比較的安価でボリュームがあって、食事にもできるし酒の肴にもできるからではないでしょうか。
学生時代、明治時代から続く有名な店が大学のそばにありましたが、あまり金がない学生でも友人と通えました。何人かで食べにいく時には、好みに合わせて食べる物を選べるのも利点だと感じます。(焼き鳥屋では鶏肉が食べられない人は苦しいし、寿司屋では魚嫌いの人が困る)
また、当時自炊していたので自分で大鍋に作って何日も食べつなぐこともありました。初日は普通のおでん、翌日以降はおでんトースト、おでんうどん、おでんスパゲティ…、と姿を変え(変えていませんね)最後は残った汁でおでん雑炊にしていました。学生時代のの食生活を支えてくれた料理の一つでしたが、社会人になってからも寒くなると食べたくなることがあります。
投稿日時 - 2015-12-31 07:01:08
美味しそうですね。回答ありがとうございます。
投稿日時 - 2016-01-03 01:09:52
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回答(20)
さあなぁ?
ただ…ただ周りの奴ら、親とかみんな含めて、そいつらが俺をほんのちょっとでも必要としてくれるからこそ俺はいられるんじゃないかと思ってる。
オデン屋だってそうだ。
誰かが必要としてるからこそオデン屋でいられるんだ。
この世に全く不必要な者なんてないと思ってる。そんな者はいられるはずがないんだ。
そこにいる事自体誰かが必要と認めてる。必要でなくなった途端消されちまうんだ。
こう思う。
どうだ?
※オデンをつつき、熱燗を煽りながらこう述べてると考えられたし
投稿日時 - 2015-12-28 22:33:54
回答ありがとうございます。
投稿日時 - 2016-01-03 01:33:30