:もう少し調べてみます。ありがとうございました。

投稿日時 - 2007-01-09 22:25:34

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