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アッツ島は玉砕で、キスカ島は撤退できたのはなぜ?

太平洋戦争で、アリューシャン列島のアッツ島の日本軍は玉砕したのに、
キスカ島の日本軍は撤退、救出できたのはなぜですか?

投稿日時 - 2015-07-11 19:55:14

QNo.9010502

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回答(6)

ANo.6

北太平洋作戦は早期に計画されました。
日本の北の空防衛のための飛行場建設です。

1942年5月この方面米艦隊は弱く、アッツ、キスカ両島を
占領して見ましたが、キスカは飛行場に不向き、アッツは可能
だが建設は困難でした。
無価値とわかったこの時点で撤退は考えられましたが、未練が
あり実行はぐずぐず先伸ばしです。

1年後反攻に勢い付いた米軍は両島奪還を目指し戦艦3隻以下
よりなる強力な艦隊が集結しました。
気付いた我が軍は撤退を計画しましたが、第五艦隊は重巡以下
で太刀打ち出来ず、1943年7月アッツ島守備隊は見殺しに
なりました。

キスカ攻撃もすぐ迫っており、危険な撤退作戦を実施です。
濃霧に紛れて島に近付き、接岸時は霧が晴れ、帰投時はまた霧と
なんとも幸運に恵まれ成功しました。
運も実力のうちと言います。
司令官木村少将の判断と決断の正しさによるものです。

投稿日時 - 2015-07-14 18:00:16

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ANo.5

まずアッツ島キスカ島への進出は、南方作戦の陽動として行われました。
これがミッドウェーの敗北により日本軍はアッツキスカにおける戦略的価値を失います。

その後徐々にアッツキスカに対する航空偵察、ときには空爆が増え圧力がかかってきます。この時日本軍は必要のない島なのだからすぐに撤退させればいいものを、まだ米軍の上陸作戦を経験していないのでどうしていいかわからずアッツ島守備隊をキスカ島に派遣しアッツ島には本土から米川部隊2,650名を派遣するという形で増援を送っています。
この部隊が米軍の上陸作戦で全滅となり、日本軍は初めて撤退作戦を発動させます。

つまりアッツ島がなぜ玉砕したかとなると、初の米軍の上陸反攻ということで適切な対応ができなかったから、キスカ島の撤退作戦がなぜ発動されたかとなるとアッツ島守備隊が全滅したから、キスカ島の撤退作戦がなぜ成功したかとなると天候に恵まれた幸運と木村昌福少将の慎重かつ適切な指揮が成功したからといえるでしょう。

投稿日時 - 2015-07-14 13:45:27

ANo.4

 アッツ島に連合軍が上陸してきた時、陸軍は増援を送る事にしましたが、海軍が船を出せないために増援も物資の補給もできなくなりました。
 戦況は悪化するだけで最後は敵陣へ突撃し全滅玉砕しました。
 もし、増援や補給ができていれば結果は違ったかもしれませんが、制空制海権を失った状況では撤退も含めて困難だったと思います。

 キスカ島に連合軍が上陸して戦闘になればアッツ島と同じ結果だったと思います。
 上陸まで時間的猶予がありましたので撤退の準備はできました。
 高速航行が可能な駆逐艦と軽巡洋艦で一気にキスカ島へ行き守備隊を収容して帰ってくる作戦ですが、収容人数が多く、北方方面の駆逐艦だけでは足りず増援を送りました。
 その中に最新鋭の駆逐艦「島風」が含まれていた事から海軍の本気度がわかります。
 制空制海権を失っていましたが、夏に発生する霧を利用すれば空襲は避けられますので霧が発生した時を狙いました。一回目は霧が晴れて断念し二回目に成功します。
 キスカ島は海上封鎖されていて艦隊の接近はできないはずでしたが、日本艦隊がキスカに行った日だけ封鎖が解かれていました。これはアメリカ艦隊がレーダーに反応した地点へ向かい攻撃したために燃料と弾薬を消費し補給に向かったためです。
 まさに空白の一日を突きました。

 艦隊を指揮した第一水雷戦隊の木村少将は実戦部隊たたき上げの提督でした。出世街道エリートコースと無縁で実戦部隊勤務でしたから状況判断は的確でした。エリートコースの提督でしたらおそらく「霧が晴れたという理由で退却する」という判断はできなかったと思います。

投稿日時 - 2015-07-13 02:40:33

ANo.3

https://www.youtube.com/watch?v=aeuVSMxP_ag
ちなみにキスカ撤退はこれがわかりやすいかと

投稿日時 - 2015-07-12 16:41:57

ANo.2

キスカの退き口は偶然と必然が重なったすえの撤退です
指揮官の木村大将が見事だったとしか言い様がありません

キスカは濃霧のさなかを突いての撤退でした
何度かキスカに近づく度に霧が晴れてしまい
それでも木村大将は諦めず
部下の「このままキスカ湾に突入すべきです」という進言に「帰ろう…帰ればまた来ることができる」と言う名言を残し作戦を断念しました
そして霧が出る最後の日と言われる7月下旬に最後の作戦を決行

哨戒に当たっていた米艦隊はレーダーでキスカ付近に船影を発見
そこに一斉射撃しますが それは岩礁がレーダーに映ったもので
米艦隊がそっちに気をとられてる間に木村艦隊はキスカ湾に突入
わずか50分で撤退作戦を終えました

上陸した米兵が見たのは島に残されていた3頭の犬だけです
疑心暗鬼になった米兵は同士討ちで30名の死者を出しています

このキスカの撤退はルーズヴェルト大統領をもってして
「木村程の軍人を私は知らない あれだけの軍人が居ながら何故日本は我々に負けているのか… 」と呟いたと言います


アッツは最初から撤退するな と命令が下っていました
キスカもそうですが 木村大将は兵の命を重んじて撤退作戦を敢行しただけです

投稿日時 - 2015-07-12 16:32:28

ANo.1

pedia05 さん、こんにちは。


おそらく、南方作戦に日本軍が気を取られていて、アッツ島にアメリカ軍が兵力を出すのを気が付いていなかったからではないでしょうか?あるいは気づいてもだすことはできなかったのではないでしょうか?キスカ、アッツ両島の日本軍の兵力はあまり増強されていなかったようです。アッツ島にアメリカ軍が上陸されてから、日本はアリューシャン列島方面を放棄して戦線を縮小しようとします。その一環でキスカ島の兵力は撤収になるわけです。アッツ島の守備隊は尊い犠牲になってしまったのです。
詳細は下記のURLを参照ください。


キスカ島撤退作戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%82%AB%E5%B3%B6%E6%92%A4%E9%80%80%E4%BD%9C%E6%88%A6


アッツ島の戦い
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%84%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

投稿日時 - 2015-07-12 11:03:36

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