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解決済みの質問

ハルノートを受け入れて輸出を再開してもらえないん?

 日本が大東亜戦争に踏み切ったきっかけとして
 1、ハルノート(満州・朝鮮半島を手放すことを要求)
 2、ABCD包囲網(輸入ができない経済封鎖)
 が、挙げられますけど
 結果論として、あれだけの大敗を喫するなら、ハルノートを受け入れてABCD包囲網を解除してもらう道はなかったのでしょうか?
 ハルノートも、満州・朝鮮半島を絶対手放さないといけないとは書かれていなかったようですし、結果論になってしまいますけど、たくさんの戦死者を出すよりかは、大東亜共栄圏の夢を捨てた方がよかったんじゃないでしょうかね。
 既にある程度の近代化をしていたことから、欧米諸国が行ってきたひどい植民地政策(アボリジニ狩り・インドネシアの人たちを家畜よりひどい扱いをした)のようなそこまでひどい扱いはされなかったと思うのですが。

投稿日時 - 2015-08-03 08:44:22

QNo.9023501

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

>ハルノートを受け入れてABCD包囲網を解除してもらう道はなかったのでしょうか?
極めて短期間であれば、封鎖の解除ということはあったかもしれません。

>ハルノートも、満州・朝鮮半島を絶対手放さないといけないとは書かれていなかったようですし
書いてはいなくても、その後の交渉で放棄をすることを要求されたでしょう。

>既にある程度の近代化をしていたことから、欧米諸国が行ってきたひどい植民地政策(アボリジニ狩り・インドネシアの人たちを家畜よりひどい扱いをした)のようなそこまでひどい扱いはされなかったと思うのですが。
直接住民を殺害したり奴隷として売り飛ばすようなことはなかったでしょう。

当時日本の周辺がどのような状態であったのか、ということとなぜそのような状態になっていたかということを考える必要があります。
当時はいわゆる、植民地時代の末期です。
現在とは価値観も世界経済の基盤も現在とは違っていました。
欧米の繁栄は植民地経営によってもたらされていました。
当時の欧米の価値観からすれば、アジアが植民地であり続けることとその既得権を侵害しないことが国家の存続に関わる問題でした。
日本なる国が大東亜共栄圏とか五族協和とか称して、アジアにおける欧米の植民地の既得権を破壊変更する意思を示すと同時に中国東北部に傀儡政権を樹立させました。
欧米にとっては世界秩序を破壊する国が日本でした。
欧米の平和と繁栄を維持するには日本を植民地化するか潰してしまうという選択肢以外が考えられなかった時代です。
外交交渉には常に武力による恫喝が用いられるのが常識の時代でした。

さらに繁栄を拡大させるのに残っていたのが中国大陸です。
下記のサイトにありますように中国は列強と呼ばれる欧米諸国に蚕食されてズタズタボロボロになっていました。
この残された大陸の既得権益体制に突然参入してきたのが日本です。
アメリカは列強の中でも最後発でした。
中国の権益獲得を目指し、1899年に国務長官ジョン=ヘイにより門戸開放宣言を出し、中国の門戸開放と機会均等、翌年1900年には中国の領土保全を訴えました
つまりハルノートには事前に既に伏線が引かれていたということです。
日本が欧米に伍して軍備を強化し経済的繁栄を続ける限りは、いずれ列強各国と衝突することは避けられなかったでしょう。
同じ衝突するにしても、もう少し上手い方法があったかもしれないというのは後知恵でしょう。

現在もこれを同じようなことが起きつつあるとお気づきになられてはいませんか。
中国の海外進出に対して「戦後秩序の維持」ということが言われ、一方で中国が自由主義国に対して挑戦を繰り返し、すべて中国の正当な権益であると主張していませんか。
(中国の行為を擁護するものではありませんので誤解なきように願います。)
参考
欧米の中国侵略 7 列強による中国分割、変法運動、戊戌の政変 / 世界史 ...
manapedia.jp/text/2366
抜粋
日清戦争後、下関条約で日本に割譲された遼東半島は、1895年にロシア・ドイツ・フランスによる三国干渉を受けて清に返還されました。
この三国干渉の見返りに、ロシアはシベリア鉄道に接続しウラジヴォストークにいたる東清鉄道の敷設権を獲得します。
また、ドイツは中国で起こった宣教師殺害事件を口実に山東半島南西の膠州湾を占領し、1898年に99年間の期限付きで租借し、青島市を建設、ドイツ東洋艦隊の基地にします。
このドイツの租借地獲得を受けて、再びロシアが中国に迫り、遼東半島の旅順・大連を租借し、南下政策の長年の目的だった不凍港を獲得します。
こうしたドイツやロシアの租借の成功を知ったイギリスやフランスも中国に迫り、1898年に香港の対岸九龍半島と山東半島東端の威海衛をイギリスが、1899年に広州湾をフランスがそれぞれ租借します。
こうして1899年ころには、ロシアが東北地方、ドイツが山東半島、イギリスが長江流域、フランスが広東・広西、日本が台湾の対岸の福建地方を獲得し、勢力図が決まりました。
同時期、アメリカも領土獲得政策に乗り出し、1898年にスペインとの米西戦争に勝利し、フィリピンとグアムを獲得しました。
中国進出に遅れをとったアメリカは、1899年に国務長官ジョン=ヘイにより門戸開放宣言を出し、中国の門戸開放と機会均等、翌年1900年には中国の領土保全を訴えました。
門戸開放宣言は、清朝に配慮したものではなく、アメリカの中国進出のために出されたものでしたが、列強もこれに一応賛同したため、中国分割の勢いはひとまず落ち着きます。

アジアの主な植民地 - nifty
homepage3.nifty.com/asia-kenbunroku/Shokuminchi.htm

投稿日時 - 2015-08-03 20:51:20

お礼

中国はアフリカのように翻弄されてた歴史があるんですね。
なんとか、経済制裁の解除で進めて欲しかったなー
結果論ですけど

投稿日時 - 2015-08-04 19:55:09

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回答(10)

ANo.10

ハルノート、ABCD包囲網の経緯は、

アメリカは、日本に満洲の共同経営を持ちかけていたが、拒絶された。
しょうがないので、武力による獲得を寡作していた。
そのためには、日本と戦争をして、勝つ必要があった。
アメリカは、恐慌の為失業者が溢れていて、国内を再生するため、経済政策を欲していた。
丁度良いことにヨーロッパで、ドイツが事を起こした。
経済を再生する為に、軍需産業拡大を利用しようと考えていた。
しかし、国内世論は、ヨーロッパ戦争介入に反対していた。
そこで、日本に戦争を起こさせて、戦争介入するように仕向ける必要があった。
まず、日本がこれ以上力を持たずに、力を削ぐ目的で、ABCD包囲網を敷き、
日本を追い詰め、最終的にハルノートを突きつけ、
日本に開戦の道しか残っていないようにさせた。
それは、フィリピン、グアムへの攻撃されることを望んでいた。
同時に、香港、マレー、シンガポールへの攻撃も予想していた。
その為、アメリカ海軍は、攻撃され次第、マーシャル、マリアナへの進行を準備していた。
実際に、ハワイ真珠湾を攻撃されて、戦力の多くを失い慌てた。
しかし、これを逆手にとって、国民を巻き込み、対日戦争を始める事ができた。
そして同盟国のドイツ攻撃の為に、ヨーロッパ戦争に介入する口実もできた。


結果論として、
内閣は、戦争しか国策の道が無く、4年でひっくり返されると考えていなかった。
そして、具体的講和戦略は無かった。
海軍は、従来の艦隊決戦で勝つ自信があり、決戦終了後に、日露戦争の様に、講和できると考えていた。
陸軍は、相変わらず仮想敵国はソ連であり、長引く支那事変の補給路を絶ち、解決を図り支那の兵力を削減出来ると考えていた。
そして海軍が南洋制海権、守備に大きな自信を示して折り、開戦時侵攻作戦には大きな戦力を必要とせず、その後の守備兵力にも大きな戦力を必要としないと予想され、陸軍後進国であったアメリカとは、大きな戦闘は発生しないと、考えていた。


いかがでしょうか?

投稿日時 - 2015-08-04 09:26:12

お礼

戦争せずに、失業問題を解決できなかったんですかね。
そしたら、戦争せずに済んだわけですが

投稿日時 - 2015-08-04 19:50:30

ANo.9

最近のアベ政権の強行を見るに、ハルノートも実は開戦ありきの小芝居(渡りに船的な自演)だったのではないか、という気もしますね。どうでしょう、ひとつ小説のネタにでも。

大東亜共栄圏は、アジアの国々を食い物にして日本だけがのし上がろうという政策ですので、放棄するなど考えませんよ。放棄したら、のし上がれないじゃないですか。

投稿日時 - 2015-08-04 00:14:06

お礼

正論からの軍事増強・富国強兵なのか、
開戦ありきでのこじつけた論理なのかわかりませんね。

個人てきには変にのし上がりを考えずそこそこでやっていこうとどの国もやってこうと思ってくれたら戦争にならずに済むっちゅー考えなんですけど、浅いですかね

投稿日時 - 2015-08-04 19:53:25

ANo.7

fctkosuteさん、こんばんは。

ハルノートも、満州・朝鮮半島を絶対手放さないといけないとは書かれていなかったようですし、結果論になってしまいますけど、たくさんの戦死者を出すよりかは、大東亜共栄圏の夢を捨てた方がよかったんじゃないでしょうかね。

後だしじゃんけんのようなご意見ですね。

当時、日中戦争は泥沼化していました。だけど、中国の広大な領土にある程度の支配地域を確保していました。これをチャラにするということは陸海軍、要するに軍部にとってはできない相談ですよ。中国の占領地域を確保するために多大な犠牲者や戦費をつぎ込んでいるんですからね。ケチな話ですけど、論功行賞にあずかろうとしている人もいるんですからね。

大東亜共栄圏の夢というのは虚構だと思います。ただ単に英仏蘭の地位を日本がとってかわるだけのお題目にしかすぎません。


既にある程度の近代化をしていたことから、欧米諸国が行ってきたひどい植民地政策(アボリジニ狩り・インドネシアの人たちを家畜よりひどい扱いをした)のようなそこまでひどい扱いはされなかったと思うのですが。


独立と満州、朝鮮の権益は認めるけど、中国の権益の独占や英仏蘭の植民地には手を出さないでほしいということですかね。ただ、このころ世界恐慌の影響で、国内には仕事がないので、満州開拓団とかが奨励されていました。また、戦争中なので、軍需産業は好景気でした。しかし、多かれ少なかれ、日本人の中国大陸への進出はもっと大規模になったでしょう。アメリカも中国の権益を確保するのに血道をあげていましたから、結局、日米の争いの種になったでしょう。ちなみにアメリカに日本から移民した人たち
は白人から嫌われていました。それは日本人が安い賃金で働き、白人の働き口を取ってしまうからでした。

投稿日時 - 2015-08-03 19:30:39

お礼

たしかに結果論で物を語っています。
当時はどこの国も失業問題を抱えていたようですね。
なんとか、知恵で失業問題を解決できんかったでしょうか

そしたら、軍需産業で儲けようとせずにすんだのでないでしょうか

投稿日時 - 2015-08-04 19:51:50

ANo.6

無理でしょう
日本の軍備増強はアメリカには脅威でした
アジア全土を植民地にする という目標を持っていた欧米にとって日本は危険な存在だったのです(当時植民地じゃなかったアジアの国は日本・中国・タイだけです)

東南アジア植民地支配と白人至上主義を打破するには日本も戦う必要があったわけだし


結局ハルノートは建前です

投稿日時 - 2015-08-03 18:38:23

お礼

危険っつても外交次第だと思うんですけどね
そこが時代の違いから、危機感を異常にモツんですかね

投稿日時 - 2015-08-04 19:54:20

ANo.5

今から50年後の世界からやってきたと称する人物が出てきて、尖閣諸島を中国に与えよ、韓国には全面的に謝罪し彼らが要求する賠償金を満額支払え、そうしないと日本は大変なことになる、といったところで今を生きる我々が承諾するでしょうか。現実的には難しいですよね。

それはそれとしても、あのハルノートってのは「日本に開戦を決意させるための滅茶苦茶な要求」以外の何物でもありません。後に東京裁判でインド代表として参加したパール判事が「こんなものを突きつけられたらモナコやルクセンブルク公国でさえアメリカと戦争を決意しただろう」といわしめるほどの滅茶苦茶な要求だったのです。
ではなぜアメリカはそんな要求をしたのか。それは「戦争をしたかったから」に他なりません。アメリカは本当はナチスドイツとイギリスとの戦争に参加したかったのですが、国民はなかなかそれを支持しませんでした。そのため、ナチスドイツの同盟国である日本と戦争をすることで第二次大戦へ参加しようと目論んだのです。

このハルノートとよく似たケースがあります。2003年、アメリカは「イラクが大量破壊兵器を隠し持っている」という口実でイラクに攻め込みました。しかし後にそのイラクが所有するといわれた大量破壊兵器なるものは存在しなかったことが判明しました。
他には米西戦争の開戦口実に使われたアメリカ戦艦の爆発事故(本当は単なる事故だったのにスペイン軍が攻撃してきたとでっち上げて開戦した)やベトナム戦争のトンキン湾事件(最近公式にでっち上げだったことが明らかになりました)、湾岸戦争の謀略(アメリカ議会で「目の前で弟がイラク兵に惨殺された」と訴えた少女は在米クウェート大使の娘で、アメリカに住んでいた)など枚挙に暇がありません。
アメリカという国は、「この国と戦争をする」と決めたらでっち上げでも謀略でもなんでもやって戦争をおっぱじめるおっとろしい国なんですよ。

投稿日時 - 2015-08-03 12:15:50

お礼

まー、確かに、
アメリカは日本と戦争したがってたってのは事実なんでしょうね。
そこをなんとか
「アメリカさんお願いしますよ~」ってな感じでご機嫌取ることはできなかったんでしょうかね
たしかに尖閣を明け渡すならば戦争するしかないというのもわからんではないですが

投稿日時 - 2015-08-04 19:49:12

ANo.4

最初から結果が見えていれば話は簡単ですね。
出た結果を見て、賢しらにあの時はこうすればよかった、ああすればうまくいったと言うのは、馬鹿のやることですね。
意味がありません。

投稿日時 - 2015-08-03 10:47:58

お礼

アメリカから石油の多くを輸入していたということから、勝てる要素がまず見当たらないのですが。
ベトナム戦争のように、ロシア・中国がバックアップに付くということもなかったわけで

投稿日時 - 2015-08-03 11:05:15

ANo.3

ちょっと頭の悪いやくざの美学(ぱっと開いて花と散る)が日本(の大衆)にはうけるんですね。忠臣蔵とか戦後は鶴田浩二高倉健の殴りこみ映画とかですね。あそこで妥協忍従とかいってたら軍部はもちろん国内の世論のつきあげで政府はもたなかったでしょう。いまだって百田流の特攻神話が浅く受けています。理屈が面倒なので非戦論もトップにすら分かっていません。

投稿日時 - 2015-08-03 09:35:42

お礼

そういう精神的な美学があると感じちゃいますよね。
もちろん、人種差別が前提にある欧米列強の過剰な植民地政策に立ち向かいたいという気持ちも分かるんですけどね。
普段の人間関係でも、権力を持っている人がいたとしても、その人があまりにも自分を過信し、自分は完璧であるかのごとく振る舞われドヤ顔連発させたら、「こいつのちょっとは落ち込む顔を見てみたい・ちょっとでも慌てふためく姿を見たい」
と思う精神が、現実として勝てないけど、一矢報いたいという目的で開戦に至らせたのではないでしょうか。
それにしては犠牲が大きすぎた。
アメリカもリーダシップ取りつつも、もうちょい謙虚にしてくれればよかったんですけどね。

投稿日時 - 2015-08-03 10:08:56

ANo.2

西欧的文化においては、相手の言いなりなのは
バカにされます。
あそこでは、もっと早い段階から互いの利益の
折り合える妥協点を求めて、丁々発止と交渉する
べきだったのです。
ところが日本は、遠慮・以心伝心で思いやり、
ガマンしたあげくに爆発するという異なる文化を
有しているのだ。
満州をアメリカと共同統治し、アメリカを裏で操る
ユダヤ系を受け入れるとか、相手の意表をつく提案
で交渉する事が、日本に対する尊敬の念を醸成し、
長期的な国際協調を可能にしただろう。

投稿日時 - 2015-08-03 09:03:22

お礼

自分もそういうタイプなので、人間関係の中でしみじみ感じますけど、
遠慮・以心伝心で思いやり、ガマンしたあげく爆発ですよね、日本人って。

結局はアメリカに怒られないようにほどほど、自国での自活、あるていどの近代国家をキープできてればよかったと思うんですけどね、

投稿日時 - 2015-08-03 09:08:43

ANo.1

踏み切らざるを得ない時点で戦略的には敗北を意味しています。
こうすればこうなる、その後、どうすれば事態を好転できるか、
そういった発想ができる人間が少しでもいれば、そもそも
踏み切らざるを得ない状態にはしない。

旧日本軍には戦略をまともに考えられる人間はいなかった、それだけ。
大東亜共栄圏という夢を抱いていたが、それを実現して継続できる力が
日本になかっただけ。

まあ、南北朝鮮みたいな扱いにはなりますので、結果的には今の方がよかったかも。

投稿日時 - 2015-08-03 09:02:14

お礼

人によってはふみきらざるおえんかった
と表現しますよね

投稿日時 - 2015-08-03 09:09:25

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