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解決済みの質問

ハルノートは当時どれくらい受け入れ難かった?

検索すると難しい長文の情報から、
解りやすく要約してくれた情報まで目にします。

しかし要約されている情報を見ても、
当時の日本がどれくらいそれを受け入れ難かったのかがよく解りません。
ハルノートで突きつけられた内容が
日本に非がある自業自得な事だったのか、
アメリカ側の不平等な押し付けや悪意が主なのか、よくわかりません。

明治からのハルノートを突きつけられるまでの歴史にお詳しい方、
どういう所にどちらの非があったのか教えて下さると助かります。

投稿日時 - 2015-12-22 09:06:45

QNo.9099570

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

ep3093 さん、こんばんは。


明治からのハルノートを突きつけられるまでの歴史にお詳しい方、
どういう所にどちらの非があったのか教えて下さると助かります。
ハルノートで突きつけられた内容が
日本に非がある自業自得な事だったのか、
アメリカ側の不平等な押し付けや悪意が主なのか、よくわかりません。

ハルノートを最も受け入れがたかったのは中国本土を日中戦争で占領した陸軍です。ハルノートでは仏印及び支那からの全面撤退という文言があります。これを遵守すると陸軍のこれまで築き上げてきた日中戦争の成果が全部なくなり、費やした戦死者や戦費などを莫大なものがあり、飲むことはできなかったと思います。ただ、そんなにどちらが悪玉かどちらが善玉かという簡単な図式ではありません。
また、陸軍は軍部大臣現役武官制により、陸軍に都合の悪い内閣は現役の大将、中将を出さないことにより、流産させることができるので、厄介な存在でした。一方、内閣の長である総理大臣は任命した国務大臣を罷免できず、総辞職をしない限り、その大臣をやめさせることができないほど権限が弱いものでした。
ハルノート
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88#.E3.83.8F.E3.83.AB.E3.83.BB.E3.83.8E.E3.83.BC.E3.83.88.E3.81.AE.E5.86.85.E5.AE.B9
軍部大臣現役武官制
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E9%83%A8%E5%A4%A7%E8%87%A3%E7%8F%BE%E5%BD%B9%E6%AD%A6%E5%AE%98%E5%88%B6
日清戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%B8%85%E6%88%A6%E4%BA%89
日露戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9C%B2%E6%88%A6%E4%BA%89
北清事変
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%92%8C%E5%9B%A3%E3%81%AE%E4%B9%B1
日韓併合
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BD%B5%E5%90%88
第一次世界大戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6#.E3.82.A2.E3.82.B8.E3.82.A2.E5.A4.AA.E5.B9.B3.E6.B4.8B.E6.88.A6.E7.B7.9A_2
満州事変
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E5%A4%89

投稿日時 - 2015-12-22 19:44:31

お礼

>そんなにどちらが悪玉かどちらが善玉かという簡単な図式ではありません。
つまり巷で時々聞こえるどちらが悪いという大きな声は、
極端な視点に過ぎないんですね。

私の様によく知らない人が知らなかった一部を聞かされると
そうなのかも と流されかねないのでしょうね。

ご回答ありがとうございました。
軍にとってハルノートは受け入れ難いものだったのですね。

投稿日時 - 2015-12-22 22:55:16

ANo.2

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回答(2)

ANo.1

明治憲法では、天皇の下に政府と軍部が並列関係にありまして、統帥権上、政府は軍部に命令を出すことができませんでした。
政府が軍をコントロールできないシステムだったということです。

日清戦争で清に勝利し遼東半島を手に入れたものの、仏独露による3国干渉により遼東半島を手放さざるを得なくなります。軍部も政府も相当悔しい思いで臥薪嘗胆を誓いました。

その後の日露戦争で10万人近い戦死者を出しながらかろうじて勝利し、遼東半島の先っぽの関東州と満鉄の権益を得ることができました。
軍部にとってこの満州の権益は2つの戦争で多大な犠牲を払ってやっと獲得できた虎の子であり、戦わずして再び失うというのは全く受け入れられないものでした。張作霖爆殺も満州事変も当時中国で勢力を伸ばしてきていた国民党政権によりこの権益が失われるかもしれないという軍部の危機感から引き起こされたものです。

仮に政府がハルノートを受入て中国大陸から全面撤退ということになれば、軍部は必ず猛反発し、クーデターが起きるのは必至で、最悪の場合は秩父宮あたりが軍部に担ぎ上げられて新政権が樹立し国家分裂で内戦状態となっていたかもしれません。

という状況だったので政府はハルノートを受け入れることができませんでした。

投稿日時 - 2015-12-22 09:51:25

お礼

ご回答ありがとうございます。
日本の国内にそうした事情が有ったのですね。

頂いたワードから色々調べてみて
http://warof.jp/1938-1945.html
更に色々知る事ができました。

軍に関しては明治維新の後遺症の様なものもあるのでしょうか。
もっと前後の歴史を知らないと上手く呑み込めないのかもしれませんが。
ご回答ありがとうございました。

投稿日時 - 2015-12-22 11:42:23

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