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解決済みの質問

キリスト教徒のセックス観

映画『ダ・ヴィンチ・コード』について、「原作のテーマが、イエス・キリストが結婚して子供をつくり、その子孫が現在も生きているという、聖書を重んじるカトリック教徒にすれば冒賣的な内容なのです。」と解説した記事(http://www.excite.co.jp/News/entertainment/20060521100000/Gendai_19935.html)を読みました。

キリスト教では、教祖であるイエス・キリストは結婚したり子供をつくったりしていない、と伝えているようですが、聖書を重んじる人々は、結婚しない、子供を作らない、ということを美徳としているのでしょうか?
しかし、カトリック教徒にも子孫が存在する現実を考えると、それは不自然なので、きっと実際はそのような考えではないのだろうと思えます。

宗教に疎い(聖母マリアが処女でありながら受胎したことや、宗派によっては自慰行為を認めていない、ということを見聞きした程度)ので、キリスト教徒のセックスに関する基礎的な概念をご教示いただけると幸いです。

なお、宗教のカテゴリが見当たらないので「哲学」で投稿しました。

投稿日時 - 2006-05-21 21:09:06

QNo.2166203

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

別にキリスト教が、結婚や子供を作ることを否定しているわけではありません。問題は、クリスチャン(キリスト教徒)にとってイエス・キリストがどういう存在か、ということです。
なぜクリスチャンにとってイエス・キリストが最も大切な存在なのか、それは彼が「教祖」というより「神の子」だからです。
キリスト教では、人類は、かつて禁断の果実を口にした為に、未来永劫ありとあらゆる欲望に悩まされるという、「原罪」を背負わされています。生まれながらにして罪を犯す術を知っている、汚れた存在なのです。
そしてイエス・キリストは、この世を創造した「神」の唯一の子供であり、汚れた罪人(つみびと)である人間を救うために、神より使わされた救世主なのです。
つまり、姿形こそ人間ではあっても神そのものなわけです。マリアの処女懐胎も、神の子イエスが、セックスという性欲(原罪)を源とした行為の果てに生まれる「人間」であってはならないという教えからなのです。
『ダ・ヴィンチ・コード』が冒涜的な内容とされる所以は、「救い主である神聖な神の子」が性欲に悩まされる「ただの人間」である、と論じているところにあるのです。
基本的にはこんなところです。あと、蛇足をいくつか。
まず、カトリックとプロテスタントの違いの一例をひとつ。
カトリックが、マリアを神の子イエスを産んだ「聖なる母」と位置づけ崇める対象としているのに対し、プロテスタントは、マリアは単にイエスを生む役割を与えられた人間であるに過ぎないとして、特別な存在ではあっても崇める対象とはしていません。
次に、キリスト教におけるセックス観。
宗派によって違いはありますが、基本的にはセックスは一生を添い遂げる相手に限り許される行為であり、その条件さえクリアしていれば奨励すらされているといっていいでしょう。実際、旧約聖書の「雅歌(がか)」の章は、ソロモン(ジオンじゃないぞ)の花嫁に対する愛の歌として、読んでいて赤面モノの肉感的表現が延々とつづられています。

投稿日時 - 2006-05-22 03:23:15

お礼

宗教とは、理想の人間像に近づくために日々精進する際の指針のようなもの、と思い込んでいました。キリスト教ではイエス・キリストが理想の人間像に相当すると思い、上記の質問をした次第です。そもそも宗教(少なくともキリスト教)というものを誤解していたようです。

> 生まれながらにして罪を犯す術を知っている、汚れた存在なのです。
このような考えを基礎としながらも、人間であることに失望せず、子孫まで残すことを興味深く感じました。宗派による考え方の違いも興味深いですし、少し勉強してみようという気になりました。
ご回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2006-05-23 13:13:07

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回答(5)

ANo.5

No.3です。

>ご回答ありがとうございました。
>女性を忌むべき汚れた生き物としながらも、女性も信仰していること
>に驚いています。

いつだったかカトリックの女性差別についてどこかで
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/sexism.html
を貼ったところ、女性信者から「そんなインチキサイトは信じるに足らない。ソースを出しなさいよ!」と返信されました。

ソースはそのサイトにみっちり書いてあるのですが、<耳障りのよくない文字は都合上見えない>という特徴がある女性信者だったようです。

聖書に書いてある<目が見えない>とはこういう意味だったのでしょうか。

聖書の中でも、女性は数のうちに入っていないですよね。
5千人集まって、それ以外に女もいた とか書いてありますよね。
人の数を数えるとき、女は数えない・人数に入っていない その聖書を真理と女性信者は疑いもなく信じられるのが、私は理解に苦しみます。

大昔だから差別はあたり前だとしても、異邦人にとか、みんな平等 という謳い文句をしている集団が、実際には異邦人の財産目当てに魔女・魔法使いと仕立て上げ殺してしまっては。

バチカンが未だに聖職者に女性を登用しないことを女性信者はどのように納得しているのか、一度聞いてみたいものです。
やはり、「男がいうように馬鹿で忌むべき存在なのだから当然」という答えが返ってくるのでしょうか。


>> つまり去勢 死への欲望 が形となってこの世に現れていると思えます。
>すみません、この部分はよく理解できませんでした。

これはですね。
私はキリスト教信者に「イエスは処女マリアから生まれた」「イエスは死人を蘇らせた」「水の上を歩いた」「水をぶどう酒に替えた」「死んだあと3日後に生き返った」ということをどうやって信じているのか聞いてみたかったことです。
しかし それよりもっと聞いてみたいなと思っていたのは、イエスが処刑されるのを知りながら、何の抵抗もしなかったということです。
後に「イエスは本当は神様で、愛する人間の原罪を取り払うため、人間になって、自ら罪を背負って死んでいったのです」と解釈されたようですが、聖書を読む限り、なんかひっかかっていました。

こじつけにしても無理がありすぎる。

ある時、別の解釈を読み、最後の晩餐の席で、「この中に自分の一番の弟子がいる」という訳を見かけました。
弟子達はそれが誰かと話し合い、イエスに聞いたところ、「自分のワインに手をつけている者だ」みたいな事を答えたと記憶しています。

その後ユダに「行ってやるべきことをしなさい」と指示している。

その流れが理解できませんでした。

後で、別の訳では「この中に裏切り者がいる」となっていて、イエスは予知能力があったのか? とかばかな事を思ったりしました。

そして確か高名なラビを父に持つ哲学者の小説では、その言葉には「裏切り者」という以外に、サポートする・助ける という意味があるみたいなことが書かれていたのです。
(10年前に出版された小説です)

そして、
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/shop/j/yuda_c.shtml
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/topics/n20060407_2.shtml

確かに、紀元300年頃だったと思いますが、その頃の教父が異端として焼き捨てるよう命令して、すべて焼き払われたはずで現存するはずのない文書です。


が、そもそも聖書そのものが、誰が選んだ文書が聖典に入ったのかなど経緯を見ると、統合のためだったでしょうけど、隠蔽もする必要があったために聖典が成立したようなのです。

そして、このユダの福音書の内容でいけば、イエスのタナトス 死への欲望ゆえにイエスが計画し、一番信頼していたユダに援助してもらい自殺したことになります。
イエスの考えでは、開放、肉体からの離脱だったようですけど。

この考えはイエスに限ったことではなく、実際日本は自殺者が多いですが、この考えにそって自殺する人も多いのではないかと思えます。
自殺ではなく、開放だとしているようですけど。

で、罪を背負って生け贄となったという物語になったのは、他の宗教の影響が混入したためだと思えます。

ユダヤ教にはそのような思想は無いと思えます。

入れたのはギリシャ市民権を持ちギリシャ文化に育ったユダヤ人のパウロなのかどうかはわかりません。

投稿日時 - 2006-05-24 00:22:29

お礼

再度のご回答ありがとうございました。
多面的に理解したいので、とても参考になりました。

投稿日時 - 2006-05-24 08:16:18

ANo.4

いよいよダヴィンチ・コード公開されましたね*
私はまだ見ていないのですが、かなり危険な映画であることは間違いないと思います。
ダヴィンチがかなりの天才であったことは歴史を見ても明らかだと思います。
しかし、彼が異端者であったことも広く知られていることです。事実、イエス・キリストを冒涜するような絵を数多く残しています。
そのダヴィンチが残した“最後の晩餐”。
イエス様とダヴィンチは、生きていた時代(イエス様は今も生きているけど、天に戻る前にという意味で)もずれていて、実際に最後の晩餐を見て描いたわけではないですよね。あの絵はあくまでも彼の想像で描かれたものです。
イエス様の隣にいる人を、もしマグダラのマリアのつもりでダヴィンチが描いていてとしても、=マグダラのマリアがイエス様の奥さん、という証拠にはなりえません。あくまでも、彼の想像、またはクリスチャンを惑わすために残したものでしか無いと思います。
そのような話は聖書の中には出てきません。
もちろんダヴィンチ・コードの全てが嘘だとは思いません。でも99%の真実に1%の嘘が入っていれば、もうそれは真実とはなりえないですよね**
それをあたかも事実のように映画の中で描いてしまっては、イエス様を愛する人が怒っちゃうのも当然ですよね***

私はイエス様は結婚していない、子供はいないと思っています。それは、聖書に書かれていないからです。
もし仮にイエス様に子供がいたとしても、それが聖書に記されていない以上私たちが知る必要は無いとの神様の判断だと思います^^

聖書の一番初め、創世記には“産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。”と書いてあることからも、神様は、人間に子供を作ることを許していますよ^^
神様は私たちをご自身にかたどって造ってくださいました。私たち人間と動物の最も大きな違いのひとつは本能と理性です。動物も人間も性欲は本能ですが、人間にはそれを行動に移すかどうかを考える、または抑える理性を与えてくださいました。十戒の“姦淫するな”という戒めからも分かる様に、淫らな行いは控えるべきだと思います。生涯の伴侶は神様が用意してくださっていると信じているので、私はそれまではそういう行為はしないと思います^^

どうか皆様がダヴィンチ・コードに惑わされることなく、真実に目を向けて歩んでいけますように・・・・。(ちょっと愚痴っぽい書き込みになってしまいました。お許しを!)

投稿日時 - 2006-05-23 20:05:33

お礼

ご回答ありがとうございました。
生涯の伴侶に早く出会えるといいですね!

投稿日時 - 2006-05-24 08:14:35

ANo.3

本来なら、父・母・子であったものが、ユダヤ教が成立するにつれて、母が排除され、聖霊に取って代わられ、父・子・聖霊となったようです。


何故母つまり創造主が排除されてしまったのかは、想像の域を出ませんが、氷河期が終わり、人類が移動を始めたため、他に住んでいた人々の地域を横断したり、より豊かな土地に住もうと侵略を始めたため、軍隊が必要となり、殺しを始めたからではないかと思えます。

殺しは創造とは逆の行為である。
しかし、自分たちを妨げるものは殺さなければならないとして、産み・育てるものを否定する必要があり、それで母の位が排除されたのではないかと思えます。

古代では子供ができるのは、神の祝福があったからで、子供が生まれるのに、一切女性は関わっていないと信じられていました。

神が女性という器または道具を通して男の子孫を与えていると信じられていたのです。
卵子の存在は肉眼で確認することができませんでしたし。
今日の科学でいけば、間違いですが、古代ではそう信じられていました。


忌むべき汚れた生き物。 それが女でした。

アダムのそそのかし、堕落させたのは女であるとして物語は進行していきました。
そこから人間が限りある命になり、汗水たらして働かなければならなくなった原因は男には全くなく、すべて女のせいであるとして、汚れた生き物と考えられていったようです。


イエスはエッセネ派集団とも関わりを持っていたという説があります。
厳格な独身主義者の集団で、女性に触れただけでも、汚れたとして、水で身体を清め、数日間は聖所に近づいてはならないという掟があったようです。

それではエッセネ派集団の人々は血縁が途絶えてしまいます。
神の祝福を拒絶することになってしまいます。
それで、スケジュールにそって、婚約・結婚・性交が決められていたようです。

あくまで神の祝福を得るためであり肉欲による性交ではないと証明するために、婚約期間を数年間儲け、その間 一切性交は行わない。
その婚約期間が過ぎて、性交をしなかったことで、肉欲に溺れない者と認められ、神聖さが一番弱まった月である12月に初めて性交が許されたようです。
そして一番神聖な9月に誕生するとされていました。

その時男の精液を受け神により男の子供を宿らせる器は、それなりの女であるべきで、本当に処女なのか吟味されたようです。

イエスの場合、生まれが9月ではないようなので、父ヨセフの心が燃え 高まったためフライングしてしまったようです。

それで、イエスは掟とは違うので、なかなか認められず、マリアの子と呼ばれたりもしたようです。
しかし、ヨセフが自分がフライングしたと認めたため、天使 つまりエッセネ派の偉い人がヨセフにマリアと結婚しなさいと伝えたようです。

神の計画以外の時に性交をしても妊娠するはずが無いとヨセフは思ったようですが、それは古代の人が卵子の存在を知らなかったのと同様で、妊娠のシステムを知らなかったのが原因で、なかなか認知しなかったようです。


さらにイエスは母に対して「あなたと私は関係ない」と言ったりなどしています。
あくまで父と子と聖霊のみが完全で、忌むべき女はただの器にすかすぎないとしたのでしょう。

エッセネ派集団が住んでいた場所はクムランで、そこが聖なる場所 天で、その以外は地として、イエスは試験的結婚のため地に下った。
その地に下った期間が3年間。

その3年間の活動が新約聖書に書かれているようです。

ナグ・ハマディー文章を読むと、マリアと公の場で接吻をしていたという記述があることから、やはりこの3年間が試験的婚約期間だったと思えます。

パウロもアウグスティヌスなど教父はこぞって女性を憎いんでいましたから、彼らが基礎の部分を作ったので、当然キリスト教において、女性は忌むべき汚れた存在でしかありえないとなったわけです。

一番ひどかったのは、魔女狩りで、性的魅力は魔女の力とされ、魔女だとされ殺していきました。

これには他にも原因があるようですが、ストレスのはけ口として、女性殺しをやったのではないかと思えます。

修道院などを作り、男だけで女性を排除した生活をしだしたようですが、逆に男色にふけってしまったりなどしたようです。

というわけで、この系統の宗教は永遠に男性の性欲の戦いでもあるわけです。
つまり去勢 死への欲望 が形となってこの世に現れていると思えます。

投稿日時 - 2006-05-23 07:36:39

お礼

ご回答ありがとうございました。
女性を忌むべき汚れた生き物としながらも、女性も信仰していることに驚いています。

> つまり去勢 死への欲望 が形となってこの世に現れていると思えます。
すみません、この部分はよく理解できませんでした。

投稿日時 - 2006-05-23 13:47:08

ANo.2

質問者は、キリスト自身と信者を混同されています。

キリスト教の多数派(カトリック、正教、プロテスタント)にとって、キリストは、単なる人間ではなく、神聖をまとった人間です。

神は、聖母マリアを通して、分身キリストを地上に生まれさせました。

キリストに子がいたり、子造りの行為があったという事は、キリストが、ただの人間であった事になってしまいます。
(これ以上先は、キリスト教のグノーシス的考え方に入ってしまいますので、避けます)

信者自身は、神では有りませんから、妻帯しようが子供をつくろうが問題にはなりません。
(無差別に子を作る行為は、別の意味で禁止されています)

聖職者(神父や司教など)の場合は、宗派によって異なり、カトリックや正教などでは、高位聖職者の妻帯は認められていません。
世界史の授業で、「聖職叙任権闘争」という言葉がでてくるのですが、叙任権闘争の直接の原因となったのが、高位聖職者の妻帯でした。

投稿日時 - 2006-05-22 14:20:33

お礼

イエス・キリストは普通の人間だと思っていました。
人間でなく神(の分身)なら、キリストの行いを全て倣おうという発想は生まれませんね。
ご回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2006-05-23 13:27:46

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