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解決済みの質問

日本文化の本質

いろいろと考えてみたのですが、いまいち掴めません。日本文化とひとくくりに言ってもたくさんありますが、これだ、とその本質を特徴づけるものはありますか?そしてその背景にあるものはいったい何でしょうか?

P・F・ドラッカーという人が「日本は知覚の鋭い国で、目で見る芸術が何よりも日本の本質を表している」、と言っています。う~ん、そうなのかなーと思うのですがいったいどういう意味でしょうね。

それとは関係なく、自分で思い浮かぶこととしては、人の性質や生活様式として、「器用さ」、「静かさ」、「多神教」などがあるのかな、と思います。あと、時間の概念・感覚が欧米のものとは違うように感じます。そういった違いを引き起こすファクターが何なのかがさっぱりわかりません。

ちなみに、「文化」を広辞苑(第五版岩波書店)で調べたところ、技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容を含む、とありました。

これらの側面の何れか、もしくはその他のことで何かわかることはないでしょうか?

投稿日時 - 2005-05-11 16:36:57

QNo.1381255

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

#1の方の言われる通り、環境が大切だと思います。

まず日本は島国であり、そして自然環境にも恵まれています。僕の知識だと、明治の開国まであった他国との戦争は、元寇と秀吉が朝鮮出兵したぐらいだと思われます。基本的に、民族を挙げての戦争がなかった。それに比べて大陸だと常に他民族との争いを気にしなければなりません。豊穣な土地がなければ食べることもできません。まさに弱肉強食の世界です。しかしそのような過酷な環境でこそ、武器や文明は進化しました。その点、日本は緩やかな環境だったと思われます。なので常に大陸からの輸入文化に圧倒されてきました。あっちだと金属を流して大量に武器を作る。俺たちはひとつひとつ石を削って作っていたのに…。とかく日本人にとって大陸の文明は凄かった。だから文化も真似る。仏教が輸入されればそれは凄いとして仏像を作る。その文化も幾分洗礼されて、京都に平安京の文化がうまれる。その繊細な芸術文化は確かに日本的です。

自然環境に恵まれた日本人は、その自然も当然信仰の対象になりました。美しい自然。山にはその山の神様がいて、川にはその川の神様がいる。その神様との精神的交流。基本的に、自然と和をもって融合する文化です。庭などにその精神が見られます。それに比べて西欧の場合、自然との闘いが精神だと思います。民族間の争いが激しかったのも理由の一つだと思います。土地を切り開き、生産効率を上げて豊穣な土地を広げてまた奪う。食料こそ基本です。日本だと静かに自然と交流し、庭を作りまた自然を楽しむ。俳句でもねってみようか。そういう世界です。それに対して西欧だと、即物的で精神的なことは絶対神に任せきり。自然は神が与えたもの。自然とは交流するものではなく利用するもの。その恩賜を神に感謝しよう。そういう文化になります。僕が思うに、西欧は現実的で、日本は精神的なイメージがあります。

日本文化の特徴、その背景は何か?日本人の本質はなんだろう?多神教という考え方をする文化は、自然に多元論的思考だと思います。西欧の二元論とは違ってある意味柔軟です。二元論だと「お前は敵か味方か」になってしまいます。しかし多元論的だと、なんでもOK。とりあえず受け入れよう。そういう文化でした。なので、キリスト教でもないのにクリスマスは世界トップレベルで祝ったりする。ある意味こだわりがない。それは多元論的文化だからこそ出来るワザだと思ってます。昔から中国の文化を輸入してきたので、日本と中国の文化は似ていますが、明治の文明開化以降は、イッキに西欧化して現代にいたります。他の二元論的思考の国だと、伝統にこだわるので西欧文化を拒む傾向にある。しかし日本は多元論的文化だから、イッキに先進国へと登りつめた。もちろん、当時の日本も開国に反対する動きは大きくありました。しかし開国してしまったものはしょうがいない。案外さっぱりと国民総動員で頑張った。日本文化のひとつの特徴だと思います。

他の視点から見れば、例えば日本人は風呂好きだと言われます。毎日風呂に入る。昔はどうだか知りませんが、要は禊ぎの文化があったんじゃないかなと思います。衛生上、海水だと消毒されるわけだし、何かあればお清め、盛り塩、お祓い。日本以外にも清めるときは水がよく登場しますが、とにかく日本人は毎日風呂に入って衛生的です。そして、風呂に入って「ああ~生き返る~」と言います。つまり毎日生き返るんです。1日、1日が生まれ変わる。それに対して西欧だと、一生悔いをあらためよと原罪の精神です。一生重荷を背負っている感じ。偶然か、毎日風呂に入る習慣もあまりなかったようです。

このように比べてみても、日本は変わった国だと思います。現在は、西欧化され何が日本の文化・伝統なのかわからないような状況ですが、しかしやはり、その根底には、日本人としての本質が隠れていると思います。

投稿日時 - 2005-05-12 21:12:07

お礼

うわーたくさんありがとうございます!

なるほどー。島国という他国との戦争がなくある種守られていて安全な環境、というのはメンタリティの形成に大きく影響しているのかもしれませんね。のんびり構えていて、攻撃されることへの無防備な姿勢とか欧米人に比べるとあるかもしれません。

日本の芸術文化の繊細さというのはどのくらい前から観て取れるものでしょうか?仏教が到来する前の生産物にそういうものはありますでしょうか?個人的にかなり気になります^^。

自然との交流についてですが、やはり戦争が少ないと、心が穏やかになって静かに時間を過ごす傾向がでるのかもしれないですね。

関係ないですが、日本の生活様式は、基本的に床に座ることが多いと思います。外国は椅子に座るのが殆どですね。床に座るというのは、椅子に比べて移動しにくいですね。これは、逃げる必要がないという点で生活が極めて安全だったといえるのかもしれませんね。それから、正座などは、むりやり体を静止させる座り方だと思いますが、こういう作法が発展したのは非常に興味深いと思います。

多元論に関してですが、欧米はやらなければやられるという意味で二元論に迫られるほど生き抜くのが大変だった、ということですね。ある本で読んだのですが、日本人では同一業者が非常に多いことに加えて、幕の内弁当や東急ハンズなどに見られるように、とにかくたくさんの種類が詰まっているのを好む、というのがあるそうなのですが、多元論と関係ありますかね。その一方で、他人との違いを極端に恐れたりする没個性的な内面性や、出る杭は打たれる、村八分、といった一つにまとまろうという傾向もあると思います。この辺は多様性を認める傾向と相反しないですかね。どうでしょうか。

お風呂好きに関してですが、これは完全に盲点でした。これも生活が安全だったんだな、という印象を受けます。宮本武蔵の小説で風呂は無防備になるから嫌いだ、と言っていたのを思い出しました。

皆さんの回答より一つ結論を出してみました。「日本人は無防備である」(笑) これは冗談ですが、生活が結構安全だったんだな、という印象を受けました。そのため、生活上心的余裕ができて静かに時間を過ごしたり、他人に優しくできるのかな、と思います。いかがでしょうか?

投稿日時 - 2005-05-13 02:23:07

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回答(13)

ANo.13

他の方といろいろとかぶるかもしれませんが、すみません。日本についての本質がテーマなのですが、日本に物申す!的な回答、しかも箇条書きになって、たぶん私も長くなりますので、以上、あらかじめお断りしておきますね(^-^;

私も最大の特徴は「和」の精神だと思います。自分や他人に対して閉塞的なのに「和」を尊ぶという精神は逆説的に他人の介入を許さないということではないでしょうか。
対極にあるのが「個性」「自立性」。比較対象はやはり欧米でしょうね。でもこれは社会心理学の実験でも実証されています。

西欧=近代において、自己と周囲から独立した存在であるという「相互独立的自己観」、東洋=伝統的に、自己とは周囲と結びついた関係志向的実体であるという「相互強調的自己観」という区分です。

何かを選択するとき人は合理化しますよね。たとえば恋におちたとき、その理由を「偶発的生理的興奮」を自分の内に呼びさまされたからだ、とは言いません。たとえそうであっても認めてしまったらただそれだけのこと、ミもフタもありません。だから恋をしたのは相手の魅力と自分の相性のよさ、はては前世から決まっている運命だと意味づけし、自己認識と相手への期待するイメージとつじつまが合うように合理化し、正当化します。でもそのように合理化する前提は「不安感」ゆえです。

つまり欧米人は能力、合理性など自己の内的属性へ懸念が「不安」となり、選択における自己の合理性、決断力など独立的自己の脅威となるとき「正当化」をします。
東洋でも「選択につきまとう不安」に関しては同じですが、個人的な場合には生じず、選択についての他者の反応が考慮された場合にのみ協調的自己への脅威となるため「正当化」される、のだそうです。

たとえば私の知り合いでアメリカによく出張にいく人がいますが、アメリカで仕事中、つい「すみません」と断ったそうですが、現地に長い日本人から「自分が悪くなくても絶対に謝るな」と忠告されたそうです。つまり何かがあったときに罪を認めたという既成事実を作ってしまうからだそうです。つまり自分を正当化ばかりするわ、絶対に謝らないわ、ほんっとーに付き合いづらい人種だと知って帰ってきたそうです。
それにしても「和」を重んじるのに、「異端排除」は別なのでしょうか。欧米では個性と称されてときに賞賛される対象となるような人でも、「変ってる人」「面白い人」「いいキャラ」「不思議ちゃん」「宇宙人」「変人」・・・挙げれば挙げるほどレッテル名は人間離れしていきますが…(経験者は語る)。

また日本は自殺が多い国という印象も強いそうですが、ちょっと疑問です。北の果ての極寒の国では寒いあまり自殺するケースもあるそうですから。
「環境が気質も作る」といいますが本当ですね。島国文化が挙げられていますが、四方八方大陸に囲まれていれば皆で守りあうという必然性から協調性も必然的に身につくのでしょうか。

ところで谷崎潤一郎の「陰影礼讃」は光と影の文化を謳っています。ANo.8さんもおっしゃってますが、日本て紙と木の文化ですよね。
障子を濾過することで柔らかく差し込む光と、床の間の凹部分のコントラストを賛美していますが、イメージではモノクロの世界。陰鬱というより「ほの暗さ」が好きなのは、実は自閉的な空間に独りこもるために必要だった文化なのではないでしょうか。あと墨絵などもモノクロの芸術ですよね。

だからやっぱり根暗文化(笑)。といってはますます陰鬱になるので私的にマイナーコード文化と称してます。たとえば宇多田ヒカルがあれほど売れているのは彼女の作る曲が主にマイナー調だからだそうです。なるほどと思いました。私的には私の人生暗くとも本人がバリバリのメジャーコードのノリなのでサルサやボサノバなどのラテンミュージュクが好きですが、アユが売れてても根底で脈々と歌い継がれる演歌などはバリバリの「怨みつらみ」世界ですよね。女性演歌は男を尽くす、立てる、許すの三拍子の完全時代錯誤の世界です。

でも欧米人のノリのよさは日本人も見習うべきでしょう。唄うように話す彼らのノリをみていると、この世の幸福を謳歌しているようで羨ましい。でも日本文化が産んだ「カラオケ」で少し酔いが回ってサルサでも踊ればどうなるか。面白い人、か、可笑しい人と即レッテルが貼られてしまいます(経験者は語る)。

他には若者のファッション。これほど流行を追い、他人の格好を丸ごと真似るのは日本人くらいだそうです。バブルの頃「ボディコン」が流行りましたよね。外人が下着を見せながらクラブで踊る女性達を見て「彼女達は娼婦か」と驚いたそうです。フランスの女性は古着などを本当に上手く着こなしている。

あとタバコ。半分あたりで消してしまう日本人をみて驚いた欧米人がいました。彼らの国ではきちんと最後まで吸うそうです。タバコが身体に悪いのはお互い様。でも
もったいないという精神に違いがありますよね。

あと働きすぎ。技術はもう淘汰されたと思ってます。もう十分ですね。あとは更新し続けるだけではないでしょうか。でもその分資源が浪費しますよね。
環境問題、福祉、弱者に対して配慮のない日本は経済ではトップを争っても、このような政策においては世界では最下位です。過剰生産してゴミだけ増えて、リサイクルも本当は実質数パーセントしか回収できてない。しかし本来いらないはずのものを生産し続ける。
循環するだけで突破しようとしない。つまり冒険心がない。こういうのも大陸側の人間のの開拓精神との違いでしょうか。

集団に属して安心するのは終身雇用制が顕著な例でしょう。「親方日の丸」で、なあなあの関係が列車事故を起こす。アメリカなどは自分を売りこまなければならない実力主義です。「自分のボスは自分」という個人主義。私がいくつかの一流と呼ばれる企業の片隅にいたとき、たしかに世界に誇る産業王国でも高学歴人間であろうが個人個人の個性の希薄さにがっかりしました。それこそ異端は白い目でみる。でも人件費は余っているものだから仕事中ずっとネットを見続ける人間にも平等に給与は払われる。

でも芸術面ではちょっと誇れるかも。
スピルバーグやルーカスは黒澤明に、ヴェンダースは小津安二郎に、ジェイムズキャメロンはジャパニメーションに憧憬しているところなどは意外にも世界の巨匠たちの源流は日本文化であることを知ると、ちょっと誇らしい気持ちになりますね。ハリウッドのように派手なことはできないけれど、本質はメイド・イン・ジャパンです。スピリッツは意識しないところで確実に輸出しているわけです。

それでも日本人って本当に古きよき日本の文化を自ら棄ててきています。外国人の方が興味を持ち育てていますよね。たとえば山形県の銀山温泉の旅館の外国人女将。ご本人が出ているCMでもご本人は言ってますよね、「日本は古きよき日本文化をどんどん棄てている」って。ほんとーにそう思う。取り入れるのは早いくせに飽きて捨てるのも早い。しかし取り入れるべき思想やアイデアは10年遅れて輸入される。

なんか我国の悪口ばかり書いてきましたけれど、日本人である以上やはり長所も挙げないと(笑)。

アメリカこれだけは許せないと思うのは、燃えるゴミも燃えないゴミも一緒くたにして出すそうです。やはり京都議定書にアメリカだけ参加していないわけだ、と思いました。

日本人の美徳のひとつは礼儀正しさ。人によっては「スミマセン」を過剰に言いすぎる人もいるけれど、やはり握手を交わす欧米式よりも、一歩下がってお辞儀をする謙虚さは美しい!

また食事がおいしいこと。世界中を旅した人でもやっぱり日本の食事はいちばんだとよく言っていますよね。先のアメリカによく出張する知り合いも、中国にも仕事で行きますが、本人の体質もあるそうですが、お腹壊して帰ってきました。何か皮肉ですよね、本場の中華料理を食べに行って、日本人の作る中華料理が美味しいだなんて(笑)。でも「多神教」については他の方がおっしゃってますが「神」ならずともなんでも取り入れる日本の柔軟性は現代においては食文化でしょう。これほど他国の「食」を取り入れている国はないでしょうね。

あとはお水が豊富なことですね。最近日本でも導入されているドラム式洗濯機は少ない水で洗濯できるのは、水不足の大陸ならではのアイデアだそうですが、水質はカルキだらけでもやっぱり恩恵を感じますね。

あとは・・・憲法9条があることでしょうね(でもこれすら雲行きが怪しくなってきてますが)。

衣食住でいえば私は大正時代の文化が特に好きです。明治維新が落ち着いて夷人と仲良しになって生まれた西洋と東洋文化の素敵な融合。あの頃に生まれたかったなーと思います。レトロスペクティブ。大正ロマン調のお着物、モガスタイル、カフェー、永井荷風の廓世界、竹久夢二、大正建築等々、何もかも好きですね。米と障子、畳と着物文化、実は大好きなんです。やっぱり私も日本人です。

投稿日時 - 2005-05-21 22:09:19

お礼

たくさんどうもありがとうございます。

やはり東洋と西洋を比べると、東洋は共同体の意識が強いんだなぁ、と感じました。ここでふと気になったのですが、西洋も封建主義時代、現在の東洋と同じような精神を持ち合わせていたのではないのかな、と思ったのですが、西洋の相互独立的自己観というのはどのくらい前に確立されたのでしょうか。

異端排除は和の文化には根強いですね。個人的にそのすべての要因は個の自立の欠如だと思っています。個が自立しきった上での和の精神というものだとすばらしいかもしれませんね。

ノルウェーなど北欧の自殺率の高さに関してですが、白夜の反対の現象って何ていうんですか。一日中、日が昇らないという現象が人々をノイローゼにするとか何とか聞いたことがありますけど、信憑性に自信はありません。

根暗についてですが、メランコリーという言葉がふさわしいかもしれませんね。アメリカでも西海岸と東海岸で雰囲気は違いますね。東はなんだかメランコリックな印象を受けます。それから、感情を表現する芸術は一般にメランコリーになりがちだと思います。

若者のファッションも周りに合わせようというメンタリティの現れでしょうか。最近の若者のファッションがどんな感じなのか良く知りませんけれども^^。奇抜な個性がないかわりに、小さなこだわりを持っている人が多いのじゃないかな、と思います。

今は近代化を完成させるための再構築の時期なのかもしれませんね。この変動期を経た後、日本がどうなるのか楽しみです。個人的にはアメリカナイズでも、個人主義でも構わないのですが、この国に生まれてよかった、といえる国にしたいですね^^。

投稿日時 - 2005-05-24 14:00:06

ANo.12

和の文化は、「間」をうまく使って出来上がります。
精神的に参っているとき、上位概念の「神」を考えるのでなく、<間を取る>事によって、つまり、空間を変えたり時間が解決したりすることによっても、精神は癒されます。
人と人は、間を取ることによって、人間になります。
人と自然も、間を取ることにより、ただの騒音でなく、自然を愛でるという事も可能です。
「知覚が鋭い」のは、「間」が使えるからです。
<間を取る>事によって、矛盾する概念も衝突することなく、つまり、上位概念を生み出すことなく受け入れることが可能です。
一神教的な考えは、簡単に言うと、二個のものの矛盾を、上位概念を考えることにより、解決することだと思います。つまり神は唯一つです。
日本に一神教的な考え方が、広まって行くのは、明治維新以後だと思います。
西洋列強に、対抗するためには、一神教的な国家体制を作る必要があると考え、はじめは「和魂洋才」と言って、形だけのものだったのですが、年月を経るにつれて、戦争や経済的変化を、上位概念の(神)を使った解決方法で乗り切ろうとしたわけです。
つまり万世一系の現人神の天皇の国<大日本帝国>という国の考え方です。
現代は、一神教的な考え方だけが真理と言われるため人間関係さえも、上位概念を探さないと解決できないと思われがちですが、本当は<間を使う>ことによって、精神的な安定や、<和>ができるように思えてなりません。
参考になれば。

投稿日時 - 2005-05-20 23:25:34

お礼

間のお話については少し抽象的で捕らえにくいですが、面白いアイディアだと思いました。ありがとうございました。

投稿日時 - 2005-05-21 19:43:28

ANo.11

また長くてスミマセン。^^;

まず、個人主義の件ですが、年功序列や終身雇用制の崩壊から、成果主義、実力主義の時代にシフトしている最中ですが、そのことに気づかずに、封建的で官僚的な体制に乗りかかっている人たちは、まず危機感を持つべきでしょうね。何かによりかかっている人は、その支えがなくなれば危険です。社会形態の話は置いといて、個人主義が浸透して、和の文化は衰退していくような気が僕もします。ただやはり伝統というか、民族の血というか、本人が気づかない奥底の方には、日本人としての和の精神みたいなのも流れていると思います。この先の未来、どれだけ劇的な変化を及ぼすかによると思います。少なくとも、今の日本はまだまだ壁がありますね。外国人と日本人の間に。EUのように、日本、韓国、北朝鮮、台湾などの周辺諸国との連合みたいなのができたら、また国の意識が変わってくると思います。

>個性について…こだわりを見つけ出すには守られた安全な環境ではなく、危険で自分には何が必要かを常に考えなければならない環境に身をおけばいい…
まさにそれです!!その通りです。僕は転勤族に育ちました。なので地元も幼馴染もいません。僕に居場所はないんです。そんな環境に育った僕は、小学生の時から、友達ってなんだろう?流行ってなんだろう?とよく哲学してました。転校するたびに、友達作りをしなきゃいけないし、その学校の流行に合わせなきゃいけないし、イジメの危険も毎回あります。そんな流動的な環境で育った僕は、何が自分にとって必要なのか、常に考えなきゃいけなかったんだと思います。自分を持たなければ…。

日本は環境に恵まれ、戦争もない分、文明の進化に遅れをとりました。江戸時代の身分固定制度は、基本的に貧しい家に生まれたら貧しいままです。教育の浸透の遅れがあります。お金持ちじゃなきゃ教育を受けられなかった。知識がない人が多い分、民衆は扱われやすかったと思います。とにかくお上の言うことは絶対だったわけだし、その辺りから受身な人が多いのも納得です。国自体、輸入の影響は大きかったし。偉い人のいうことに従うのは、昔からの習慣です。自分の意見も意志も持つ必要はなかった。上の言う通りに従って、出る釘にならなければ安泰でした。共同体を重んじる社会でしたからリストラもなかったわけです。明治になり、社会が大きく変わって、技術を得るためには教育が重要だ、と日本中に学校を建てました。それからは学問は重要視されました。いきなり激しい世界競争の中に放り込まれたわけです。それから学歴主義が始まりました。当時はよかった。しかし現代はコンピュータ社会なのに、記憶力重視の学歴主義はどうかと思います。偏差値以外にもいろいろと指標を模索しているようですが、これといったものは今のところないようですね。

大学の問題ですが、高校まで義務教育にして、大学は教授や専門家になりたい人だけが行くようにすればいいと思います。教育は平等に受けられるべきです。とかく、学歴コンプレックスみたいなものなんてバカバカしい限りですよ。記憶力なんてほんのひとつの能力にすぎないとおもいます。

ちょっと話を江戸時代まで戻しますが、集団性が強い分、ブレーンは少数でいいわけです。お上の立場の人がこうだと言えば、身分の低い人たちはそれに従わなければいけなかった。自分で考える必要なんてないし、考える知識もなかった。とりあえず「受容」する。そして事が進むからそれでいいわけです。そのように、仏教が入ればそれを受け入れて寺や仏像を作る。キリスト教が入れば教会を立てて十字架をぶら下げる。アメリカに戦争で負けたらアメリカナイズされる。すぐ染まっちゃうわけです。だから現代日本人も流行に弱いのかもしれません。みんなと一緒じゃないとおかしい共同体の意識が働いて。

受け入れる和の文化というのは、実は、共同体意識だからこそ出来たワザなのかもしれません。ブレーンが受け入れれば、身分が低い者も従った。仏教的に言えば無我の世界です。(似てるけど違うと思います^^;)社会がひとつの有機体であって、個人はひとつの細胞にすぎない。当時はそんな考えすらなかったはず。国の意識すらなかったわけだし、自分の村の掟に従い、その上には藩主、殿様がいる。その上なんて想像の世界ですよ。狭い世界。その社会が世界なわけで、生きるためには仕事を頑張ればいい。それだけでいいんです。言わば社会の歯車として。生いがいなんて考える必要はなかった。難しい問題は全部お上に任せればよかった。考えても意見なんていえない身分制度があったわけです。それがイヤで脱藩でもすれば死刑です。社会の秩序を乱すわけですから。

そんな時代から今まで受け継がれている部分って、あると思います。悪い伝統を壊すのが若者の役目であって、フリーターもそのひとつの現象だと思います。戦後だって、太陽族とかヒッピーとかバックパッカーとかいろいろとあったわけです。僕にとって200万人のフリーターがおかしいとは思いません。逆になんの疑問も感じず官僚主義的な社会にすんなり入る若者の方がおかしいと思います。
話が脱線するから戻しますが、敗戦後、和の文化の衰退は進み、現代はすでに共同体の崩壊にあります。家族、学校、企業など模索している感じに見えます。リストラという名の村八分に合い、中年層の自殺の増加は有名だし、再就職できない中年ニートの増加→生活保護世帯数の増加も問題です。他にも犯罪、教育問題、精神的不健康者の増大など、いろんな問題に繋がります。生きがいを見出せない人。昔は働くしかなかった。それで安泰だったしそれしか道がなかったからまあいい。しかし今のように自由な時代だと、何を信じてどう生きればいいのかわからず自分を見失う人が多いように思います。だから僕は前回、自分の意志を持たない人が多いことに対して憤りを感じると書きました。まったく無責任なんです。とりあえず就職して安全な枠の中に入っておけば安心だ。そう今だ江戸時代の思考の人が多い。働いておけばとにかく安全なわけだし、または働くことが生きがいだと思う日本人も多い。やはり江戸時代のままです。働くことで生きがいを得る人はまあいい。だけどほとんどのサラリーマンはそうじゃない。9割の人が精神疾患者だと心理学者は言っていました。働きたくないのに働かなければいけない。自己疎外の問題につながるわけです。

そういう時代だからこそ、人間として全責任を背負って生きるべきだと僕は思います。とかく日本人の無責任さは目につきます。若者は若者の枠の中に納まって遊びほうけているわけだし、歳をとれば歳のせいにして人生を諦めてしまう。子どもは子どもだからと対等に向き合わない大人。そうじゃない。子どもであると同時に老人であるべきです。そういう人間として全存在的な精神を持っていきなければ責任を持った人間になんてなれないと思います。

大学のシステムもそうだし、成人式なんてまったく意味がなくなっているわけだし、その辺りから構造改革をしていって欲しいです。ほとんどが資本主義的な立場からしか見ていない。なぜNPO団体やボランティア活動があるの?資本主義だけでは社会がなりたたないからではないでしょうか。なので僕は、もっと「人間」の問題を展開するべきだと思う。つまり文化、風俗ですね。

若者が無責任なのは、それはつまり大人が無責任だからです。だからまずは大人を教育するべきです。(笑)といっても、時代の変化が自然と古いものを落としていくと思います。保守的な大人は当然ついてこれなくなるでしょう。そんな時代だからこそ、古い体制とかに寄りかからず、逆に自分こそが新しい時代を築くんだという勢いであるべきだと思います。そのもとになるのは、やはり、自分の意志、考えを持つことですよね。個人主義の時代。過去のノスタルジアに浸るのは勝手だけど、現実を見なければ自分を見失います。安全な枠に収まり、狭い範囲しか見えなくなっている人は危ないでしょうね。
僕から見た、現代の日本文化の特徴について書いてみました。

投稿日時 - 2005-05-17 05:44:18

お礼

むふふふ。vagabondさんとは今回うまく波長がシンクロしたようですね。嬉しく思います。

これからの時代、個人主義化が進み、共同体に行き場を失った人が何を精神的支柱にしていくのかを考えた場合、それは個人の技術なのかもしれませんね。

フリーターに関してですが、ビジョンを持たずにやりたいことがわからないから、というだけの人は将来が危ぶまれるように思います。景気が悪化したら真っ先に切られるのは誰かを考えると・・。そうではなくて、技術を磨きながらステップアップのチャンスを伺うためのフリーターなら、大丈夫かとは思いますけれども。

時代の変化が自然と古いものを落としていくのはいいのですが、彼らは自分達がやったことをほったらかしにして去っていこうとしています。今生まれてくる子達が一人当たり550万円の負債を背負い込むなんて信じられない!

読みやすい文章で、詳しく書いていただいてどうもありがとうございました^^。

投稿日時 - 2005-05-17 09:55:57

ANo.10

よく言われる「八百万の神」と言う言葉は、本当は、日本人がそもそも神という存在を必要としない民族だった事の証明ではないでしょうか?
そこで言う神とは、西洋でいう観念としての神ではなく、見たり感じたりすることを、どう自分の中で昇華するべきかと言う点からの、いわば不思議、恐れ、わけのわからないこと、に対する理解ではなく受け入れるための手段としての「神」なのだと思います。
つまり、どう理解するかではなくどう受け入れるかと言う点で、和の文化と言う考えも成り立ちます。
受け入れることのうまさ、そしてそれを昇華するうまさ、仏教でも、儒教でも、キリスト教でも、ありとあらゆるものが、受け入れることができるのが特徴ではないでしょうか?
つまり、頭で考えるのでなく、感じたり見たりすることで、それを把握して行くことで、ありとあらゆる矛盾する考えも混在できる文化が出来上がったように思います。
時の権力者が、神になることなど、日本以外考えるとありえないことで、戦争でなくなった方が神になることもありえないこと。
つまり「理解」よりも「受容」することが優先される文化で、または、強制的に受け入れさせたり、受け入れなかったり、理解を深めようとするとはじき出される文化
技術で言えば、そこにあらわされる思想より、そのもの自体の精密化が得意。
受容することにおいて非常に敏感であると言う特徴を持つ文化ということではないでしょうか?

投稿日時 - 2005-05-14 23:24:09

お礼

ありがとうございます。

一般に神様が必要な時というと、精神的に参ってしまっている時でしょうか。日本人にそもそも神が必要なかったとしたら、精神的にかなり安定していたのじゃないのかなー、と思いました。

受容することが得意、というのはそうだなーと思います。その元になる和の文化というのはいったいどこからくるんでしょうね。気になりますね^^。

投稿日時 - 2005-05-16 14:00:48

ANo.9

#6です。
>欧米人でもスペシャリストになろうとする傾向は強いので、日本では技術とかよりは道徳や規律の面で使われることが多いのかな、と思いましたがどうでしょうか。

 日本人にとって仕事とは手段というより、それ自体を目的として捕らえているところがあるんじゃないでしゅうか? 「仕事=人生」 仕事の中に自分の人生の完成を求める。 仕事を通して自分は何なのかを追求してゆく。 あるいは優れた職人は自分の仕事の中に神を見ているかもしれない。
 日本人にとって仕事のスペシャリストになるのは
目的ではあるけどそれは通過点の一つに過ぎないのではないでしょうか?
 
 日本人の宗教は・・仕事教かもしれない。仕事の中に神が見えるまで・・神の声が聞こえるまで・・神が宿るまで・・ だからスペシャリストになるだけではダメなんじゃないでしょうか?究めることによって、
神を感じようとしているのかも知れない。
 だって仕事って事に仕えるって書きますよね。
欧米人にとって仕えるものっていったら神なんじゃにあでしょうか?日本人にとって仕事の中に神がいるのかも。
 なんてね。思いつきで書いてしまいました。

投稿日時 - 2005-05-13 13:14:11

お礼

なるほどー。歯車の一部になることの快楽というやつでしょうか。

これは年配のかた程根強く持っていそうですよね^^。
仕事以外のことを考えないで済むのである意味楽なのかなーとふと思ってしまいました。

参考になります。ありがとうございました!

投稿日時 - 2005-05-16 14:02:13

jyuuさん、お礼書くの上手いっすね。また回答したくなりました。^^;

>日本の芸術文化の繊細さというのはどのくらい前から観て取れるものでしょうか?
奈良時代以前までは移住生活だったらしいです。平城京も都市ごと引越ししていたと本にありました。で、中国から仏教や漢字が入ってきて、そっちの仏教芸術の影響もあったと思います。仏像や寺を作るとなると、定住しなければいけない。そして、奈良に続き、平安京を築いたらしいです。多分、それからは落ち着いて繊細になってきたんじゃないでしょうか。それまでは移住生活で落ち着けなかったし、また大陸の方だと争いなどでなかなか落ち着けない状態だったけど、ちゃっかりと平安な都を築いて落ち着いた日本では、芸術文化も激しさよりも、より細かく、味わい深く、そして精神的になっていったと思います。

■床に座るのは逃げる必要がない
なるほどと思いました。そういや外国だと靴のまま家にあがりますよね。その点日本だと逃げる場合、ハダシになっちゃう。(笑)

■他人との違いを恐れたり、出る釘は打たれる風潮について
江戸時代までは、厳しい身分制度がありました。農家に生まれれば一生農家、豆腐屋に生まれれば豆腐屋を継がなければならなかった。社会を固定化したんです。確かに平安な時代が続きました。が、それは見せかけの平和であって、鎖国の上に徹底的な身分制度。民衆を操るためには、キリスト教は邪魔だ、しかし鉄砲は欲しいということで官僚制度の下、出島以外は鎖国でした。職も住む場所も移動範囲も着る物も食べる物も全て決められていた時代、当然「出る釘は打たれる」どころか、気にさわったら殺されました。文字通り「村八分」にされました。自分や個性よりも、社会が第一でした。今のように自由でもなく個人主義でもない。

その江戸時代が終えて明治に入り戦争を繰り返して今に至りますが、その肝心の明治維新も、民衆の革命ではなくて、結局藩が変わっただけ、貴族層の入れ替えにすぎませんでした。文明開化で劇的に変わったその後も、民衆の間には封建的な風潮が残る。それは今も言えると思います。封建的でとても官僚的です日本は。堀江社長とテレビ局のやりとりなんかまさにそう思いました。

多元論的であって受け入れる柔軟さがあっても、しかしそれは一歩間違えたら、こだわりがない、自分や個性を持たない人間になってしまう。個性的だと思っても、実は他の真似だったりする。ファッションとかもそうですよね。見た目で目立とうとする人は多いけど、しかしあれもひとつの制服と変わらないと僕は思います。僕からしたら自己主張の勘違いなんです。話が脱線するから深くは書けないけど、とにかく僕が憤りを感じるのは、自分で考えたり、自分の意見を主張したりする人がなかなかいないってことです。それよりも流れに乗っていよう。そういう人が多い。日本人は流行に弱いと言われますが、ファッションもそう、メイクもそう、みんな同じようなナリをします。流行が変わればみんな変わる。話せば同じようなことしか言わない。自分で考えて、感じたこと、思ったことを言わない。それは結局は、江戸時代から引きずってる変な伝統だと思ってます。

他の視点で。
■性の文化について。
最近の落書きってとアメリカの壁画じゃないや、ウォールアートっていうんですか?それがかっこいい?みたいですが、例えばトイレ。日本だと性的なことや嫌がらせや虚勢が書いてあります。西欧だとその場合、大体が政治的なことが多いらしいです。その辺りからして、日本人の精神レベルというか風俗が見てとれます。
例えば恋愛。日本の街で、いちゃついていたらイヤらしい感じだけど、アメリカとかヨーロッパだと微笑ましい感じがします。もちろん度が過ぎるとダメだけど。とにかく日本はそういう風潮です。お互い監視しあっている。共同体のモラルみたいなのを重視します。これについては、なんでそうなのかわかりませんが、アメリカは自由や愛がシンボルとなっていますが、日本のシンボルは天皇です。象徴からして違う。歴史だと西欧の美術では、ルネサンス辺りで肉体美の開放がありました。平気で裸体で登場します。そういう文化というか、根底的なものが日本と違うんだと思います。

■家。日本は障子やふすまなどで部屋を区切り、木で家を作ってました。西欧だとどっちかといえば石の文化です。頑丈な家は外の世界と遮断します。石は永く残ります。エジプトのピラミッドもそうです。権力も含めて、永く残そうとする文化です。永遠に生きたい、自分が神になりたいとでも思ったのでしょうか。原理主的な思想、原罪は一生悔い続けなければならない。それに対して日本だと、台風はくるわ、地震は起きるわ、火事起きるわ、もう大変。一夜で家がなくなっちゃいます。なくなったらまた建てればいいさ。どうせ築何十年だし。なにかサッパリしてます。その背景には、原理主義や原罪などの意識はなく、どっちかといえば仏教的な輪廻、凝滞のない運命の流れみたいなものがあったのだと思います。

■どんぐりの背比べの文化
昔から、日本は他国との戦争がない上に鎖国をしていました。交流が乏しいんです。その上島国という地形が手伝って、一応日本は単一民族です。みんな似たような顔立ち、目の色、髪の色に、背も同じぐらい。どんぐりの背比べです。それに対して、西欧だともう人種ごちゃまぜです。色も違う、背も違う、文化も違う、言葉も違う。そんな環境だと、出る釘は打たれるどころじゃない。みんな出まくってる。(笑)個性色強っ!となります。日本人だと似たり寄ったりなので、みんなと同じじゃないとおかしい、個性なんて出さない方が安全だ。個性より社会にあわせよう、そうなります。それが今の時代も続いているのがおかしい。日本人の頭の中は、世界ではなくて世間なんです。常に他人の目を気にして、お互い監視しあっている。

つまり、島国で他国との交流も少なく単一民族で共同体を大切にする国だったから、みんな似た者同士、そして厳しい身分制度。その伝統が、出る釘は打たれる、村八分といった傾向になるのだと思います。

■現代の問題にシフトすれば、例えばフリーターの増加。僕もそうなんですが、まず、大学卒業→就職という形式からはみ出しちゃおかしいという風潮がおかしい。つまり、新卒じゃないと入社資格がない。そういう没個性的な学歴社会や上辺だけの形式主義は、豆腐屋に生まれたから豆腐屋をつがなきゃおかしいという考えと、そう変わらないと思います。もっとリベラルでいいと思うんだけどなぁ。日本人は遊びが下手なんだろうね。堀江社長も言ってたように、フリーターしたきゃフリーターでもいいけど、フリーターが働きたいとなったとき、入りやすいような社会じゃないとダメっすよ。とにかく自分と違うと排他的になる。共同体意識が強い分、そうじゃない場合は厳しい。戦争時、陸軍と海軍の足の引っ張り合いは有名です。

ほかにも文化面で言えば、日本は相変わらずエコノミックアニマルです。僕が思うに、お金が好きじゃなくって、他に生きがいを見出していないんじゃないかなと思うんです。つまり文化がない。戦後、アメリカナイズされて文化が根こそぎされました。アメリカは憧れの対象だった。伝統や文化がないといえば大げさかもしれませんが、他国や昔の日本のように、ひとつの世界観・宇宙観みたいなものがない。だから新興宗教が流行るんです。信念みたいな筋を持たないから。昔は共同体があったからまあいいけど、今みたいに(勘違いな)個人主義社会になると、自分のことは自分でどうにかしなきゃいけない。頼るものがない。西欧人みたいに個性強くないから、自分を持たない。自分を信じることができない。つまり自信がない。みんなと同じがいい。だって楽だもん、といった具合です。流行大好きな日本人です。みんなと一緒だと安心だもん。

また長くなってすみません。とにかく日本人は自国のことを知らないのは有名です。政治的意識もない。政治は政治家に任せておけばいい。豆腐屋は豆腐屋が・・・といった具合です。そういう自覚のなさが、没個性に拍車をかけていると思います。なので僕は日本人は無防備であるというよりか、日本人は無責任であると言いたいです。出る釘になるより、流されて生きる方が無難。その消極さ。それが逆に現代の生きがいを失った日本人の根本的な問題になっていると思います。

投稿日時 - 2005-05-13 05:01:18

お礼

うひゃー。またまたたくさんありがとうございます!!

民衆の革命に関してですが、日本人の優しさというのは、民間レベルで血を流して権利を勝ち取った経験がないからでしょうかね。そういえば日本って憲法記念日はありますが、独立記念日がないですね。

個人主義についてですが、堀江社長や中田英寿選手のような人が出てくるようになったのは封建的で官僚的な体制の終焉の徴候か何かでしょうか。もし個人主義が浸透していくと、和の文化は衰退していくような気がしますがどうでしょうか。

個性について、もしこだわりがあるというのは自分にとって必要なものを自覚しているという事だとすれば、無頓着でこだわりがないということは自分にとって必要な事を自覚していない、又はその必要性に迫られていないといえるかもしれませんね。ということは、自分にとって必要な事があらかじめ用意されている環境にいて、それらについて考える機会がなかったといえるかもしれませんね。こういう状態は何かに守られていて常に与えられている状態だとしたら、つまり、こだわりを見つけ出すには守られた安全な環境ではなく、危険で自分には何が必要かを常に考えなければならない環境に身をおけばいい、のだったりして。・・・し、しまった、話が完全にそれてしまっている!

ゴ、ゴホンッ。

現代の日本人は無責任であるというのは言い当てていると思います。これは大学を卒業するの難しくすれば解決するんじゃないかな、と思うんですけどね。本当に勉強したい人が入学して卒業できるシステムになれば自己責任が身につくと思うんですよね。これまでは何でもかんでもとりあえず勉強しろ、大学は出とけ、という風潮だったように思います。

ただ、今から生まれてくる若い人にぶしつけに君らは無責任だ、というのは可愛そうだと思います。国債を返済不可能なほど膨張させておいて後は知らん顔の政治家がまず何らかの責任をとるべきです。全体が無責任になってきちゃったそもそもの要因はけじめのモデルがなくなっちゃったからなのかもしれませんね。

そのほかご回答の内容にはなるほどー、ということばかりで感謝しています^^。

投稿日時 - 2005-05-16 13:58:53

ANo.6

 「道を極める」 日本人ってこれ大好きですよね。
あらゆる分野でこの精神が息づいていると思います。
本質であるか自信なしですが、日本の文化の大きな
柱の一つだと思います。

投稿日時 - 2005-05-12 11:58:56

お礼

いやいや、おっしゃるとおりだと思いました。求道というやつですね。しかし、欧米人でもスペシャリストになろうとする傾向は強いので、日本では技術とかよりは道徳や規律の面で使われることが多いのかな、と思いましたがどうでしょうか。

投稿日時 - 2005-05-13 02:19:31

ANo.5

参考に
日本文化の根本はNo.2さんのご指摘のように「和」でしょうね。やまとの国を「大和国」と当て字した、いにしえ人の息遣いがありますね。余談ですが、当時の中国からしてみるとけしからんといって「邪馬台」と当て字しているみたいですけどね。それは、さておき日本の「和」の精神が多神教を抱擁し、他の国からみれば非常にゆったりとした文化を形成しているのでしょうね。かのアインシュタイン先生が伊勢神宮に立ち寄ったおり、涙を流して「このような国がある」ことを神に感謝されたことは有名な話ですね。つまり、他の世界には「和」がなかったということなんですね。それは、差別とそれからもたらされる際立った文化ということですね。つまり異なる価値観は文化として同じ空間・時間に存在できないんですね。今でも他の国にはそれは整然とありますね。日本人が知識に貪欲になれるのも「和」の精神があるからですね、現代の日本語はひらがな・かたかな・漢字・一部英語など世界に類をみないですね。われわれは、いい国にすんでいるのですね。感謝しないとね。

投稿日時 - 2005-05-12 10:00:17

お礼

ありがとうございます。ご回答を読んで、日本人は知能が高いんだなぁ、という印象を受けました。見当違いなら済みません^^。

一つ気になったのですが、和の精神というのは価値観の単一化と関係があるのでしょうか?もしそうだとすると、その背景には何がありそうでしょうか。

投稿日時 - 2005-05-13 02:18:45

ANo.4

あんまり難しいことは前の人や後の人においておいて。

とりあえず、坂口安吾の『日本文化私観』など読んでみてはいかがでしょうか。
『日本文化私観』にはこんな言葉があります。
「祖国の文化を知らず、ネオンサインくらいしか知らない奴が、日本文化を語るとは不思議なことかもしれないが、すくなくとも、僕には日本を「発見」する必要だけはなかったのだ」

「日本文化」とは過去の堆積であると同時に現在の我々日本人の文化であるという認識がもてると思います。つまり、過去の文化は過去の文化として、我々今の世代の文化もふくめて日本文化なのだと思います。

まずは、自分を省みてはいかがでしょうか。他者との相対化以前に自分を知ることは、意味のあることだと思います。

投稿日時 - 2005-05-12 04:51:35

お礼

オススメの本を一度読んでみたいと思います。自分のを振り返ると、がんばりやさん、とかまじめ、とかが思いつきます。この背景には何があるんでしょうね。気になりますね^^。

投稿日時 - 2005-05-13 02:18:04

ANo.3

形式的にでも<絶対的な答え>を導き出すためには論陣が必要ですので、ここでは心情的にこう思っている、ということだけ端折って書いてみます。なんらかのヒントになれば。

「多神教」をあげてらっしゃいますが、欧米と比較して一番顕著な相違はこの部分にあると思います。生活様式や思考方法、価値基準として、この違いは<技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治>に影響していると思います。
さらに、多神教にいたるアニミズムの考え方は、物事の主体が多様に存在するということを意味します。飛躍した考え方ですが、様々な自然物や他者の存在・スタンスを、自分と同列の一つの主体と扱って思考することができるのは日本人の美徳の一つと思います。欧米とくにアメリカでは、主体もしくは神が絶対優位にいることを前提としているので、ここに大きな違いがあります。
自然や動物、他人を一つの主体として認知することで、散りゆく桜の美学や、森羅万象への信仰、はたまた他人への思いやりや食べ物に対する敬意などが育まれてきたと考えることができるのではないでしょうか。八百万(やおよろず)に魂を認める、ことが日本の文化の根幹をなしているように思えます。

投稿日時 - 2005-05-11 23:41:12

お礼

参考になります。読んでいて日本人は同調するのが上手なんだな、という印象を受けました。見当違いなら済みません^^。でもこれには精神的に安定した生活が背景にありそうですね。ありがとうございました。

投稿日時 - 2005-05-13 02:17:38

ANo.2

「わ」「倭」「和」「環」「輪」

古来「倭人」と言われた我々日本人の根源にはやはり、
「わ」が基本にあると思います。

その「わ」は社会への調和であり、自然への調和です。
全てへの調和が基本にあるのでしょう。
そこには差異を認めないのではなく、
差異を認めた上での協和を目指すものです。

環境への調和は環境への細やかな観察力が必要とされます。
また、人に限らず生きとし生けるもの
全ては自然に帰る(輪廻)もまた「わ」なのだと思います。

投稿日時 - 2005-05-11 17:59:37

お礼

なるほど。調和をすっかり忘れていました。なぜ日本人は和を尊ぶのでしょうね。気になりますね^^。

投稿日時 - 2005-05-13 02:16:05

ANo.1

環境が人を作るといいます。その人の集合である国も同様として考えてみます。
人の集合ですから「文化」も「性格」とでも言い換えてみましょうか。
日本の性格。こう言うと考えやすくなった気がします(笑)

では、日本の性格を作った要因を考えてみれば、まず考えられるのは、地理でしょう。
島国であり四季があります。島国であることは、他国との付き合い方影響を与えたでしょうし。四季の自然の変化は、その心情に多くの影響をもたらしたでしょう。
ドラッカーの言う「知覚の鋭さ」はこの辺りに原因を求められそうです。
地理を生まれと言い換えても良さそうです。

ついで、歴史と宗教でしょうか。歴史とは、その国がの生い立ちですね。その性格に影響を与えたであろう事件も多く見受けられます。
宗教は、その国が信じているものといえるでしょうか。自然や歴史の影響か、現在では、実に無頓着な印象を受けますが…。

あと、追加で性格に影響を与えた要因を挙げるとすれば、言語でしょうか。日々使うものですから、相互に影響を与え合っていると思われます。

さて、日本の性格を作ったと思われる要因を、地理・歴史・宗教・言語と上げていきました。
では、本質はと考えると…、これは、人の性格をひとくくりに表現するようなことですね。
さて、どう表現しましょうか。
こうみてみると、ドラッカーはさすがな印象。貴方はどう表現しますか?

投稿日時 - 2005-05-11 17:39:16

お礼

なるほどー。島国にはいいヒントを得ました。四季の変化が視覚に与えた影響はありそうですね。その場合空間認識よりは色彩感覚になるのかな、と思いました。縄文時代の衣服を再現したものを写真で見たことがあるのですが、第一印象として、模様と色彩が大胆だな、と思いました。

また、日本人は視覚に鋭い、ということは裏返せば、聴覚、嗅覚などその外の感覚がそれほどでもない、ということなのかもしれないですね。その辺が意味することもこれから考えてゆきたいと思います。

関係ないですが、日本の食文化は寿司とか結構技巧的に優れていると思います。これは指先の器用さと関係がありそうだなと思っています。日本が精密機械産業に強いのも関係あるのかなとも思ったりして。

この背景には、もしかしたら江戸時代に人口の8割が農民だったというのがあるんじゃないかなーと思うんですけどね。草鞋編みなど指先を使うことが鍛えられたのかな、などと想像させられます。

それから魚をたくさん食べるので、DHAのおかげで日本人は複雑な言語を扱えるほど頭がいいのかな、なんて^^。ありがとうございました!

投稿日時 - 2005-05-13 02:15:38

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