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解決済みの質問

わたしは何故引きこもるのか?何故出られないのか?

はじめまして。
52歳、無職。ここ数年、事実上の引きこもり状態にあります。
30歳の時から20年以上、大学病院、個人のメンタルクリニック、精神科単科の病院、総合病院の精神科等、約20か所以上に通い、30人以上の精神科医と話をしてきました。現在でも特定の診断名はないようです。過去には、自己愛性人格障害と言われたり、アスペルガーと言われたり、抑うつ性精神形症といわれたり、対人接触障害という聞きなれない診断を下されたり、或る医師には「別にどこもおかしくはない」といわれたり(苦笑)
(現在は「鬱病」による精神障害者2級です)

さて、世の中で、「引きこもり」と言われているひとたちも、様々な契機・事情・背景をもってそのような状態にあるのでしょうけれど、わたしはそういう情報に疎く、「引きこもり」と言われている人たちに、何らかの共通した特徴(引きこもり方の特徴、或はその背景にある心理的特徴など)があるのかさえよくわかりません。

そこで、わたしを外界から隔てているものの正体を知りたく思い、正確なカテゴリーがわからないまま、こちらに投稿しました。

わたしは外に出ることが非常に困難です。
具体的な原因を挙げると。

◇道に停まっている車のアイドリング

◇日中から点けられている駅ホームの蛍光灯の列

◇駅構内、電車やバスの中でエンドレスで流れている「危険注意・危険防止」の人口音声のアナウンス

◇落ち葉を噴射機のようなもので爆音とともに吹き寄せている人たち。

◇歩きながら、電車を待ちながら、電車内で、片時もスマートフォンなり、ipad(?)などから目を離さない人たち。

。。。以上は主なもので、他にも挙げられますが、こういうものにあふれている外界に一歩踏み出すとそれらの「音」「光」「臭い」に圧倒され、自転車で10分ほどの駅ビルに行って帰ってくるだけでぐったりと消耗・疲弊してしまいます。

これを、単に「知覚過敏」であるとは思えないのです。
つまり、わたしにすれば、なぜ、作業中(荷物の積み下ろしなど)にエンジンを止めておくことができないのか?何故、十分な光量のある時間・場所で、百本以上の蛍光灯を点ける必要があるのか?
何故落ち葉を寄せ集めるのに「竹ぼうき」を使わないのか?(そもそも落ち葉はゴミなのか?)
そのようないちいちの現象の裏にある「理由」がわからないのです。

わたしは「環境にやさしく」とか「エコロジー」或は「モラル」などの観点からそれらを嫌悪しているのではないと思っています。もっとダイレクトに生理的な抵抗(身体的・精神的な衝撃・ダメージ)があるのです。
「モラル」云々ということであれば、わたしを苛立たせる街の風景の一つに「標語」的な看板、ポスターがあります。「万引き撲滅のため地域総ぐるみで・・・」なんとかかんとか。。。

つまり上記のように外界とわたしの内面とのあいだにどうしても橋を架けることのできない隔たりが横たわっていることが、わたしが外に出られない理由だと思います。

そこで質問ですが、わたしの引きこもりは、「彼我の常識観の著しい相違」から来ているのでしょうか?それとも、わたしのような状態を例えば、我々が聞いたこともない無数の「アングザイエティ・Anxiety」があるように「なんとか恐怖(不安)」と名付けることができるのでしょうか?あるいはこれは単に、俗にいう「反・社会的人格障害」と称される(べき?)ものでしょうか?

わたしは外に出たいという気持ち、欲求はあります。2002年から2008年まで、親友と呼べるひとがいてくれた時にはせっせと出歩いていましたし、それ以前、長く一人だった時も今よりも、いや、ほとんど毎日電車に乗ってどこかへ出かけていました。
ですから「孤独」が引きこもりの大きな要因であることは間違いはないのですが、
現在の主治医が言うように「あなたと話が合うのは=あなたのことを受け入れることができるのは、まぁ、千人に1人いるかいないか」という「事実」も=(孤独が解消される可能性が見込めないこと)一方であるのです。

お考えをお聞きしたいと思います。

投稿日時 - 2015-09-28 13:45:47

QNo.9055234

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

>「彼我の常識観の著しい相違」から来ているのでしょうか?それとも、わたしのような状態を例えば、我々が聞いたこともない無数の「アングザイエティ・Anxiety」があるように「なんとか恐怖(不安)」と名付けることができるのでしょうか?あるいはこれは単に、俗にいう「反・社会的人格障害」と称される(べき?)ものでしょうか?


医者でも専門家でも無いので、上記に対する解答は難しいのですが、
率直に感じたことは、現代社会が息苦しいと感じているのだと思いました。

日本のどこかの田舎、限界集落のような場所で過ごされてはいかがでしょうか?
豊かな自然に囲まれ、夜になると街灯も無く、朝日が昇れば一日が始まり、沈めば寝る、という人間本来の過ごし方が出来る場所です。
私は現代社会にも適応できましたが、あなたのように今の社会は生き辛いと思う方がいるのも納得できます。

最近、下記の記事をよみ、このような暮らしもありなのだろうと思いました。
http://www.ikedahayato.com/20150923/37942217.html

わずかな力にでもなれば幸いです。

投稿日時 - 2015-09-28 14:16:29

お礼

はじめまして。

田舎=自然に囲まれて、というのは単純すぎるイメージでしょうか。。。
「自然に還る」というのが理想のように思っていますけれど、
わたしにはもともと、質問文に書きましたように、「人と良好な人間関係を築くことが困難、或はかりそめにそれが築けたとしても、早晩破綻する」という「障害」(?)があります。その証拠に高校を卒業以来、(高校時代の友達を別にすれば)これまで50数年の人生でほんとうに友達といえる人に出会ったのは、先に書いた2002年から6年間親友だった人だけです。
(昔の友人たちももう10年以上なんの音沙汰もありません。クラス会さえ小・中・高校全てで、過去に1度、(もう20年以上前に、たしか高校の?)があったきり。このままクラス会さえ持たずに終わるのかと考えています。

本当は友達が世界の防風壁になってくれる=(「わたしの身を護る」という意味ではなく、だれかが「いる」という実感)があればずいぶん世界の認識の仕方も変化するように思うのですがわかりません。

親切なアドバイス、ありがとうございます。URL、参考にします。

投稿日時 - 2015-09-29 11:16:19

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回答(9)

ANo.9

grass_roots さん。



会話さえできない
引きこもりな輩?が多い中、

あなたはわたしと
長年にわたり対話を
してきたし今もしている
ぢゃないか。




奴隷根性・被害者妄想
は、いただけません。




まあわたしも
人のことは言えないのですが。







とりあえず、
住むところと食うものと衣服
があり、話し相手がひとり
いれば全然トラブルではない
のではないでしょうか。




あなたは一体
何に困っていて、
どうしたいのですか?

あるいは他人や社会から
どうされたいのですか?







もう少し明確に具体的に
説明していただけますか。





わたしに余裕ができましたら
補足要求承りますので。






まあこの投稿は
回答ではないので
削除されるかと思ひますが。





いつも、ありがとう。
XO.



 



 

投稿日時 - 2015-09-29 19:28:54

補足

neutralさん、(なんかなれないな(苦笑))
たった今、他の方の哲学的なアプローチの回答を拝見して、あまりに難しくてとても歯が立ちませんでした。

10年以上前、芹沢俊介さんの「引きこもり」についての講演を渋谷まで聴きに行き、そこでのわたしの発言が、数年前に出版された『存在論としての引きこもり』という新著でそのまま引用されていました。
その時の講演会で出会った女性がそののち6年間、わたしに「ともだち」というものの存在と、それによって拡がる世界の豊かさを教えてくれました。

芹沢さんはその時の2次会(?)で、わたしがお勧めの本(引きこもりについて)を尋ねたところ、『遅れることの意味』という本を教えてくれました。「ちょっと取っつきにくい本だけど、あなたなら理解できるよ」と。。。実際その本を後日図書館で見つけましたがパラパラと数ページを繰っているだけで、とても理解できないと本を元あった棚に戻したことを憶えています(苦笑)

主治医の指摘のように、わたしが「ふつうっぽく」あるいは「ふつうより若干知的」に見える(思われる)ことが却って厄介だということは、主治医とわたしの共通した認識です。
普通よりかなり知的レベルが低いのです。(苦笑)

ということで、お礼、コメント(お返事)はのちほどゆっくりさせていただきます。立ち寄ってくれて声かけてくれてありがとう^^

投稿日時 - 2015-09-29 20:05:25

お礼

具体的に説明するのは難しいですね。
ぼくが欲しいもの、気の合った友達(仲間)、その人はこちらが呼んだら、ヒマだったら、出てきてくれて、一緒に回転寿司で食事をしたり、喫茶店でお茶を飲んだり散歩をしたりしてくれます。
つまり物理的に近いところに住んでいる人ですね。

何に困っているか?
う~ん、こんなことを云えるのはあなたしかいませんが、日本人ならもっと前の時代に生まれたかった、時間的に遡ることが無理なら日本以外の国に生まれたかったとうことで、これはもうどうしようもないことなんですけれど。

ともだちを得るということがこれほどまでに難しい人もいるということです。

まとまりのないお礼(返事)になりましたがいつもの事です(苦笑)

改めてありがとうございました。

投稿日時 - 2015-09-29 23:42:05

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ANo.8

 こんにちは。

 わたしは 統合失調症の家族がひとりいますが メンタルヘルスという分野としてはまったくの素人です。とおことわりして 哲学としてどう考えたかをお伝えしようかと思いました。取捨選択をご自由にどうぞ。


 いくつかありますが まづは次のような思想です。


 【Q:KY とは 草の根民主制への第一歩ではないか。】 ~~~~~~
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7775052.html


 ( a ) KY とは 草の根民主制への第一歩ではないか。

 ( b ) ニートや引きこもりは 未来社会への陰画だろうか。



 民主制の社会では わざわざ《空気》を読む必要はなく クウキをかたちづくる必要もない。それこそ民主制の雰囲気は 空気のようなものだ。

 KY というときのクウキは このいわば白紙であるという意味での空気のさらに上に別の訴える手段を持ちこもうとしたその結果であり その手段じたいであろう。
 そのウッタエとは いわば意識の排泄となって現われる。

 いろんな意味でのみづからの党派の意向を押し通そうとして 民主的な対話や話し合いという過程にいまひとつ別の手段を持ち込もうとするときの思潮のあやつり手段である。

 さいわいこの国には お上には逆らえない・長いものには巻かれろ・寄らば大樹の陰といった《アマアガリ・シンドローム(公民アマテラスへの出世志向)ならびにアマテラス予備軍症候群(アマテラス公民の無謬性神話を無条件に信奉する)》なる風潮がはびこっていて この風潮に乗れば KY としてのクウキも 上昇気流となること請け合いであるようだ。

 かくて 先ほどの意識の排泄は ガミガミ電波となって現われ それをアース役が引き受けるかたちとなる。このアース役なる人間のあり方は不当なものであるゆえ クウキを読まない――むしろすでに生理的に読まない――というKYが 歴史的に重要な意味をになって現われたのだ。

 たぶん その場合にも KY としてのクウキも読むことだけは読んでおいたほうがよいはずだが 読んだ結果として KY という現象が起きても構わないし 起きたほうがひとは よりいっそう自由である。



 また ニートや引きこもりなる現象も同じように アース役からの人間性にとって正当な造反である。
 人間の人間による人間のための未来社会構築の過程のひとつである。またそれは もし仮りに疾患だとしても 明らかに社会源病である。

 おのおの《わたしがわたしする》という自己の文体の確立のためであり そうであるが いまはまだその負の姿(陰画のようなかたち)で現われているのであろうか。やがて陰画の現像が陽画と成って現われて来るであろうか。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ すでにいくらか昔のものになっていますが考えに変わりありません。

 取りあえずもう一件をご紹介してみます。:

 【Q:ニート・引きこもり・あるいはうつなど精神の傾向は ふつうの社会現象であ〔るに過ぎない〕】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6242183.html

投稿日時 - 2015-09-29 16:30:42

補足

KYということに関してひとことだけ、
主治医は「私と話が合うのは千人にひとり」といいましたが、わたしはそれは贔屓目で、実際には「万にひとつ」のような気がしています。
一方で、海外のブログやSNSを何年もやってきて、もしわたしが日本人でなければ、=日本以外のところに住んでいて、せめて英語が普通に話せたなら、友達のできる確率は飛躍的に伸びると、なんとなく感じています。
「30人にひとり」とかね。

投稿日時 - 2015-09-29 20:13:29

お礼

はじめまして。

この質問をする際に、カテゴリーに迷ったと書いたのは、これを完全にメンタルヘルスの問題として質問することに戸惑いがあったからです。

云わば、世界をどう解釈するか、その受け取り方の違いで多少は楽になったりするのかな、という思いもありました。

bragelonneさんの哲学的なアプローチとしての回答は歓迎しますけれど、
残念ながら、ご回答の本文、及び二つのリンクにある応答を拝見した限り、あまりに高度・難解でとてもわたしの理解の及ばないところでした。

コメントを読んで、やっぱり哲学や心理学、社会学のカテゴリーに投稿しなくてよかったと思いました(苦笑)

貴重なアプローチをありがとうございました。
わたしには意味不明でも、多くの方がこの回答を読まれて、参考にされることでしょう。

投稿日時 - 2015-09-29 19:48:10

ANo.7

>>会えたのがのこり999人のうちの誰かだったとしても、なにか1つでも質問者さまと合意できる箇所はあるはずなんです。

>上記の回答部分の意味が、すみません、わからないのです。

 いえいえ。こちらこそ、短く書こうとしてわかりにくい文になりました。書き直します。

 「質問者さまを完全に受け入れられる人」が1000人の中に1人いるとします。すると、そうでない人が999人。
 ですが、999人の全員が質問者さまのことを100%受け入れられないということはないと思います。
 999人の中にも、質問者さまのことを半分(50%くらい)くらいなら受け入れられる人なら、もっと大勢いるのではないかと思います。根拠はありませんが、たとえば、そんな人が5人に1人くらいいたら、少しづつ理解して受け入れてくれる人が200人くらいはいるのではないかと思います。
 100%受け入れられる人1人を探そうとするとやたらとハードルが高く感じるとは思いますが、50%受け入れられる人3人と知り合いになって40%づつ交流すると考えると少しは気が楽になるのではないかと思ったのです。

投稿日時 - 2015-09-29 13:46:52

お礼

yoruaru-qさま、重ねてのコメント、ありがとうございます。

お礼とともに、わたしの個人的な考えを述べますが、わたしは自他ともに認める「キ〇ガイ」なので、わたしの云ったことで、どうかお気を悪くなさらないでください。

お答えの補足、今度は理解できます。

けれども、これは大学入学から現在までの自分と他者との関係を顧みての感想ですが、100%でなくても60%、いや、45%の理解。。。これがわたしに通用するかどうかとても疑問です。

「キチ〇イ」=極端な性向の持ち主ですから、基本的にオールオアナッシング的な対人関係を求める傾向にあります。
また、yoruaru-qさんのおっしゃる、「部分的な理解」というのはどういう形のものでしょうか?(純粋な疑問です)
それにもまして、わたしのような人間に、仮に一定(限定的な)割合にせよ、「好意をもって接する」ことが可能なのか?ということがいのいちばんに考えられてしまいます。

例えば、こんなのは自慢にもなりませんが、わたしのブログをフォローしてくれている人が世界中に現在1万2千人ほどいます、けれども、わたしにとって彼ら、彼女らは赤の他人でしかありません。中にはわたしの投稿するアートや写真の趣味がとても好きだ、という人もいるかもしれません、それは確かにわたしの「一部への興味・関心・好意」かもしれませんけれど、それによってわたしの中で何かが変わったということは、よく、わかりません。。。

yoruaru-qさんはじめみなさんのお答えにあるように、わたしが外に出られるようになるためには、
「革命」か「亡命」か「移住」か 或は「友人の存在」しかないと思っています。
けれども、友達を持っている自分というのがどうしても、考えられないのです。

重ねて、お礼申し上げます、貴重なお時間を割いて考えて頂き感謝しています。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2015-09-29 16:37:17

ANo.6

自分の体を本来の環境と考えないからでは。体があなた自身だと錯覚しているので心がどこかに行ってしまう。つまりいつも我に返っていて他のことに興味が持てない。ひきこもっていても退屈しているでしょう。

投稿日時 - 2015-09-28 17:34:49

お礼

はじめまして。

>自分の体を本来の環境と考えないからでは。体があなた自身だと錯覚しているので心がどこかに行ってしまう。

すみません、おっしゃってる意味がわかりません。

「外部環境」が知覚に与える(不快感を伴う)刺激を受けることが「私にとっての環境」であると思っています。

>ひきこもっていても退屈しているでしょう。

ほとんどの時間は本を読んだり、音楽を聴いたり、夜はビデオで映画を観たり、インターネットでも、4年間やっているブログでは1万人2千人ほどの(ほとんど海外のかたですけれど)方がフォローしてくれています。(基本的にアートを投稿するブログです)

ただ、所詮は孤独な営みでしかありません。わたしには「本を友達に」ということは出来ません。本はわたしにとって現実の慰藉に過ぎません。(音楽・映画・アートも同様です)

ご意見をお聞かせいただき、ありがとうございました。

投稿日時 - 2015-09-29 11:46:41

ANo.5

こんにちは。

読ませていただきました。

ほぼ私と同年代ですね。

とてもよく整理された文章で、長年ご自身のことをお考えになってこられたのだとすぐわかりました。

お気持ちとても理解できます。

>つまり上記のように外界とわたしの内面とのあいだにどうしても橋を架けることのできない隔たりが横たわっていることが、わたしが外に出られない理由だと思います。

目に見えるもの、耳に聞こえるもの、肌にあたるものすべてとの関係をあなたは取り結ぶことが出来にくいのだと思いました。

私たちは、目に見えるものや感じるものとの関係の中に自分を位置付け、このような自らの世界の中で生きています。

分かっているから動ける、納得しているから受け入れることが出来る、受け入れているから決意することが出来るわけなんですね。

慣れ親しんでいるから、何でも言うことが出来、何でも行動することが出来るわけです。

これは安心安全ということですし、これらは信頼しているからこそ、そうなのだということです。

しかし、あなたはこの世の中の見えること聴くこと感じることのすべてがむき出しの神経に直接触れるかのようにダイレクトに受け取ってしまい、痛みのような感じがするのではないだろうかと思いました。

その通りだと思います。

心理学者のアドラーは、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、肌にあたるものすべてとの関係を取り結んでいるという感覚を、「共同体感覚」と呼び、幸せの3条件の内の最も重要なものとしました。

では、あなたがこの「共同体感覚」を失わせていってしまったものはなんなのでしょうか。

あなたはあなたの作り出してきた世界の中で外に出れなくなってきたといえるでしょうし、もっといえば、外に出ないことを選択しているともいえます。

外に出たいというお気持ちは尤もですが、外に出たくないというお気持ちがあることをお認めになることはできますか?

あなたがお書きになられたことをお読みしていると、外に出たくない理由と読み返すこともできます。

以下の文章をお読みになって、ご自分の考え方をチェックしてみてください。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
イラショナル・ビリーフ(非合理的な信念)は「~ねばならない、~すべきである」という信念から起こっており、これが人々を情緒的に混乱させている。
情緒的に混乱し、不安や落ち込み、怒りなどがあるときには、自分は非科学的に思考していることが仮定できる。たとえば、イラショナル・ビリーフは以下のような特徴がある。
●事実に基づいていない 「親切にしたら必ず返ってくる」「試験に不合格ならホームレスになってしまう」
●柔軟的ではない/論理的ではない 「ここで失敗したら、一生うまくいかない」
●証明できない 「常に一番にならなければならない」
●幸せな結果をもたらさない 「怒りに怒りで返す」

ラショナルビリーフ(合理的信念)は、確実性ではなく確率に基づいた、「~にこしたことはない」という考えである。イラショナル・ビリーフを論駁するために、そこに根拠がないこと、ラショナル・ビリーフなどとの違いを比較し、合理的な思考が使用できるようにしていく。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E7%90%86%E7%99%82%E6%B3%95
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、「あなたと話が合うのは=あなたのことを受け入れることができるのは、まぁ、千人に1人いるかいないか」という「事実」とお医者様がおっしゃられていることですが、私なら、千分の一の確率でいるということは、千人の中の一人も話が合う人がいるということですね。

この先生のおっしゃられていることは、「友達100人出来るかな」という小学一年生で習う童謡の歌詞の価値観を前提としているようです。

友達がいっぱいいることが幸せという世界観ですね。

私にしてみれば、どうでもいいどころか、とても有害極まりない世界観です。

私は、自分と話が合う人が世の中に一人でもいれば全世界が敵であっても生きていけると考えています。

もっというと、たった一人でも自分の味方がいれば、世界を敵に回して戦うことだってできます。

あなたは目の前に広がっている世界から取り残されているかもしれないという絶望感に似た悲しみを抱えているかもしれませんが、だとしても、あなたには今できることがあると思います。

とりあえず、家の外に出て、すぐ帰ってきてもいいですし、これが出来たなら、今できたことを認めて、受け入れることがお始めになってみてください。

そして、今日できたこと、良かった事、少しでも楽しいと思ったことを書き出してみてください。

これらのことが出来てきたら、もっと外に出て、目に見えること聴こえてくることの良い事やメリットを考え出してみてください。

そして、出来ればこれを誰かに話してみてもいいと思います。

私は人生でたった3人でいいので、出会うべき人がいると考えています。

それは、

1.あなたの話を黙って聞いてくれる人。
2.あなたと同じような境遇にいて、同じような考え方や悩みを持っている人。
3.それらのようであっても、それを克服し、りっばに生きてあなたの目標になるような人。

あなたの先生のお話だと、1000人に一人づつはいそうですから、ぜひ、ネットでもなんでもいいので探し出してください。

いずれどこかでお会いしましょう。

応援してます。

投稿日時 - 2015-09-28 15:45:38

ANo.4

都会にあるもの・他人が作ったものを気にしてしまっているような気がします。
可能なら、一度かなり田舎にいって数日滞在することをおすすめします。

「あなたと話が合うのは=あなたのことを受け入れることができるのは、まぁ、千人に1人いるかいないか」という「事実」に違いはないのですが、千人に1人に会えたらうれしいですが。また、会えたのがのこり999人のうちの誰かだったとしても、なにか1つでも質問者さまと合意できる箇所はあるはずなんです。

投稿日時 - 2015-09-28 14:22:21

お礼

はじめまして。

>一度かなり田舎にいって数日滞在することをおすすめします。

そうですね、日本にもまだこんなきれいな場所があったのかという新たな認識を得ることができるかもしれません。

>会えたのがのこり999人のうちの誰かだったとしても、なにか1つでも質問者さまと合意できる箇所はあるはずなんです。

わたしは主治医に「知的障害のため、人の言っていることが理解できず、同じ質問を何度も繰り返すことがあります」という意味のことを書いてもらって、始めていく医者などにそれを見せています。

上記の回答部分の意味が、すみません、わからないのです。

アドバイス、どうもありがとうございました。
重ねて、失礼をお詫びします。

投稿日時 - 2015-09-29 11:27:35

ANo.2

私も20代後半から引きこもりになり、ずっと家にいました。
たまに、コンビニに雑誌を買いに行くことが大旅行でした。

その後、友人に誘われて宗教団体に入り、家にいても資格を生かして仕事ができ、月50万稼ぐことができるようになり、晩婚でしたが、理想の男性と結婚して子供もできました。

私の場合は、対人恐怖症でした。自分を守りすぎると言われます。
自分が守るべき人ができると、心の病気など吹き飛んでしまいます。

自分の為の人生ではなく、誰かの為の人生に切り替えましょう。

投稿日時 - 2015-09-28 14:04:26

お礼

アドバイス、どうもありがとうございました。

投稿日時 - 2015-09-29 11:34:57

ANo.1

一度、田舎暮らしでも経験されてみてはどうでしょう。

投稿日時 - 2015-09-28 14:03:36

補足

すみません、お礼のミスタイプです。

>普通の人(=低収入がある)ではなく、「一定の収入がある」のミスです。

投稿日時 - 2015-09-29 11:31:52

お礼

はじめまして。

ほんとうに田舎に暮らせればと思います。けれども、普通の人(=低収入がある、田舎に知人がいる(つてがある)、田舎に行って労働力になれる、プラス、単純に情報収集の困難さ、また、下見に行くことができるのか、車の免許を持っていない)等々の条件で田舎暮らしはしたいけれど、なかなか現実困難なのが現状です。

アドバス、ありがとうございました。

投稿日時 - 2015-09-29 11:02:03

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