こんにちはゲストさん。会員登録(無料)して質問・回答してみよう!

-広告-

解決済みの質問

フィギュアスケートの「表現力」とは?

 フィギュアスケートがさかんです。テレビでやっているのを好んで見るので、決して嫌いとかそういうわけではないのですが、解説の言う「表現力」が分かりません。
 表現と言うからには、何かを表しているのだろうとは思うのですが、では何を表しているのかは、さっぱりわかりません。技は、すごいなと思います。でも、その動きが何を表しているのかは読み取れないのです。「表現力が豊かだ」と評された選手の動きからは、その「表現」された動きから、見ている誰もが同じ何かを感じ取れるのでしょうか。
 私にはさっぱりわからないので、どなたかお教えください。

投稿日時 - 2015-12-01 00:30:48

QNo.9088706

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

私も疑問に思い、同じような質問をした事があります。
解説者は皆口を揃えて「表現力が豊かですね」とは言うものの、誰一人として「何を表現している」かについて解説はしていませんね。
解説者や選手には潔く「あれは表現しているのではなく、ただの振付です」と言ってほしいです。

投稿日時 - 2015-12-01 09:46:18

お礼

いや、No.3様のおっしゃるように、たしかに表現されている内容、それを表現しようとする肢体の動きはあるとは思うんですよ。ただ、それが成功しているのかどうかは、だれがどうやって判断し点数化しているのかが疑問なんです。私のような素人には全くわからないもので。客観性がない以上、No.4様のおっしゃるように「イカサマ」と言う意見があってもくつがえせないと思うんです。「誰一人として「何を表現している」かについて解説はしていません」ですもんね。この部分は「我が意を得たり」という思いです。
いやフィギュアスケートが嫌いで言ってるんじゃないんです。むしろ好きでよく見てます。ただ、わかったような曖昧な解説はごめんだ、と思っているだけです。
すっきりしました。ありがとうございました。

投稿日時 - 2015-12-04 22:37:31

このQ&Aは役に立ちましたか?

2人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

-広告-
-広告-

回答(4)

ANo.4

表現力なんか私にもわかりませんし、わかるのは専門家だけでしょう。
しかも曖昧な個人的なもの。
そんな個人的主観で採点される競技などは、五輪にはふさわしくないと思いますよ。
イカサマなんかどうにでもなる競技ですから。
もっとわかりやすい採点方法にするべきかと思います。
だって、選手が全裸で競技すれば芸術点などというものは皆満点ですよ。
それくらい曖昧な採点方法なんですよ。

ただ素人は、かわいい、美人だ、などのたわいもない考えで見てればいいんじゃないですか?

投稿日時 - 2015-12-02 23:56:43

お礼

わかるのは専門家だけでしょう→ですよね~。それをテレビの解説者がさもわかったように「表現力がありますねえ」なんて言うから、なに言ってんだこいつ、と思うわけですよ。「芸術点」なんて曖昧な採点は、客観性がないですよね。同じように思う方がいて安心しました。ありがとうございました。

投稿日時 - 2015-12-04 22:27:46

-広告-

ANo.3

フィギュアスケートは、絵画や音楽のような芸術(アート)か、スポーツか、と言われれば、やはりスポーツであると思います。
理由は、フィギュアスケートにおける振り付けや衣装デザインの多くが、選手の使用している『楽曲の既知のイメージに則ったものであるかどうか』というのが「表現」として評価・採点の分かれ目になっているからです。

言い換えれば、フィギュアスケートにおける表現(何を表現しているのか?)は、あくまでも使用している楽曲の「既知のイメージ」に規定されているのであり、その楽曲の新たな解釈、斬新な解釈の変更というのは、フィギュアスケートではほとんど行われることがありません。(本当の意味で芸術性を求めるとしたら、新たな解釈や斬新な改編なども認められたり、そのような演技を選手が求めてもいいはずなので…。)

近年、フィギュアスケートの中継では、演技に使用する楽曲の名称が提示されるとともに、多少なり、その楽曲からどのようなキーワードを抽出し表現している(振り付けがつくられている、衣装デザインがつくられている)かを解説されています。
簡潔に言えば、フィギュアスケートにおける表現を理解するには、スケート以外に、さまざまな舞踊や音楽、また映画やオペラ、その原作となった文学などの知識が必要になってくる、とも言えます。
これは、ながらくフィギュアスケートが一般大衆的なスポーツではなく、あくまでもそこそこの生活水準にある良家の子息・令嬢向け、より分かりやすく言えば欧米の貴族的なスポーツであった、ということでもあります。
ですから、日本ではそのようなスケート以外の知識を持っていなくても分かりやすい「4回転」とか「トリプルアクセル」などのジャンプに興味が集中しがちです。
しかし当初フィギュアスケートが盛んであったヨーロッパでは、幼少時の基礎教育で大半の人がクラシック音楽に親しみますし、またロシアはバレエ大国でもあり舞台芸術も盛んです。また10数年前はアメリカ・カナダなどがフィギュアスケートを牽引していましたが、アメリカといえばブロードウェイに代表されるミュージカルの本場ですし、またジャズなど近代音楽も盛んでした。

このように、フィギュアスケートの「表現」は、芸術分野で既に確立されている表現様式をスケート靴をはいて行う振り付けや選手の衣装にトレースしている、というものです。
もちろん加えて、女子選手の多くが柔軟性をアピールするような振り付けを多用しますが、これはクラシックバレエにおける美的感覚によるものでもあり、その柔軟性を一般的な認識を用い女性らしい表現と解釈していたりもします。
そのような比較をすると、女子選手の方が柔軟性を意識した曲線的な動きの振り付けが多く、男子選手の方が男性的(とされる)な力強さを表すための直線的な動きの振り付けが多いことにも気づくかと思います。


再度述べれば、既知の芸術分野とアイススケートのハイブリッドが現在のフィギュアスケートであり、そこでの「表現」とは、既知の芸術分野の既知の解釈に規定されている、と言えます。
ですから、「表現力」の良し悪しは、その既知の芸術分野(特に音楽)の解釈を前提としてつくられた振り付けの完遂度や、その既知のイメージに則った衣装デザインであるか、ということになると思います。
また選手らの雰囲気がその既知のイメージに相応しいかどうか、というところもあるでしょう。


これらを踏まえて、いくつか例を挙げます。

たとえば先日、歴代最高という得点を挙げて優勝した男子フィギュアの羽生結弦選手ですが、その優勝を決定づけたフリースケーティングの演技で用いられた楽曲は『SEIMEI』というもので、映画『陰陽師』で使用されていた楽曲です。映画のストーリーの詳細はさておき、羽生選手の演技で表現されていたのは、映画の主人公である陰陽師「安倍晴明」であり、この点は特に羽生選手の衣装に強く反映されていました。また日本文化の妖しさ、陰陽師という東洋的アニミズムの象徴的存在を表そうというものでした。
東洋的アニミズム…と言って、実際のところ欧米の審査員・審判などがどの程度理解しているか定かではないでしょうけれど、これは私たちのようなごく一般の日本人が西洋のクラシック音楽をさほど本質的に理解できないのと同じことかもしれません。ただ、羽生選手の演技が、何かしら東洋の霊的な存在への畏怖や神秘性を意図したものであった、という程度は理解されていると思います。
ちなみに、羽生選手のこの演技には、表現に関わる採点項目の中で、複数の審判が10点(満点)をつけています。つまり、羽生選手の演技で表現しようとしている霊的な存在の神秘性や畏怖というものは、少なくとも審判らには伝わっている、ということでしょう。

また、ソチオリンピックで残念ながらショートプログラムで度重なるミスを犯しメダルに届かなかったものの、フリースケーティングの演技は感動的な内容であった浅田真央選手。
その際に使用していた楽曲は、かつて伊藤みどり選手も使用するなどフィギュアスケートでは定番となっている、ロシア(のちにアメリカ)の作曲家ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番ハ短調 作品18』です。
ソチオリンピックの際に浅田真央選手自身も口にしていたようなのですが、このときの演技のテーマは「失意の中に見いだす希望の光」というものだったそうです。
これはやや難解なのですが、当時、ラフマニノフは名声を得ていたどころか絶不調のスランプに陥って鬱状態であったとされ、しかしこの『ピアノ協奏曲第2番』によって名声を取り戻し作曲家としての地位を確立します。楽曲そのものも、やや暗い冒頭から、徐々に明るさのある中盤へと曲調が変化し、そして最後は激しく荘厳なフィナーレとなるように、つまりラフマニノフという作曲家の生涯が曲調に反映されているようで、また浅田真央選手の演技のテーマはそのことから着想を得た…と言えなくもありません。
また「ピアノ協奏曲」と言いつつも、実際の楽曲ではピアノよりも特に後半の荘厳な部分ではオーケストラの音の方が強くなります。しかし専門的な解釈として、実はオーケストラの音にまぎれているピアノ演奏は、超絶技巧を必要とするものであり、ラフマニノフの作曲手法の多くがこのような荘厳なイメージとともに演奏家に超絶技巧を求めるものでもありました。
このことは、まさに、浅田真央選手が難易度の高いジャンプを演技に組み込む重要性ともリンクしなくもないですね。

ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番ハ短調 作品18』のように、たびたびフィギュアスケートで使用されている楽曲の場合、その表現性をめぐっては、過去にその楽曲を使用した選手の演技も、意識するしないを問わず必然的に審判の中では相対化されることでしょう。


そのほか、ソチオリンピック女子フィギュアで金メダリストとなったアデリナ・ソトニコワ選手の用いた楽曲は、サン・サーンスの『序奏とロンド・カプリチオーソ』です。
この曲は、スペイン出身のヴァイオリニスト:サラ・サーテのためにつくられたものですが、スペイン的な舞踊曲の雰囲気や、ソトニコワ選手のルーツと考えられなくもないジプシーの舞踊曲の影響も強くあります。
流浪の民族の刹那的でありながら華やかな様子をソトニコワ選手の振り付けから感じられるとも思いますし、また、ジプシーの旅する乾いた大地の西洋的ノスタルジックな情景が、振り付けや衣装に表されていたように思います。


浅田選手、ソトニコワ選手などは多少わかりにくい表現かもしれませんが、トリノオリンピックの金メダリストである荒川静香選手はわかりやすいかもしれません。
荒川選手がトリノで用いたのはプッチーニのオペラ『トゥーランドット』のうち、第二幕の歌曲『誰も寝てはならぬ』です。
このときの演技における表現への理解はオペラ『トゥーランドット』の基本的なストーリーの知識が必要となるのですが、日本では一般的には馴染みが薄くとも、原作となるストーリーはヨーロッパの古典文学のひとつでもあります。ざっくり言うと、絶世の美女でいながら氷ように冷酷な心の東洋の国の姫(女王?)が、最後は愛を発見する、というストーリーです。
荒川選手の衣装は、冷たさをイメージしたような水色~青で東洋的なデザイン、また髪型も東洋的な雰囲気でまとめられていました。で、女王的な優雅さと威厳を感じるようなゆったりとした振り付けが多いのですが、後半、曲調が変わる瞬間から荒川選手が微笑みを見せるような構成になっています。
荒川選手は、もともと表情が固く冷たい印象を与えがちで、そのことが演技へ悪影響を及ぼし華やかで可愛げのある楽曲を得意としていませんでしたが、荒川選手の東洋的な外見と、冷たい表情がささやかな微笑みに変わる、という演技構成は、選手の弱点を個性に変える効果的な振り付けとなり、またそれが楽曲のもつ表現性とマッチしていたと言えます。

投稿日時 - 2015-12-02 06:31:49

お礼

表現は、既知の芸術分野の既知の解釈に規定されている、としても、体の動きからその「解釈」を読み解くのは私のようなど素人にはとうていムリですね。今後は素人らしく、表現力など気にせずにジャンプの回転や高さ、器用さを見ることにします。いろいろと例をあげての解説、感謝いたします。ありがとうございました。

投稿日時 - 2015-12-04 22:22:47

ANo.2

ここに少し書いてありますが・・・
https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/genbunronshu/28-1/28-1-shibata.pdf

やっぱりぼんやりしてる感はありますね(笑)

投稿日時 - 2015-12-01 12:58:39

お礼

 リンク、ありがとうございます。私は単なる一般の視聴者(テレビ番組の)なので、このように専門的な解説を読んでもよくわかりません。そもそもどこらへんに書いてあるのやら。で、結局は「ぼんやりしてる」んですね。とりあえずそれだけわかりました。ありがとうございました。

投稿日時 - 2015-12-04 22:16:19

-広告-
-広告-

あなたにオススメの質問

-広告-
-広告-