こんにちはゲストさん。会員登録(無料)して質問・回答してみよう!

-広告-

解決済みの質問

日本が旧正月からグレゴリオ暦に変更したのはいつ頃?

日本はグレゴリオ暦を採用し、正月を1月1日として久しいと思うのですが
それ以前は旧正月(グレゴリオ暦での2月頃)であったという解釈は、正しいでしょうか。
もしそうであれば、いつ頃からどのような理由で変更されたのでしょうか。
ご存じでしたら、ぜひ教えてください。
宜しくお願いします。

投稿日時 - 2015-10-16 11:32:52

QNo.9064793

すぐに回答ほしいです

質問者が選んだベストアンサー

> それ以前は旧正月(グレゴリオ暦での2月頃)であったという解釈は、正しいでしょうか。

 正しいです。明治5年(11月9日、1872年)にグレゴリオ暦採用の太政官布告が発せられ、旧暦(太陰太陽暦)の明治5年12月3日が、新暦(グレゴリオ暦)の明治6年1月1日となると定められました。

 グレゴリオ暦の前の暦は江戸時代末期に採用された旧暦の天保暦で、29年間使用されていました。天保暦での正月も、新暦ではいわゆる旧正月になります。天保暦の前が寛政暦(46年間使用)、その前が宝暦暦(43年間使用)となっていますが、いずれも太陰太陽暦でした。

> もしそうであれば、いつ頃からどのような理由で変更されたのでしょうか。

 時期は上記しましたように、明治6年1月1日(明治5年12月3日に相当)からです。

 公式の理由は、太政官布告第三百三十七号にあります。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M05/M05SE337.html
> 朕惟フニ我邦通行ノ暦タル太陰ノ朔望ヲ以テ月ヲ立テ太陽ノ躔度ニ合ス故ニ二三年間必ス閏月ヲ置カサルヲ得ス置閏ノ前後時ニ季候ノ早晩アリ終ニ推歩ノ差ヲ生スルニ至ル殊ニ中下段ニ掲ル所ノ如キハ率子妄誕無稽ニ属シ人知ノ開達ヲ妨ルモノ少シトセス盖シ太陽暦ハ太陽ノ躔度ニ従テ月ヲ立ツ日子多少ノ異アリト雖モ季候早晩ノ変ナク四歳毎ニ一日ノ閏ヲ置キ七千年ノ後僅ニ一日ノ差ヲ生スルニ過キス之ヲ太陰暦ニ比スレハ最モ精密ニシテ其便不便モ固リ論ヲ俟タサルナリ依テ自今旧暦ヲ廃シ太陽暦ヲ用ヒ天下永世之ヲ遵行セシメン百官有司其レ斯旨ヲ体セヨ

 布告の序文では、旧暦(太陰太陽暦)では2~3年ごとに、閏月の判断が必要になることなど、長期には不安定な暦で文明発達の利便に適さないとして、シンプルで長期に計算可能、かつ正確なグレゴリオ暦を採用する旨、説明しています。

 12月2日を明治5年末日としたのは、官僚への給与支払いを1か月分逃れるためとか(実際、明治5年12月度の給与支払いは為されなかった)、僅か1か月前の11月9日に布告したのは、給与問題による抵抗を抑えるためと言われたりもします。そのような事情もあったとは思いますが、主たる理由ではないように思います。

 当時の日本の喫緊の問題は欧米に伍することでありましたし、既に欧米との各種約定がありました。政治、経済等で各国と通牒、通信して事を定め、期を同じくして実施することは必須です。例えば、借款などでも、貸付、返済、利子計算等、1日のずれも許されません。

 旧暦と新暦の変換をすれば、というわけにもいきません。旧暦は前年に都度定めるもので、旧暦では10年、100年先の正確な日付は原則として分かりません。一応、旧暦でもずっと先まで定めることは可能なのですが(天保暦では2033年に問題が発生することまで分かっていた)、計算が煩雑で専門家しか分からない代物でした。一般人はずっと先まで新暦・旧暦対応表でも持っているしかありません。また、お上の定める暦以外に、ローカルな暦が各種流布してもいました。

 旧暦は富国強兵、殖産興業を始め、統一国家百年の計が立つ暦ではないわけです。それなら、公用としては欧米と同じグレゴリオ暦を採用しておいたほうが、間違いも少なく、コストも安くつきます。また、当時には既に採用し、普及に努めていた洋算を修めれば、誰でも暦計算ができます。旧暦は行事用、参考として使用してもいいでしょうが、単純で分かりやすく、欧米と共通の新暦を使う慣習を早急に国内に広める必要があったのです。

 ですので、布告序文は建前、言い訳などではなく、明治政府の本音であろうと思います。給与支払い1か月分などは、些細な問題、せいぜい行きがけの駄賃です。

投稿日時 - 2015-10-17 06:15:11

お礼

今回も詳細をわかりやすく教えていただきまして
誠に有難うございます。
旧暦の複雑さは、知れば知るほど驚きに満ちています。
大変勉強になりました。
重ねて御礼申し上げます。

投稿日時 - 2015-10-18 02:58:52

このQ&Aは役に立ちましたか?

0人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

-広告-
-広告-

回答(3)

>それ以前は旧正月(グレゴリオ暦での2月頃)であったという解釈は、正しいでしょうか。
一概には言えません。
今年(2015年)の元旦は旧暦では前年の11月11日です。

>いつ頃からどのような理由で変更されたのでしょうか。
明治5年12月3日をもって明治6年1月1日としました。
それ以降は太陽暦すなわグレゴリオ暦を使用しました。
理由については、なぜ明治5年11月9日に改定を発表指示したのか、ということと旧暦(太陰暦)をなぜ太陽暦(グレゴリオ暦)に変更する必要があったのか、という二つの事柄を混同しないように注意して下さい。

旧暦(太陰暦)を新暦(太陽暦)に変更したのは、当時は今で言う国際化の時代でした。
西欧が中心の当時の国際社会に参加するためには、日付を西欧と同じにする方が遥かに利便性が高く、無用な混乱を避けることができます。
国家間の外交は元より商取引においても、〇月〇日までという単純な取り決めでも使う暦がお互いに違っていたのでは、その都度、その場で換算しなくてはなりません。
太陰暦の場合閏月というものが用いられていて、なおかつ、どの年のどの月とどの月の間に閏月を入れるのかというのは、専門職の人がセッセと計算をして決めていました。
現在は31日の月と30日の月は決まっていますが、旧暦では年末に発表されるまでは正確に分かりませんでした。
閏月にせよ何にせよ一定のルールはありましたが、こんな面倒な計算ルールを政治家は元より一般の人は知りもしませんでした。
これでは外国との交渉に当たり、混乱するなと言う方が無茶です。
このようなことから西欧で使われているグレゴリオ暦を使うようになりました。

上記のような理由ですので、何時から切り替えても良い訳です。
明治5年末がなぜ選ばれたのか、ということについては、翌年は閏月が入って13ケ月になり、財政が乏しかった発足後間もない明治政府にとって公務員の給与(月給)を余分に払うことを避けるためだったと言われています。

蛇足
旧暦(太陰暦)は季節の移り変わりに対してズレが生じます。
これでは農作業に支障をきたしますので、二十四節季などと呼ばれる自然暦(太陽暦)を使っていました。
春分、秋分、夏至、冬至などというのもこの二十四節季で使われている言葉です。
日照時間が最も短い冬至の日から数日後を立春として1年の始まりとしました。
(現在の2月4日頃)
現在でも年賀状に立春とか初春という言葉が使われるのはこの名残りです。
ご質問の冒頭で「旧正月がグレゴリオ暦で2月頃」とされたのは、この二十四節季と混同されたためかと思います。

尚、新暦旧暦の対比表や換算サイトが沢山ありますのでご興味があればググッテみて下さい。
暦については一般向けに「暦と占いの科学 永田久 新潮選書」という書籍があります。

投稿日時 - 2015-10-16 15:09:54

お礼

ご丁寧な説明をどうも有難うございます。
なるほど、変更理由と時期に関係はないのですね。
旧正月といえば、いつも1月下旬~2月中旬の間の不定期な印象ですが
(中国人の友人が毎年その時期に祝うので)
おそらく広義と狭義な意味が存在するのだろうと思いました。
昔の日本の暦は本当に複雑だったのですね、驚きました。
どうも有難うございました。

投稿日時 - 2015-10-16 21:00:43

-広告-

ANo.1

「明治5年12月3日を以って明治6年1月1日ト被定候事」とされました。

理由としては、
太陰太陽暦だと明治6年が閏月の年(1年13ヶ月になる)となり、
年俸制だったのを月給制としたために通常の年より1か月分多く支払うことになるため、
費用負担が大きくなるので1年12ヶ月に変更する必要があったそうです、これは大隈重信の回顧録に記載されています。

投稿日時 - 2015-10-16 11:45:32

お礼

早速のご返信をどうも有難うございます。
勉強になりました。

投稿日時 - 2015-10-16 20:45:06

-広告-
-広告-

あなたにオススメの質問

-広告-
-広告-